蒼白の剣

@Jaco846

第1話 灰色の世界

 少年は歩いていた。暗く生い茂った草木が行く手を何度も阻み、その都度その小さな手で押し分けて進んだ。額に張り付いた前髪は水分を含んで随分と重量を感じる。少年はひたすらに進んだ。一心不乱に前へ、前へと。時折空を切るように手を払いながらも足を止めることはない。

 ようやく森が開けて視界いっぱいの青い湖にたどり着いた。水面に燦燦と太陽が降り注ぎ揺らいでいる。幻想的なその風景に、少しばかり目を細め照り返した光を忌々しそうに一瞥して湖のほとりを歩いて森の奥へと向かう。湖の周りはわずかな砂地があるばかりですぐ脇には鬱蒼と生い茂る草木が己を主張するように、しかし湖を避けるように生えていた。少年が一人通れる程度のその砂地を裸足の少年は歩いていた。


「…はぁ…っ」

 額に張り付いた長くそぞろな前髪から深く暗い夜空のような青い瞳がのぞく。小さな口から思わずため息が漏れた。

 ひたすらに前へと進めていた歩幅が徐々に緩やかになり、やがて止まった。気づけばつま先は少し血がにじんでいる。擦りむいた膝も、投げられた石が当たった背中や頬も今更痛くなってくる。少年は歯を食いしばって上を向いた。鬱蒼とした森からの木漏れ日が少年に降り注ぐ。やはり眩しくて目を閉じてしまう。目を閉じた拍子にたまっていた涙が頬を伝うのが分かった。


「…っ…。なんで、僕だけ…」

 少年の目には滲んでぼんやりと輝く灰色の光しか見えなかった。なぜ自分だけ色がないのだろう、なぜ自分だけ独りぼっちなのだろう、周りの世界が不思議でたまらない。何一つ自分と被っていない。恐ろしいほどに異なる世界で少年は一人で生きていた。


 確かに、そこに少年は生きていたのだ。





 物心つく頃にはもうすでに独りぼっちだった。家族や親しい人間は誰もいない。どうやってここまで生きてきたのか、それすらも曖昧で、少年は一人、いつも一人だった。


 それもこれも少年の容姿とその色盲を抱える両目ともに違う色をした瞳のせいだった。人口の少ない村では異質なものを排除するかのような視線がありとあらゆる人から向けられる。老人から大人、少年よりも背の低い子供でさえ少年を異質なものとして認識していた。

 少年は村のはずれの小屋でひっそり侘しく山守りをして生活していた。自然の豊かなこの森にはたくさんのモノが住まう。獣、魔獣、精霊、幾ばかりかの良くないモノも。そんなモノたちが森から出てこないよう毎日森に入っては様子を伺うのが少年の仕事だった。押し付けられた仕事だが、森に入っている時だけが少年に少しの平穏をもたらしてくれるのだった。

 山守りという仕事を一応こなしていたため、大人たちは少年を痛めつけるようなことはしなかった。認識もせず、存在が見えないような態度で目も合わない。しかし、子供はそうもいかない。自分たちとは全く異質な少年を村のガキ大将が寄ってたかって少年に石を投げ、水をかけ、足蹴にする。少年はただ黙してその時が過ぎるのをひたすら待った。

 自分が、他の人と違うから。仕方ないのだ、と言い聞かせながらじっとうずくまり強く目を閉じた。


 ああ、どうして。僕だけこんなにもほかの人と違うのだろう。同じようにしたいのに、同じように暮らしたいだけなのに。


 強く閉じた目に涙がうっすらと滲んだのをみるとガキ大将らは満足そうににやりと笑みを浮かべ最後に一蹴りして去っていった。うずくまった少年に手を差し伸べるものはなく、痛みに耐えながらゆっくり起き上がると少年は一人、森の小屋へと帰っていくのだった。




 次の日も少年は森へと向かう。その次の日も、またその次の日も。森と小屋の往復が少年の日常だった。けれども少年はちっとも辛さを感じることはなかった。

 少年は森が好きだった。見える世界はすべて灰色ではあったが、村にはないものがたくさんあった。果実や名前もわからない植物、大きくそびえたった少年の十数倍もあろう巨木やいつも遠巻きに少年を伺う動物たち。あれは何色なのだろう、これは何色なのだろうと想像しながら歩くのがとても楽しかった。

 魔獣もいるようだが、少年は一度もであったことがなかった。恐ろしくもあったがそれでも少年は自分の知らない世界に心を弾ませていた。

 そう、森の中ではすべて等しく平等であるのだ。村ではのけ者にされている少年を悪意を持って傷つけるものもなく、弱肉強食がすべてなのだった。そんなことを考えてふと、村でもやはり弱肉強食なのかもしれない、と思い当たった。

 自分が弱いから、人と違う見た目をしていて、色もわからなくて、だからきっと周りの人たちは嫌なことをしてくるのだろう。けれども少年にはどうする力もまだなかった。

 少年にあるのは、人と違うシルバーグレーの髪と左右で違う瞳、森を駆けるだけの体力と人より優れた視力。それだけだった。

 森を歩いているとたまに見かける白い筋。顔の周りを飛び回ってくることもあり、手で払いのけてもそれに触れることはない。


「もう、…鬱陶しいなぁ。あっちいけ!」


 ぶんぶんと振り回される小さな手をあざ笑うかのようにひらりひらりと軽くかわされる。少年はムキになって追いかけては迷子になる。

 そんな日常と灰色の世界と陰険な人の村が少年の世界のすべてだった。あの時までは。


 この灰色の少年の人生を大きく変える出来事が起こるまではあともう少し。少年はまだ知らない。この世界の大きさとこの世界の色とそれから自分自身のことさえも。








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