第10話 撮影





 目が覚めると二日酔いだった。


 重たい頭と鈍く痛む体の節々を引きずりながら、ベッドから抜け出す。相当、お酒を飲んだようだが、昨夜のことは上手く思い出せない。


 柴とその仲間たちと飲んでいたのは分かっているが、二軒目に移動するところまでは覚えている。しかし、その後、何かとんでもないことをしでかしたような気がしないでもない。


 美咲は、頭が冴えてくると徐々に後悔の念に襲われた。


 顔を洗って、リビングで父がテレビを見ていたので一緒になって見ていると、ふと、今日の予定を思い出した。


 午前中は事務所の仕事が入っていた。


「ヤバい」


 時刻は九時を回っていた。急いで事務所へと向かう。


 遅刻したのに、細木は怒るどころか、ちゃんと来たことを褒めた。芸能界というところは、時間に厳しいと思い込んでいただけに拍子抜けである。


「それじゃあ、早速、撮影に入るから。山ちゃんにメイクしてもらって」


 来て早々に言われる。


「撮影って、何の撮影ですか?」


 話と違うので驚く。


「ビデオの撮影だよ」


「ビデオ?」


 ビデオと聞いて、嫌な予感がよぎる。


「イメージビデオさ。とにかく山ちゃんにメイクしてもらって。それから、ちゃんと説明するから」


 細木は急かすように言った。


 メイク室で、山下にメイクをしてもらう。先日はうるさいぐらい話してかけてきたのに、今日はなんだか口数が少ない。


「セットのスタンバイができたから」


 細木が呼びに来た。


「あのぉ、衣装は?」


 普段着のままである。


「そのままでいいのよ」


 山下はつっけんどんに言った。


 美咲の目を見ようとしないのが気にかかる。


 妙な胸騒ぎを感じつつスタジオに向かう。先日と違う雰囲気、それはスタジオに入ってすぐに分かった。


 スタジオにはセットが組まれていた。ベッドに家具、ぬいぐるみがたくさん置かれた女の子の部屋のようだ。


 そこにカメラを向けられ、監督のような中年男性と、その横に助手らしき男が指示を受けている。スタジオの入口に立ち止まっていると、後ろから細木が肩を抱いてきた。


「さあ行こうか。……主役が来ました」


 細木の手を振る解こうとするが、その手は痛いほど強く握られていた。


「一体、何をするんですか?」


「決まってるだろうを撮影だよ。 AV のね」


「 AV?」


  その瞬間、体が硬直した。


「待ってください。聞いてないですよ、 AV なんて……」


「知らなかったじゃ済まされないだろう?ここまで来ておいてさ」


 細木の目がいつもの優しい顔から、冷酷な顔に変化していた。


「そんなの聞いてません」


 美咲は細木の手を振りほどこうとする。すると細木はあっけなく手を離した。


「そうか、君はあくまで抵抗するつもりなんだ?だが、こっちには契約書があると言うことを忘れちゃいかん。契約違反で訴えることもできる」


「そんな、契約は無効です」


 美咲は勇気を振り絞って声を上げた。


「当人を騙して契約した事項は無効が認められます。ちゃんと法律でそうなっているんです」


 美咲の強い眼差しに、細木は態度を変えた。


「あー、なるほど、真面目に勉強しているわけだ。だが、レッスン代やメイク、スタジオ使用料などの請求は、今、やめたら一部、君に負担してもらうことになる。数十万は払って貰う」


「そんな……お金はかからないって……」


 美咲は尻込みした。


 家は決して金持ちでもない。しかも、大学入学するために両親は借金までしたという。これ以上、迷惑かけたくないという気持ちがでた。


「まあ、よく考えることだな。……すいません、彼女は考える時間が欲しいそうです」


 細木は監督に向けて言った。


 よく見ると、連中はカメラで今までやり取りを撮影していたようだ。完全にパニックになる美咲。


「言い忘れたが、この撮影をこなせば、次々と仕事が舞い込んできて、大金が手に入る。今後の人生にもいい話だと思わないか?こんなことで大金が稼げるのも若いうちだけだぞ」


 細木は小声で囁く。


「しかも、ビデオは日本で市販されることはない、海外向けなんだ。だから、日本の知人が見ることは決してないんだよ」


 休憩場所として連れてこられた部屋は、5階の空き部屋であった。汚れたソファーに自動販売機が置いてあるだけのくすんだ部屋である。


 もちろん外から鍵がかかっていて出られない監禁状態である。30分考えろと言われた。


 携帯は、メイク室に他の荷物と一緒に置いてある。


 窓から抜け出そうと、唯一ある部屋の窓を開けてみたが、そこは5階。隣のビルとも離れていて、とても降りられそうにない。


 もし、 AV の撮影を断ったとしたら、何をされるか分からない。殺されることはないだろうが、無理やりされる可能性もある。美咲は怯え、また憤った。


「ここを出たら、絶対に訴えてやるから」


 メラメラと怒りが込み上げてきた。


 かといって、何か手があるわけでもない。もう一度、窓を開けて外を見て、何とかならないかと考えていたそのとき、後ろでドアが開く音がした。


 振りかえると、若い女が入ってきた。若い女が鼻歌を歌いながら、軽い足取りで自動販売機でジュースを買いはじめる。


 その横顔を茫然と見ていた美咲が、ハッと我に返り叫んだ。


「かぐやっ」


 かぐやは、うるさいな、という表情で美咲の方を見た。


「あら、美咲。あなた、ここで何してるの?」


 かぐやは面倒くさそうに言った。それが余計に美咲を混乱させる。


「あなたこそ、ここで何してるの?ミラノじゃなかったの?」


 とどうでもいいことを最初に訊いた。


「ミラノは台風の影響で行けなかったの。でも、これからタヒチへ行く予定、それじゃあね」


 かぐやは何事もなかったように、部屋から出ようとする。


 美咲は閉まるドアを慌てて押して外へ出ようとした。


「ちょっと、入ってなくちゃダメでしょ?」


 かぐやが押し戻そうとする。


「ちょっと、冗談はやめて。監禁されていたのよ、 AV に出るまで閉じ込めるって。そうだ、あなたもきっと騙されてるのよ」


 美咲は必死に訴るが、かぐやは鼻で嗤って、


「私は違うわよ。どこに行ったって VIP 待遇だからね」


「また、そんな呑気なこと言って……どうすんの、力ずくで犯されたりしたら?」


「それより、あなたさっき AV がどうたらって言ってたけど、出る気ないの?」


「あたり前じゃない。なんで AV なんかに……」


 美咲は、かぐやの神経を疑うような目で見つめる。


「いいと思うけどなぁ、あなたきっと合ってるわよ」


「バカなこと言わないで」


 美咲は本気になって怒る。


「女は見られた美しくなるものよ。自分のすべてをさらけ出して美しくなることがそんなに嫌なの?」


「そういう問題じゃない」


「そういう問題でしょ。それにセックスは女性ホルモンを活性化させる、新陳代謝を促進するの。あなた最後にセックスしたのは何時?」


「なんて質問をするの」


 美咲は顔を赤らめる。


「そっか、まだなんだ。だから、そんなにギスギスしてるのね? 」


「そんな、ギスギスなんてしてません」


「それにお金。……あなたは女性につけられる値段って知ってる?」


「何よ、それ?」


 美咲もだんだんと不機嫌になっていく。


「いい?例えば、ある人間が殺されたり、事故死したりする。その時に、加害者側を支払う損害賠償金の額は、男性より女性の方が圧倒的に少ないの。それが法律が定めた常識として女の値段なのよ。他にも、男の中卒と女の大卒では生涯賃金があまり変わらない。これって、明らかに不公平だと思わない?」


「それは、まあ……」


「でも、よく考えてみて。女が一生に稼ぐお金って、確かに一般の職に付いたら、男の方が多く稼ぐだろうけど、女はやり方一つで、元手をかけずに大金を手にすることができる。違う?」


「それって、つまり体を売るってことでしょ?」


「どこがいけないの?女は自分を売って、お金が手に入る。これは、ちゃんと社会通念にも生物学的にも則っている。女の売り手市場なのよ」


 かぐやが言うと、なんだか間違ったことも正しい事のように思えてくる。


「で、でも……体を売ることによって負うリスクはあるわ。それに、いくらお金が入ると言ったって、自分の信念には逆らえないわ」


「だから、あなたは子供なのよ。そんな小さな思い込みのせいで、自分の目の前に広がる世界を閉ざしてしまうなんて、もったいないとしか言えない」


 ああ言えば、こう言う。何を言っても、ヘリクツを返してくるかぐらに美咲は疲れて、ため息をついた。しかし、かぐやは続ける。


「そんな、ちっぽけなプライドのために、あなたはいったい幾つのチャンスを失ってきたの?目の前にあるチャンスをボウに振って、あなたはいつも自分に、これは自分のチャンスじゃなかった。手に負えなかった、運がなかったって、諦めて何もしなかったんでしょ?チャンスを掴めないのは当然よ。自分からチャンスの芽を摘み取っているんだからね」


 かぐやの言葉に息がつまった。


「は、話を逸らさないで。そんな話をしてないでしょ」


「ここら辺で自分を変えるチャンスじゃない?」


 そのとき、エレベーターの扉が開き、細木ともう一人、丸坊主で巨大な中年男が出てきた。


「かぐやちゃん、こんなとこにいたんだ。探したよ」


 巨大な男が体に合わない猫なで声をあげた。


「社長、もう寂しがりなんだから。ちょっと離れてただけでしょ?」


 かぐやも負けじと甘えた声を出す。


「じゃあ、打ち合わせの続きをしようね」


「はい、はい」


 かぐやは社長についてエレベーターに乗り込む。


「ちょっと、かぐやっ……」


 呼び止める美咲に、かぐやは手を振ってドアが閉まる。


「決心がついたかい?」


 細木が訊いてきた。


 美咲は、しばらく考えて静かに首を縦に振った。

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