第8話 モデル
美術サークルでは今、人物画コンクールと題して学内から作品を募集していた。
テーマは「好きな人」である。
男子部員のほとんどが、と言っても四人しかいないが、かぐやを誘いたいと思っていたが、今週のかぐやはグラビアの撮影があるということで、大学を休んでいた。
美咲は、モデルを探して学内をうろつき、いつの間にか茶道サークルの茶室の前にいた。
茶道サークルの部長は柴龍太郎であった。だがとても、「絵のモデルになってくれ」とは言えないが、モヤモヤした思いが茶室の前をうろつかせていた。
「あの、何か?」
和服の綺麗な女の人に声かけられて、ドキッとする美咲。
「いえ、何でもありません」
と急いで茶室の前から立ち去る。
廊下を曲り、ひと息つくと男たちの噂話が聞こえてきた。
「かぐやさん、今週はミラノだって」
「ミラノって、イタリアの?」
「当然だろ。どこかの雑誌社と契約を結んでいて、写真集を出すらしい」
「マジか、すごい。流石はかぐやさん」
「もう完全に雲の上の人って感じだな。……でも、空の上でも見ていたいよね」
「そうだな」
男たちのかぐやの評価は、常に女神のように高貴で、天使のような微笑みを湛えた純真無垢な女性といったとこだ。
しかし、間近で見ているかぐやは、単なる美人で、地上に落ちた堕天使のようである。そのギャップが気に入らない。
もちろんかぐやを友達だと思っているが……。
でも、自分との違いは、容姿の一部分、例えるならアムスメロンとアンデスメロンぐらいの違いしかないと思っている。見た目がすこし違うが、味はそれほど違わないと。
男たちにはその違い大きいようだが……。
美咲は落ち込んでいた。自分に無いもの、それは美しさより何より人を惹きつける力、魅力のように思えた。
本当に柴のことが好きなのか、自信もなかったが、日々、柴のこと思い出すたびに胸が痛くなる。
彼を振り向かせる方法は、自分に自信を持ち魅力的になること。
でもその前に、本当に彼のことが好きなのか、確かめたく、もう一度、茶道部の前まで行った。
ちょうど茶道部部員が出てきて、最後に柴が現れた。
その瞬間、美咲の心臓は激しく高なる。
やはり柴のことを強く思っているのか、と認識したその時、柴の後ろに気を配り、誰かに話しかけていることに気づく。
柴の後ろから先ほどの和服の女性が現れた。二人は親しげに話し、一瞬にして、その関係が只ならぬものだということがわかった。
「それじゃあ、例の場所で待ってる」
柴が手を振って行ってしまう。その後ろ姿をしおらしく見送り、(和服の姿なのでそう見える)女が茶室に戻ろうとして、美咲と目が合った。
「あなたはさっきの?」
女が何かを言おうとした時、美咲は無視してその場を後にした。
それから学校を抜け出し、しばらく街をブラついた。そして夜になると、決心したように例の名刺を取り出し、電話をかけるのであった。
* * * *
指定されたビルは街中から少し外れたとこにある古びた雑居ビルであった。
バブルの時、地上げのために取り残されたようなビルの造りに、華やかな芸能界とかけ離れたイメージを抱く。
ガタついたエレベーターで3階へと上がる。ドアが開くと、すりガラスのドアで仕切られた雑誌社のような雰囲気の事務所が目の前にあった。
そこには『ニュー・エナジー・コーポレーション』と言う文字が貼られていた。それがいかにも即席で貧乏くさい。
引き返そうかと立ち止まっていると、中から見た顔が現れた。スカウトにしてきた細木だ。
「いやぁ、もう、そろそろ来ることだと思って迎えに出ようとしたんだよ。分かりにくかったでしょう?このビル」
細木は笑顔で出迎えた。
「どうぞ、さあ入って、入って」
入るように促されて、美咲はなんだか退路を断たれたような気がした。
オフィスと言っても机が二つ、あと奥の方に応接用のソファーがあるだけであった。細木は奥の応接室に美咲を連れて行く。
「さあ、座って」
安物のソファーに勧められ、居心地が悪そうに腰をかける。
「うちは主に、グラビアとかイメージビデオとか、コンパニオンの派遣のなんか、結構、手広くやっているんですよ。トップを目指す子もいますが、週一芸能人なんかで、手軽に学校と両立させて学業に支障が出ない程度に仕事もできます。大手事務所などのパイプもあり、スターダムにのし上がっていった子もいますよ」
「はあ」
美咲はとりあえず頷く。
本気でやりたいのではない。勢いで来てしまった感じだ。
「で、君はどういう風になりたい?強い気持ちを持つことで、なりたい自分になれるよ」
細木は笑顔を崩さずに言った。
「今の自分を変えたいです。……もっと綺麗になり、自信をつけたい」
「そう。……いや、君は十分に美しいし、いいものを持っているよ。ボクは仕事柄、人を見る目があるんだ、間違いない。……今日は具体的な話をやめて、プロのメイクさんに、メイクしてもらって、何枚か写真を撮ってもらう?時間はあるだろう」
プロのメイクと聞いて、心が揺れた。
「はい」
「それじゃあ、今から準備するから。履歴書は持ってきたよね?」
「はい」
美咲はバックの中から履歴書を取り出し、テーブルの上に置いた。
「それじゃあ、これを書いていて。簡単なアンケートだから」
細木は薄っぺらい紙を取り出し、机の上に置き、代わりに美咲が出した履歴書を取ってデスクの方へいった。
美咲は一人、応接室に取り残され、机の上の紙を見下ろす。
アンケートと書かれた紙には、住所、氏名、年齢、職業、志望動機、やりたい仕事、将来の夢などの欄がある。
それらのマスを埋めていると、細木が現れた。
「準備ができたから。どうぞ、こちらへ」
細木の後について例のガタついたエレベーターで4階へと上がる。
4階は静まり返り、狭い廊下の先にドアがいくつかある。細木はエレベーターから降りてすぐ手前のドアをノックして中に声をかけた。
「連れてきました」
なんだか心細さが募ってくる。これでは何をされても思うままだなと考えていると、中から女の声が聞こえてきた。
「どうぞ、入って」
中に入ると、40代後半ぐらいの太った厚化粧のおばさんが笑顔で立っていた。
「こちらはうちの専属のメイクさん、山下さつきさんって言うの」
「よろしくね」
山下はどこか、水商売を思わせるような雰囲気を漂わせていた。
「どうも、よろしくお願いします」
美咲はオドオドしながら部屋の中に入り、挨拶をした。中は狭く、全面鏡張りの明るい部屋でメイク台には多種多様な化粧道具が所狭しと置かれていた。
「少し地味だけど、素材はなかなかね。あなた、メイクで化けるタイプよ」
山下がそう言って椅子を促す。
「それではよろしくお願いします。ボクはスタジオの方で、準備を手伝ってきますから」
そう言うと、細木は部屋を出ていった。
椅子に座り、緊張した自分の表情を鏡の中に見る。
「リラックスしてね。別に取って食おうって訳じゃないから」
山下が鏡越しに微笑む。
美咲が笑みを返し、少しリラックスした。今まで胡散臭かった山下とこの部屋に馴染み始めていた。
「顔の造形が良いけど、それを生かす方法を知らないだけ。それを分かるようにすれば絶対に美人に見える。今から、おばさんが変身させてあげるから」
そう言うと山下は元のメイクをクレンジングで落とし始めた。
雑談を交えながら30分、あっという間に美咲のメイクは終わった。
「どう、気に入った?」
鏡に映る美咲を見つめ、満足そうに山下は訊いた。
「え、ええ……」
鏡に映る自分は、先ほどとはまるで違った大人の雰囲気が漂っていて、バッチリとメイクを施されている。だが、どう見ても水商売っぽい。
これなら、いつでもお店に出られるわよ、と言われているようであった。
「とっても綺麗……それじゃあ衣装に着替えて、一緒にスタジオへ行きましょう」
二人は別室の衣裳部屋に行き、色々と衣装を選ぶ。結局、初夏のワンピースというイメージを山下が選び、それを着てスタジオへと行った。
スタジオは、同じ4階にあり、部屋に入るとガランドウな空間の奥にセットが組まれていて、その横に休憩所のように区切られた長い机のパイプ椅子が置かれていた。
そこにカメラマンらしき男たちと細木の姿があった。
「いやぁ、見違えたよ。とっても綺麗だ」
嬉しそうに細木が近づいてくる。
「じゃあ、始めようか。奥のセットに行って」
カメラマンがセットの方へと促すので、美咲は重い足取りで向かう。カメラマンは慣れた動作で、その姿をすでにフレームを中で捉えている。
セットの中央に立つと、早速シャッター音が聞こえる。
「いいねぇ……可愛いよ。目線をカメラの方に向けて、じっと、見つめるように……そう」
カメラマンは指示を出しながら、シャッターを切っていく。徐々に慣れて、美咲の動きも滑らかになっていく。
「またスカウトしてきたのか?よく働くな、お前はよ」
撮影を見ていた細木の背後に、頭一つ突き出た2mはありそうな巨大な男が現れた。
「彼女たちが飯の種ですから」
細木が振り返らずに言った。
「今回の女はずいぶんと真面目そうだが、大丈夫か?」
「清純派で売って行きます。初心な娘は、今も昔もウケますからね」
細木は、細い目を更に細くして笑う。
後ろにそびえる巨大な男は、腕を組み仁王立ちで撮影風景を見つめていた。
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