第14話 デート
最上階のレストランに着くと、いかにも高級そうな入口の前で美咲は躊躇した。
入口から見える店内はまるで空気の層が変わったように、重くひんやりとしていた。美咲は押し戻されそうな、気持ちとなっていた。
去年まで女子高生をやっていて、学校帰りにマックに友達と寄るのが贅沢だったのに、それに比べるまでもないが、別世界のようで気圧されていた。
「いらっしゃいませ。お待ち合わせでしょうか?」
微笑を浮かべた、人の良さそうな案内人が現れる。
「小坂様を」
隣の淑女が言った。
「承っております。どうぞこちらへ」
美咲は行こうとして、入口に立ち止まる淑女に気づいた。
「あの、入らないんですか?」
「はい、私の役目はここまでです。後は、鮎川さまお一人でお願いします」
「えっ?……そんな」
「大丈夫、自信をもって」
淑女は、握りこぶしを胸の前に持ってきて微笑んだ。
案内係の後ろをついていくと、窓際の席にそれらしい男の人が一人、座っていた。
「こちらでございます」
席の近くで立ち止まって、案内係は手を差し出して美咲を促した。
美咲は緊張した面持ちで、窓際の席に向かって歩いて行く。
「あの……お待たせいたしました」
恐るおそる声をかけると、男は美咲を見上げた。
「遅いよ、いったい何分待たせていると思っているんだ?」
男の怒りを含んだ声に圧倒される。
「すいません、いろいろ準備をしていたもので……」
「はあ?あんた、誰よ?」
よく見ると、小男の中年男が、美咲を不審げに見つめていた。
「料理を運んできたわけじゃないみたいだね?」
「す、すいません。間違えました」
明らかに、プロフィールにあった小坂とは別人だ。とりあえず頭を下げる美咲。すると、横から腕を軽く触れられたので、美咲はハッとした。
「すいません、彼女は僕のテーブルと間違えたみたいです」
横を見ると、そこには若くてハンサムな男性が立っていた。
「こちらへ、どうぞ」
優しく肩のあたりに手を当て、美咲を席までエスコートする。椅子を引き、美咲を座らせて、自らも向かい合う席につく。
「初めまして、小坂雷蔵です」
悪戯っぽい笑みを浮かべ、自己紹介する。
「あの、私、鮎川美咲です。香夜舞さんの代役で来ました。かぐやは今日は来れなくて、でも、別にそれは、あなたがどうかとか、そういうわけではなく……」
「あなたが審査員ですか?」
「えっ?」
「何百人もの人とデートはできませんものね。だから、何人かに絞ろうと考えているのは普通です。これは、第二次審査といったところですかね?」
美咲は見透かされたようで、言葉が出なかった。
「今までは合格ですか?」
美咲は黙って頷いた。
写真で見るよりずっとかっこよく、優しい目をしていた。プロフィールには三十歳と書いてあったが、若々しく、それでいて大人びた魅力にあふれている。
柴の数年後、といったところだ。美咲は一遍に好意を持った。
「しかし、僕は失格かもしれないな」
突然、小坂が残念そうに言った。
「何ですか?」
「実は、かぐやさんと結婚したくて花婿に応募したわけではないんです」
これは意外だった。嬉しい意外だ。
「かぐやさんとビジネスがしたくて、応募したんです」
「でも、それなら、かぐやに直接言えばいいのでは……?」
「彼女には一度断られまして、普通のやり方じゃダメだと思ったんです。そんな時にこの企画が目に入り、僭越ながら応募したわけです」
「そうだったんですか」
「僕の会社のイメージガールとして彼女を起用したくて打診したんですが、あっけなく袖にされてしまいました。私のイメージに合わないって」
小坂はそう言って苦笑した。
「……それなら、力になれるかもしれません。かぐやと会えるようにすればいいんですよね?」
我が儘なかぐやの言うことを聞いてやっているんだ、人助けだの一つや二つ……という思いがよぎった。
「そうですか、それは助かります。ありがとう」
「いえ、いいんです。私も好きでこういうことしてるわけじゃないし、今日だってかぐやに無理やり来させられたわけですし……」
「相手が僕で、さらにがっかりしたでしょう?」
「いえ、そんなことはないです」
美咲は即座に否定した。
「それにしても、さすがはかぐやさんの友人ですね。かぐやさんに引けを取らない美しい人だ」
小坂は澄んだ瞳で真っ直ぐ見つめてきた。
「そんなことないです」
美咲の顔が熱くなった。
「こういう出会いでなければ良かったんですが……」
小坂は独り言のようにぼそりと言った。
ウェーターがやってきたので、美咲は小坂に注文を任せた。こういう高級レストランで何を注文していいのか分からない。
二人はしばらくお互いの話をした。
小坂はプロフィール通り、インターネットの会社を興して成功した実業家だが、どちらかといえばアウトドアな人間で、スキーやヨットなどが好きらしい。しかし、それも最近は忙しくて行けないとぼやいていた。
「すいません。つまらない話ばかりで」
小坂は屈託のない笑顔で謝る。
「そんな……素敵です。自分の人生を生きてるって感じで、羨ましい」
「鮎川さんは今の生活が楽しくないんですか?」
「いえ……楽しいです」
みさきは言葉を濁した。この瞬間が楽しい、と思っていたからだ。
ふと視線をそらすと、改めて東京の夜景が目に入った。それは、幻想的で見入ってしまいそうなほど美しい。
「また、会ってくれませんか?」
不意に小坂が訊いた。
「今度はプライベートで」
美咲の脳裏には、今の自分と普段の冴えない自分とのギャップがよぎっていた。今は最上級の自分だけど、今度会うときはこんなにお洒落できない。
まるで、シンデレラの魔法がとけた瞬間のように美咲は狼狽した。
「すいません、無理を言って」
「いえ、いいんです」
「それは、会ってくれるということですか?」
小坂が押してきた。
「……はい」
美咲は思わずうなずいた。
美咲の中で、小坂に対する好意が急速に膨れ上がっていた。
小坂はタクシーに乗るまで見送ってくれた。タクシーに乗った途端、デートの余韻に浸る間もなく電話が鳴った。
「で、どうだった?」
かぐやからだ。
「ど、どうもこうもないわよ。あなたって、いつも勝手なんだから」
美咲は、自分がかぐやの手の中で転がされているようで癪であった。
「あなたが背中を押さなきゃ動かないからでしょ。それはそうと、今夜はあと3人会う予定だから、お化粧を直しておきなさいよ」
「冗談でしょ?」
「私の結婚がかかっているに、冗談は言わないわ」
「だったら、自分で行けば……」
「じゃあ、よろしくね」
文句を言う前に電話は切れた。
「ふぅ」と息を吐き、座席にもたれかかりながら、疲れるが、悪くない夜だと思った。普段の自分とはまるで違う自分を演じられる、まるで劇中の主人公になったような気分だ。
近くのホテルに入り、二人目の花嫁候補と会った。
二人目は、木戸光一というプロのサックス奏者だった。この男はかぐやが来ないと聞いて、不満そうであった。
世界中を飛び回り、忙しい身であり、かぐやには自分を支えてほしいと言っていた。それは到底無理な話だと美咲は内心、思った。
三人目は、四十歳の騎手であった。選出した中で、最年長であったが、見た目の若々しさと大人の包容力でかぐやに合うのでは、と思って選出したことを覚えていた。
しかし、思ったより身長が低く、近くで見ると老けていた。そして、何より話はつまらなかった。
最後に会ったのは、映画のカメラマンをしている三十五歳の男であった。
ホテルの BAR で待ち合わせをしたが、場所が悪かったのか、それとも待たされすぎたのか、男はかなり酔っていた。
セクハラに近いことをされたので、そこでアウトとなった。
一晩で四人の男と会ったのは、美咲にとって初めての経験だったが、翌日からはもっとハードになった。
何しろ、かぐやには時間がないということで、一週間以内に三十五人すべてと会って、その中から十人を選出してほしいと言ってきたからだ。
次の日から一日五人のペースでデートを重ね、翌週には、なんとか十人を選出した。その中に、小坂の名前はなかった。
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