第7話 スカウト





「ちょっと、約束が違います」


 藤田若菜が一歩身を引いた。


「約束ってね、ちゃんとここに契約は取ってあるはずでしょう?」


 眼鏡の奥の細い目が冷酷に若菜を見つめる。初めて会った時は優しい笑みが安心感を与えていたのに、今は真逆だ。


「……まさか、そんなことをするなんて、絶対に嫌です」


 若菜はなんとかその場から逃れようと室内を見回した。


 だが、部屋にはベッド、カメラを持った男、マネージャーとしてついてきた細目の男。そしてブーメランパンツ一枚の体格の良い筋肉質な男が中央に立つ。皆、一様に若菜を威圧する目で見つめている。


「さっさと済ませばいいんだ。いつもやってるようにね」


 細目の男がいった。


「嫌です。もし、何かしたら、警察に訴えますから」


「警察?ああ、訴えればいいさ……」


 細目の男は動じることはなく、慣れたように頷いた。


 若菜は涙を浮かべて俯いた。


「こっちにはちゃんと契約書があるんだから、今更できないでは済まされないんだよ」


 若菜はこの時、初めて甘い誘いと数々の待遇はこの為の布石だと悟った。


 細目の男が離れていくと、代わりに若菜の隣にブーメランパンツ一枚の男優が座った。


「大丈夫、何も怖いことなんかない。それどころか天国に連れてってあげるから」


 近くで見ると、なかなかのイケメン男優で、笑顔も爽やかであった。


 その優しく包み込むような雰囲気に、若菜はだんだんと鈍化していき、嫌だという思いから、いつしか、(まぁ、いっか)と変化していった。








 *       *       *       *








 美咲は携帯電話で時間を確認しながら早足になった。


「合コンで、女一人足りないから来て」


 かぐやから突然の電話。


 試験を来週に控えて勉強中の美咲は当然、「行けない」と断ったが、いつものように強引な押しの強さに、行かざるを得ないという思いになった。


「もう……勉強しないといけないのに」


 文句をブツブツ言いながら、指定された居酒屋に急ぐ。


 いつも必死で勉強している美咲と、遊び惚けているかぐやの成績がほぼ一緒なのが、美咲には大いに不満であった。


 今回こそ、大きく突き放してやるという思惑を挫こうとする誘いを、断れない自分も本当に情けない。


「……ちょっと、いいですか?」


 背中から美咲を呼び止める声がした。


 振り返ると、若いスーツ姿の男が立っていた。場所は渋谷の近くで、もしかしてナンパか、キャッチかと緊張する。


「私、芸能事務所で、モデルやタレントのスカウトなんかをしているんですが、あなたはすでにどこの事務所に所属されていますか?」


「え?」


 いきなり芸能事務所や、モデルとかタレントのスカウトと言われても、あまりピンとこない。


「……いえ」


「そうですか、それは良かった。あなたのようにスタイルが良くて、美人な人はめったにないですからね。すでに事務所に所属していてもおかしくない。ラッキーです」


 なんだかよくわからないが、男はニコニコしながら、背中がムズ痒くなるようなセリフをいとも簡単に言って微笑んだ。メガネの奥の優しそうな目が、なんだか好感を持ってる。


「タレントやモデル活動に興味はないですか?」


「いえ、無いです」


「良かったら、話だけでもさせてもらえませんか?どういった仕事か、知ってもらってから判断してほしいんです。お時間は取らせません。……学生さんですよね?」


「はあ……そうです」


「学生さんでも学業やサークルなどの邪魔にならずに、モデルの仕事はできます。それに何より普通のバイトより金がいいです。興味はありませんか?」


「興味は……」


 悪い気はしない。


 モデルになってお金を稼ぐのは、女性なら誰でも一度は考えることだろう。しかし、自分なんかができる仕事だとは思ってもいない。それぐらいは弁えている。


「ないです」


「えー、もったいない」


 男は動じることなく、つかさず返した。


「こんなにスタイルがいいのに……身長は170 cmぐらいですか」


「169 cm です」


「顔だって……今は、ほとんどメイクしてないようだけど、プロのメイクアップに任せれば、その辺のモデルより絶対に美しくなりますよ。一度、そういった経験をしてみませんか?お金は取りませんから」


 褒められて、美咲は心が揺れる。


「モデルをやるかやらないかは別として、プロのメイクを受けてみる気はありませんか?自分にこんな一面があるのかって、人生観が変わりますよ」


 男は満面の笑みで言った。心の重心が徐々に男の甘言に傾いていく。その時、携帯電話が鳴り響く。


「ちょっと、すいません」


「ちょっと、あなた何やってんの?早く来なさいよ。まさか、街角でナンパなんかされてないわよね?」


 相変わらず、ドキッとすることを言う。


「違うわよ。……すぐ着くから、ちょっと待ってて」


 慌てて携帯電話をしまって、男に頭を下げる。


「申し訳ないです。急いでいるんで……」


「じゃあ、名刺を渡しとくよ。気が変わったら電話してきて。いつでも OK だから。君なら絶対にモデルになれる、間違いないからね」


 確信に満ちた目を向ける男に対し、美咲は顔が赤くなるのを感じた。


 名刺を慌ただしく受け取り、かぐやの待つ居酒屋へと向かった。





「ジャジャーン。これが、今日でた各大学のミスコングランプリの優勝者が載った雑誌。因みに巻頭10ページがこの私」


 居酒屋のテーブルの上に週刊誌を置くかぐや。


「早速、近くの本屋に買いに行きました。観賞用と保存用の二冊、買いました」


「さすがはかぐやさん、やっぱダントツに輝いていました」


 取り巻き達がかぐやを持ち上げる。


 少しこ洒落た居酒屋の座敷席を占領してかぐや達一行は居た。


「ありがとう。これもすべて、あなたたちのおかげよ。これからもよろしくね」


「もちろんです。この勢いで芸能界デビューなんかしちゃうんじゃないですか?」


「さあ、どうかしら?」


「おおっ」


 一連のやりとりを聞きながら、近づいて行き状況を知ると、美咲は心の底からため息をついた。


 合コンと言うから来てみれば、かぐやは一人、女王様のように中心に鎮座しており、その周りを男たちが崇めるように座っていた。


 店内には他にも客はいるが、店主もかぐやがたくさんの客を連れて来てくれることをいいことに、かぐやの席の盛り上がりを注意する様子もない。


「私、いらないじゃん」


 トボトボと一同の前まで来た。


「あの……」


「今、色んな事務所から誘われているけど、今のところ芸能界に入る気はないわ」


「おー、さすがかぐやさん」


「でも、芸能界デビューなんてしたら、かぐやさんが遠くへ行ってしまうようで、寂しいな」


 一人の学生がいった。


「元々、お前の近くになんていないって言うの」


 一同に爆笑が起こる。美咲は完全に無視された。


「あの、遅れてすいません」


 ちょっと声を張る。


「かぐやさんなら、日本にとどまらず、世界に通用するんじゃないですかね?ハリウッドとか」


「それじゃあ、ますます手の届かない存在になっちゃうよ」


「だから、お前の手の届く範囲にかぐやさんはいないっつーの。勝手にそう思っているだけだぞ」


 そこでまた爆笑する一同。


「すいませ~ん」


 一同の笑い声が治った時に、美咲の大声が店内に響いたので、皆が一斉に美咲を注目した。


「あなた、遅いわよ」


 かぐやはその一言で片付ける。


「ごめんなさい」


「どこでもいいから、座りなさい」


 かぐやに言われて、席を探す美咲。


「恒例の女王様ゲームを始めませんか、かぐやさん?」


 一人が静寂を埋めるように言った。


「いいわよ」


「イエーイ」


 男たちが盛り上がってる中、一人、美咲は蚊帳の外のように座敷に上がり、一番隅にとりあえず座った。


「女王様ゲームって何?」


 と隣のとこに聞いても答えてはくれない。そんな中今王様ゲームを始まった。


「女王様だーれだ」


 とかぐやが言うと、つかざす男たちが声を揃えて「かぐや様」と叫ぶ。


「じゃあ、1番と3番がじゃんけんして、負けた方が相手の指を舐めて、その臭いを嗅ぐ」


 場は異常に盛り上がっている。


「どこが面白いの?」


 一人、残された美咲はぽつりと呟いた。


 そして、鞄の中からさっきは渡された名刺を取り出してみる。


 そこには『ニュー・エナジー・コーポレーション』という会社名とスカウト担当、『細木和久』という名前、電話番号が印刷されていた。


 美咲の中に眠る、女としての本能が疼き始めていた。

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