第16話 四者面談






 自分がいかに経験不足かを考えた。


 生まれてから18年間、男性と付き合ったことがないのはその硬い考え方をせいだとわかっていた。


 小中高と何人かの男性に告白されたことはあったが、好きではないという理由で断った。その曲、好きな人に対しては好きと言えず、逆に距離を取って見ているだけの情けない思いばかりをしていた。


 大学に入り、これを機に変わろうとした。素敵な恋ができるように努力はしてみたが、やはり18年間で培ってきた性格は一朝一夕では変わりはしない。せっかく自分も相手も好意を持っている人に巡り会えても、その人に彼女がいたというだけで、その彼女が目の前に現れたというだけで尻込みして心は急速に萎んでいくのが分かる。


 勉強する傍らに小坂からプレゼントされたリングの入った袋が封も開けずに置かれていた。それを見るたびに黙って帰ったことに後悔を感じる。


 その夜、二回小坂から電話があったが出なかった。しかし、時間が経つにつれ、小坂に会って謝らなくては、という思いに駆られる。


 勉強も生活もほとんど手がつかず、暗い部屋の中にいた美咲は堪らずかぐやに電話をした。


「そんなことで、すごすごと帰ってきたの?」


 案の定、かぐやから非難めいた言葉が返ってくる。


「そうやって、いつも逃げてばっかりいるから本当の恋が見つからないんでしょう?」


 返す言葉も見つからない。


「まあ、それがあなたなんだよね。……今、聞いた話で三つわかったことがある」


「え?」


 美咲は驚きの声を上げた。


 美咲はかぐやに相談したことを後悔し始めていた。また余計なことをさせられそうな予感が湧いてくる。


「まず、その女が言ったことは嘘ね」


「どこからそんな発想が……?」


「全部とは言わないまでも、婚約者であるとか、あんたを注意しに来たってところが。遊ばれるって所は本当かもしれないけど、でも、婚約者なら、まず彼に行くでしょう?浮気相手を見つけた時は」


「そうなの?」


 そういうものかと妙に納得する。


「おそらく彼女はあんたと同じ立場なのよ。つまり、あの男の多くの女の一人」


「私は、まだ彼女じゃないんだけど……」


「その女がこなければ彼と一夜を共にするつもりだったんでしょう?」


 図星を突かれて、美咲は言葉を失った。


「まあ、思うに彼女は小坂に捨てられた女だと思う。そして、別れた話を聞き入れない昔の女。あんたを牽制したのは、彼の好みを知っているから。あなたなら新しい女になる可能性があると思ったんでしょう」


「そうなんだ」


 相手の立場に立った時、なんだか彼女の存在が等身大に見えた。


「彼女にとって最大の敵は若さよ。あなたにとって最大の武器もそれ。それを使えばあなたは勝てるわ。どうするの?行くの?やめるの?」


「……もう少し考えてみるわ」


「あー、そう」


 かぐやの呆れた顔が目に浮かぶ。


「もし諦めるなら、指輪を返したほうがいい?」


 返事はなく突然、電話が切られた。


 美咲は、かぐやが呆れる自分の優柔不断にため息が出た。それにしても分かったという、残りの二つとは何なんだろう?





 *       *       *        *





 数日後、かぐやから電話があった。


 小坂との約束の時間までに行けそうにないので、それまで話し相手を務めてほしいとのことであった。


 いつものように突然で、有無も言わさない態度であったが美咲としても重い腰を上げるチャンスだと思い、二つ返事で引き受け、約束のホテルのレストランへと向かった。


 バックの中にプレゼントされたアクセサリーを入れて、レストランに入ると小坂の席には女性が座っている事に気づいた。一瞬、かぐやかと思ったが後ろ姿が違う。長い黒髪のストレート、スレンダーの美女であった。


 先日の小坂の婚約者である。


 おずおずと近づいていくと、二人の間に重苦しい雰囲気が包んでいて、思わず立ち止まる美咲。すると、美咲の姿に気づいた小坂が立ち上がり、笑顔でも迎える。


「いやあ、君が来てくれるって、かぐやさんから聞いたんで待っていたんだ。さぁ、こちらへ」


 まるで彼女がいることが見えないかのように美咲を招く。


「……こんばんは」


 美咲は席につき、例の女に挨拶するが、女は美咲を無視する。すると、その女を小坂は無視をして話はじめた。


「こないだはどうしたんだい?突然いなくなって」


「ごめんなさい、ちょっと体調が優れなくて……」


 反射的に女の方を見たが、女はジロリと美咲に視線を向けてきたので、慌てて視線を逸らす。


「では、機嫌を損ねたという訳ではないってことだね?」


「いいえ、それはないです」


「よかった。それが心配だったんだ。それじゃあ、こないだの続きはまたの機会ってことでもいいのかな?」


「まあ……」


 美咲は返事に窮した。


「……かぐやさんは何時頃、来られるの?」


 気まずい沈黙が流れると、小坂は高そうな腕時計を見て美咲に訊いた。


「もうじき来ると思うんですが……」


「そうか、では、それまで食事は我慢しよう。お腹空いてない?」


「ええ……」


「随分と優しいのね」


 二人の会話を聞いていた女が初めて口を開いた。


「この人ね、ヤルまでは優しいのよ。それこそ紳士を気取ってるけど、一度ヤッたら、豹変するから気をつけなさいよ」


 口元を歪めて女は言った。


「やめないか」


 小坂が初めて女と口をきいた。しかも今まで見たことはない鋭い眼光で女を睨んでいる。


「彼女は以前、僕の秘書していたことがあったんだけど、ある理由で解雇したんだが、そのことを今でも根に持っているようだ。こうして僕の後をつけてきて、仕事の邪魔をする。困ったものだ」


 と小坂は鼻を鳴らした。


「ちょっとふざけないでよ。秘書を口説いて、自分の女にしたら酷い捨て方をしたのはいったい誰?」


 女はヒステリックを起こしたように大声で叫ぶ。周りの客が一斉にこちらを見るので美咲は一人、肩身の狭い思いをする。


「確かに、一時は恋愛関係にあった。だが、そのことを仕事にまで持ち込んできたのは君だろう?だから、やむを得ず解雇したんだ。それが分からないのか?」


 小坂を慌てる風でもなく冷静を装っているが、逆にそれが美咲には怖かった。


「仕事と恋愛を混同しているのはどっち?彼女を解雇して自分は済々しているかもしれないけど、結婚の約束までして五年も待たせておいて捨てるなんて、私の人生を返してよ?」


「それはすまないと思っている。けど、恋愛に絶対はない。心が変われば元に戻れないんだよ。その代わり慰謝料として退職金を十分な額を渡しただろう。あと何が欲しいと言うんだ?もっとお金が欲しいと言うのか?」


「そんなんじゃないわ、違うわよ」


「いい加減にしてください」


 ついに美咲が割って入ったが、二人が一斉に美咲を睨んだので、美咲の気勢をそがれる。


「ほ、他のお客さんにも見てますし、ここで争うのはどうかと思いますけど……」


「そうだ。鮎川さんの言うとおりだ。ひとまず止そうよ」


 小坂は紳士を装う。


「フンッ、小娘に尻尾振って。そんなに若い女がいいの?」


 女に言われて、小坂は再び眼光を鋭くする。


「君のように年を取って捻くれるのを見ていると、若くて素直な子が余計に引き立つんだろうな」


「私の時間を奪っておいて、よくそんなことは言えるわね。私の時間を返して」


「負け犬の遠吠えにしか聞こえないな」


「なんですって」


 収拾がつかなくなった二人の間で、成り行きをただ手をこまねいて見ているしかない美咲。その時、同じく遠目で二人のやり取りを気にしていた店の客たちの空気が変わったことに、美咲は気づいた。


 男達に視線がテーブルから入口の方へと一斉に向いた時、美咲はその理由をいち早く察知した。かぐやの登場である。


 かぐやは長い髪を揺らしながら、颯爽とこちらへ向かってくる。黒色のタイトなドレスが身体の曲線を浮かび上がらせて、男たちの視線を釘付けにする。


 小坂と女はまだかぐやの存在に気づいていない。


 美咲は目線で今はマズいとかぐやに知らせるが、しかし、かぐやは悠然と三人の席の前に立った。


「遅くなりました、かぐやです」


 女に向かって何か言おうとした小坂が口ごもり、目の前に立つかぐやを見上げた。


「あっ、どうも……やあ、かぐやさん。お待ちしておりました」


 一瞬たじろぐが、小坂は立ち上がって紳士の対応を見せる 。ウェイターが椅子を用意してかぐやがゆっくりと腰をかけると、今までとは席の空気がガラリと変わった。


「改めまして、小坂雷蔵と申します」


 小坂が名刺を渡すと、それをかぐやが受け取り、視線を落とす。その様子を見ている女の視線が美咲は気になった。今度はかぐやに噛みつきそうな勢いである。


「あなたのコラムを読んだわ」


 女が徐に言った。


「その若さで、実に男と女のことがよくわかってるって感心していたのよ」


「ありがとうございます」


 ゆっくりと頭を下げるかぐや。何時になく謙虚なかぐやもまた怖い。


「それで、あなたの方の結婚はいつですか?」


 不意にかぐやが二人を交互に見て尋ねた。


「えっ?」


「はあ?」


 二人が同時に面食らう。


「まさか、私たちはそういう仲じゃない。なあ?」


「えっ?まあ……」


 二人が顔を見合わせて否定する。


「あら、そうですか。私はてっきりそういう仲だと思っておりました。二人ともとてもお見合いですし、お互いが惹かれあっている」


「まさか、どうしてそんな風に見えるのか、分かりませんね?」


 小坂が即座に否定するので、女が睨む。


「喧嘩ができるのもお互いを知り尽くしているから、自分の意見をはっきり言えるのも、自分を持っているからです。失礼ですが、小坂さん。あなたの周りに他にいますか、そういう人が?」


「……」


「それに女性は若さではなく、いかに、より深く人を愛せるのではないかと知っている。そして、その経験に裏打ちされた誇りを持った女性こそ、自分に相応しい相手であると言うこともね」


「……」


「お互いが思っているから、より反発してしまう。心を解放していた時、お互いにとって相手が何者かがきっとわかるはずですよ」


 それっきり二人が黙ってしまった。お互いに反省するところがあったのだろう。特に小坂には応えたように見えた。


「呼び出しておいて申し訳ありませんが、今日はこれで帰らせてもらいます」


 そう言って席を立つ。すると、女の方も席をたち、小坂を追いかける。席にはかぐやと美咲が残された。


「さあ、何か食べましょう。お腹減っちゃった」


 何事もなかったかのようにかぐやがメニューを手に取る。


「あなたも好きなもの頼みなさい。どうせ、支払いは小坂持ちなんだから」


 茶目っ気のある顔をして、かぐやがウインクした。


 美咲はかぐやをまじまじと見つめた。


「何?」


「ううん、何でもない」


 感心と尊敬のその奥に、嫉妬心が隠れている事に美咲はまだ気づかない。

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