第15話 おんなの影





 小坂とは最初のデート以来、頻繁に連絡を取っている。


 小坂をかぐやの花婿候補から外したのは彼の意思でもあり、不純な動機で応募してきたことを恥じたからとも言っていた。


 美咲は、小坂の力になってくれるよう頼むために、かぐやのオフィスを訪ねた。


 自分に頼みごとをするなど全くと言っていいほどしない美咲、しかも自分の頼みでないことに、かぐやは興味深い目で美咲を見つめた。


「いいわよ」


 かぐやはあっさりと引き受けることを了承した。


「本当に?」


 美咲は目を輝かせる。


「でも私、いま忙しいから、最終選考が終わってからにしてね」


「ありがとう、彼に話してみるね」


 美咲の嬉しそうな顔を、不敵な笑みを浮かべ見つめる、かぐやは続けた。


「それともう一つ、彼も最終選考に残すことにするから」


「え?」


「聞こえなかった?彼も私の花婿候補に残すわ。そのことも伝えといてね」


「ちょっと、待って」


 美咲は慌てる。


「小坂さんは、その、ビジネスのために応募していたんであって、かぐやと結婚したくて応募したわけじゃないのよ」


「そんなことは関係ないわ。動機が何であれ、応募者が選出される資格があるのは当然よ。それに彼の写真、とってもキュートだったの思い出したわ。実物も見てみたい」


「小坂さんはあなたに興味ないのよ」


 美咲はムッとした表情になる。


「関係はないわ。それに、気のない人をその気にさせるのは得意なの」


 かぐやは意味深な笑みで美咲を見つめる。


「それじゃあ、よろしくね」


 かぐやはそう言うと仕事に戻る。


 美咲はしばらくかぐや見ていたが、唇をきゅっと引き締め、足早にオフィスを出て行く。


 かぐやが OK を出したことを電話で伝えると、小坂に食事に誘われた。夕方頃、自宅に迎えの車がやってきた。


 ハイヤーに乗り込むと、車は一路、都心の高級ホテルのロビーまで運んでくれた。最近はレストラン通いが祟って、お腹がぽっこりしてきた。


 今日こそは食べないように、と思うのだが、店に入るとその雰囲気と美味い料理につい手が止まらなくなる。さすが高いお金をとるだけあるなと思いつつ、美咲は料理を平らげてしまう。


 小坂は遅れてやってきた。


 二人はすっかりと打ち解けて、会うのが2回目とは思えないぐらいに話が弾んだ。


 話題が仕事の話になり、かぐやが会うことを了承したと告げると、小坂は少年のように目を輝かせて礼を言う。


「……だけど、一つだけ問題と言うか、条件があります」


 美咲は言いづらそうに切り出した。


「何ですか、条件って?」


「小坂さんも最終選考に選ばれました。かぐやの花婿候補の……」


「でも、それは、あなたが選考から外してくれたのではないのですか?」


「外しましたし、ちゃんと説明もしました。小坂さんはビジネスのために応募したんだって。けど、聞かないんです」


 美咲は歯がゆそうに言った。


「そうですか。……では、仕方がないですね。選ばれたことを光栄に思うしかない」


 小坂は冗談ぽく笑う。


「こうと決めたら引かないんです。けど、かぐやも本気じゃないと思います。ただ、私を困ら……」


 美咲が急に言葉を止めた。


「私をコマラ?」


「いえ、何でもないです。どうせ、かぐやも本気で結婚するとは思えないし、いつもの気まぐれですよ、きっと」


 美咲は誤魔化すように早口で言った。


「いや、本気でしょう。女性は冗談で、結婚という言葉を口にしないのではないでしょうか?」


 小坂の澄んだ瞳に吸い込まれそうになり、慌てて目をそらす美咲。


「た、確かに、そうかもしれませんね」


「男は冗談や言い訳で結婚を口にするかもしれないけど」


 皮肉っぽく笑う小坂。


 料理が運ばれてきたので、話を中断する。この店はフレンチで、しかも、フランスの三ツ星レストランで修行したシェフというだけあって、見たこともない料理が運ばれてくる。しかも、どれも驚くほど美味しい。


「このサラダ、何て言うんですか?すごく美味しい」


 美咲が前菜のサラダを口にして、素直に驚きを口にする。


「ズッキーニのポノルニアサラダっていいます。この野菜が決め手で、日本では手に入らないものなんです。空輸で運ばれてきて、鮮度が命なんですよ。やはり、なんでも新鮮なものは美味しい」


 何でもよく知っていて、打てば響く鐘のような小坂に、尊敬の念さえ覚える美咲。もっと、ずっと一緒にいたいと思いはじめていた。


「鮎川さんには、色々してもらったから、お礼をしたいんですが……」


 食後のコーヒーを飲んでいる時に小坂が言った。


「いえ、お礼なんて」


「少し下衆かもしれませんが、下のジュエリーショップでアクセサリーをプレゼントしたいんです」


 突然の申し出に、美咲は顔の前で手を慌ただしく振る。


「そんな大したことしてないですから……」


「いや是非、一緒に来てもらいたい。きっとあなたなら何でも似合うだろうし」


 ジュエリーショップで宝石を選んで買ってもらうなんて、彼女というより、お水か遊びなれた女性のようだなと思ったけれど、断り切れずついていくことにした。


 店内に入り、眩い装飾と、いくつか指輪を試しに指に嵌めてみると、とても良い気分になる。


 これはヤバいわ、と本気で思う。


「気に入ったものを、素直に選んでください」


 小坂は気前よく言う。


 気に入ったものといっても、まさか数十万もするものを選ぶわけにはいかない。結局、一番安い中から(それでも3万円したが)プラチナのファッションリングを選んだ。


「それでいいの?」


 小坂は興味深そうに美咲を見つめる。


「はい」


「じゃあ、これを」


 小坂は支払いを済ませてる間、美咲は目移りしそうなほどのジュエリーが入ったショーケースに目を凝らしていた。


 ふと、外を見ると、店内を見つめる美しい女性の姿に気がついた。なんだか、刺すような視線の先が、自分に向けられているような気がして美咲は戸惑った。


「他にも、まだ欲しいものがあるの?」


 後ろで小坂が言ったので振り返り、また外の女性に視線を戻すと、既にそこには女の姿はなかった。


 なんだったんだろう?と思いながらも、そのことは小坂に一緒に入ることによって、すぐに忘れてしまった。


 買い物を終えると、BARでいっぱい飲まないかと誘われた。美咲はそれを受けて、その前に化粧を直したいと言って、化粧室へと向かった。


 ホテル一階のテナントのトイレは、夜の10時という時間帯もあり人気がなく静まり返っていた。


 美咲は鏡を見つめながら、この後の展開を想像しながら化粧直しをする。もしかして、この流れで朝まで行くかもしれない。そう考えると、顔がこわばるほど緊張する。


 しかし、相手は小坂。今までのところ非の打ち所がなく、美咲の心は、もっと小坂と一緒にいたいという思いに完全に傾いている。


 その時、ふいに化粧室に人が入ってきたので、美咲は慌てて口紅を塗り始めた。ありえないことだが、自分の想像していたことを見られたような恥ずかしさで顔が熱くなった。


 女は美咲の横に立つと、エルメスのバックからファンデーションを出すと同時に口を開いた。


「あの男はやめておいた方がいいわよ」


 ファンデーションを開けながら、女が鏡越しに美咲を見た。ジュエリーショップの外に立っていた女であった。


「……」


 年齢は20代後半といったところか。背がスラっと高く、黒のストレートのロングヘアに、スポーティなパンツスタイル、顔はチャーミングだが、どこか壁を感じさせる韓国の女優を連想させる美女だ。


「あの男、ひどい女たらしなの。あなた、きっと遊ばれて捨てられるわよ」


「いきなり、何ですか?」


 美咲は恐るおそる訊いた。


「あいつの女、婚約者って言った方がいいかもしれないわね」


「婚約者……」


「私もあいつの浮気を許しているわけではないの。でも、モテるでしょ。だから、あなたのような子がたくさんいるのね、もうひっきりなしで疲れるぐらい。でも、どれも遊びだから、仕方なく黙認しているの。あなたも本気ではないわよね?……あなたみたいな遊び慣れてない子は危険だから、ちょっと声をかけたのよ」


 美咲は、彼女の言葉が耳に入らないほど動揺していた。


「ねえ、聞いてるの?」


 化粧室に女の子が響く。


「えっ?はい」


「人のモノに手を出すとどうなるか?ちゃんと考えておいた方がいいわよ」


 そう言い残し、女は去っていった。


 一人残された美咲は、その通りだと思い始めた。小坂の待つ場合へは行かず、ホテルを出て、とぼとぼと家路に向かって歩き始めた。

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