いつかまた、あの大樹の下で

深海 悠

いつかまた、あの大樹の下で

「春樹」

 懐かしい声が聞こえた。

 辺りを見回すと、祖父が大樹に寄りかかるように座っていた。

「じいちゃん」

 こっちにおいでと祖父が僕に向かって手招きしてきたので、僕はなだらかな坂道を歩き、祖父の隣に腰を下ろした。

「じいちゃん、久しぶり。元気だった?」

 祖父は読みかけの歴史小説を地面に置き、「元気だよ」と答えた。

 僕は昔から、祖父の穏やかな声が好きだった。

「春樹はうまくやってるか?」

「・・・・・・まあ、ぼちぼち」

 祖父の問いかけに答えながら、自責の念に苛まれた。

 つい先日、働いていた会社を辞めた。長時間労働や営業ノルマ、上司からの圧力に耐え切れず、辞職してしまった。

 昔から辛いことがあるとすぐに逃げてしまう。そんな自分が嫌いなのに、何度も同じことを繰り返してしまう。

「春樹は相変わらず嘘が下手だなぁ」

 祖父は笑いながら、大きな手で僕の頭を優しく撫でた。

 祖父は剣道の先生をしていた。そのせいだろうか、祖父の手は僕よりもずっと分厚かった。

「ごめん、じいちゃん。俺、駄目な奴だったわ」

 両親に辞職したことを伝えた時、何も言われなかった。

 失望。軽蔑。もしくは呆れ果てて何も言えなかったのか。

 自分が駄目な人間であることは、自分が一番分かっていた。

 涙がボロボロと零れ、零れ落ちる涙を手で拭った。

「生き急がなくていい。疲れた時は休むのが一番だ」

 祖父の言葉に、ただただ頷いた。

 ひとしきり泣いた後、僕は深呼吸して息を整えた。

「じいちゃん、お迎えに来たんでしょ?」

「ああ」

 祖父は大樹から離れ、夕暮れの街並みを見おろした。どんどん日が沈み、辺りが薄暗くなってきた。

「じいちゃん。あのさ、写真撮らせてよ」

「写真?そんなもん、撮らんでいい」

「記念だよ、記念。僕が欲しいんだ」

 ズボンのポケットからスマホを取り出し、カメラアプリを起動した。

「ほら、こっち向いて笑って」

 祖父は何とも言えない表情で僕を見た。

「ごめんな、傍にいてやれなくて」

 シャッターを押した瞬間、目の前にいた祖父が消え、自室の天井が見えた。

「・・・・・・夢か」

 机の上に置いていたスマホに手を伸ばし、窓の外に身を乗り出した。

 その日は、星ひとつない真っ黒な空が広がっていた。

 パシャ、パシャ、パシャ、パシャ。

 スマホのシャッターボタンを押しながら、別れ際に見せた祖父の顔を思い出した。 

 祖父は、一昨年の初夏にこの世を去った。祖父の写真を撮っていなかったせいで、父は祖父の遺影写真を探すのに苦労していた。

「もっと、写真撮っておけばよかったな」

 祖父の夢を見た数日後、祖母が亡くなった。その日、僕は二人が大樹の下に座って笑いあっている夢を見た。


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いつかまた、あの大樹の下で 深海 悠 @ikumi1124

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