チンピラ達の無茶振り


「……いらっしゃいませ」


 出来る限り感情を抑え、声色も平坦に、次郎は彼らに挨拶をする。


 そして各々の目の前に水の入ったコップを静かに置き、そのまま踵を返そうとした。


 しかし、その直前に。


「おう、待てや」


 次郎の背中に、松永の声が投げ掛けられる。 


 その言葉と共に、次郎の肩をガシッと掴む手が現れた。


 振り返ると、そこには鋭い目つきをした松永の姿がある。


「……何か?」


 常人なら怯んでもおかしくはない状況。しかし、次郎は眉一つ動かさずに松永の顔を見返した。


「注文を取ってくれよ、兄ちゃん。もう決まってっから、早いとこ頼むぜ」


「……かしこまりました。ご注文を伺います」


 有無を言わさぬ威圧感を放ちながら、松永が言う。


 それに臆する事無く、次郎は淡々と返事をして伝票を手に取り、注文を受ける態勢に入った。


 松永はそうした次郎の様子を確認すると、下卑た笑みを浮かべ、注文内容を口にする。


「じゃあ、俺はカツ丼だ。大盛りでな」


「……あの、お客様。うちにはそういったメニューは―――」


 メニューに載っていない注文受けたが為に、思わず次郎が口を挟む。だが、その途中で他の二人が彼の言葉を遮った。


「俺は親子丼でも頼むかな」


「なら、俺はカレーライスで」


 二人は松永と同じ様に笑みを浮かべながら注文をするも、その注文もメニューには無いものだ。


「……ですから、うちの店にはその様なメニューはございません。他の注文をお願いします」


 次郎はあくまでも冷静に対処する。しかし、それは許さないとばかりに松永は次郎に詰め寄って来た。


「俺達の注文が受けれないというんか? なぁ? お客様は神様だろうが。だったら、その要望に応えるのが店側の務めってもんだろが。違うか?」


 松永は飽く迄、自分達の意見を押し通そうと無茶を口にする。そうした不遜な態度に、次郎は内心で怒りを感じていた。


 しかし、それを爆発させる事は到底出来ない。彼らはいくら無茶を言おうとも、客である事は変わりない。


 そんな相手に次郎が反抗する訳にはいかないのだ。そして、松永達の狙いが自分を怒らせて手を出させる事であるのを理解している。


 だからこそ、次郎は耐える。ここで自分が手を出してしまえば、この店で何をされるか分かったものでは無い。


 それに―――一度、騒ぎが起きてしまった場合、近くで恐ろしいまでの殺気を放っている雪乃が何をするか、想像もつかないからだ。


 しかし、そうした次郎の事情など知らぬと、雪乃が放つ殺気に気づかぬまま、松永は次郎に詰め寄る。


「さぁ、早くしてくれよ。こっちは腹が減っていて、気が立っているんだ」


 そう言って、松永は次郎の胸倉を掴んだ。その瞬間、次郎は反射的に拳を握り締める。しかし、そこで思い留まった。


 もしもここで反抗すれば、きっと雪乃はここぞとばかりに動く。彼女の性格を考えれば、間違いなく今まで次郎に向けてきた仕打ちに対して報復をする。それがどんな結末を生む事になるのか、次郎には容易に予想がついた。


 下手をすれば、この店が完全に彼らの組織の標的にされる。そうなってしまっては、商売どころの話ではない。最悪、店を畳むしかなくなってしまう。


 それだけは何としてでも避けなければならない。だから、次郎は必死に耐えていた。


 しかし、そうした次郎の忍耐も直ぐに終わりを迎える事になった。それは次郎の胸倉を掴む松永の手を、いつの間にかやってきた邦彦が掴んでいたからだ。


「……かしこまりました、お客様。注文内容はカツ丼の大盛と親子丼、それとカレーライスでございますね。直ぐに作りますので、少々お待ち下さい」


 邦彦はニッコリと笑顔を浮かべると、次郎の胸倉を掴んでいる松永の手を引き剥がす。


「それと、お客様。他のお客様に迷惑が掛かりますので、これ以上の乱暴行為は止めて頂きますよう、お願い致します」


 邦彦の言葉に、松永達は舌打ちを漏らすと自分の席にへと戻っていった。


「ちっ、クソが。なら、さっさと作って持ってきてくれよな」


「はい、直ぐに」


 邦彦は丁寧に頭を下げると、厨房に戻っていった。それを見た次郎も、追随して厨房に入っていく。


「おい、ジジイ……」


 次郎が邦彦の背後から声を掛けた。


 すると、邦彦は振り返らずに返事をする。


「馬鹿か、お前は。あんな輩に乗せられるんじゃねえ。ああいう連中はな、下手に刺激しない方が良いんだよ」


「……悪い」


「謝るのは後だ。今は料理に集中しろ。あの客は厄介そうだ。下手に機嫌を損ねるのは良くない。俺の言う通りに動け。いいな?」


 振り返って伺える邦彦の表情。そこには先程、松永達に向けたような笑みは浮かんでいなかった。


 普段の温厚な様子は消え失せ、鋭い眼光が次郎を射抜く。


 その視線には有無を言わせない迫力があった。


「……あ、ああ。分かった」


 次郎は気圧されながら、邦彦の言う事に素直に従う事を決めた。


 それを聞き届けると、邦彦は満足げに笑い、次郎の肩を軽く叩く。


「それで良い。……さて、時間が無いから、さっさと取り掛かるぞ。一体、誰に喧嘩を売ったのか、徹底的に思い知らせてやらねえとな」


 その言葉を聞いて、次郎は思わず苦笑する。


 邦彦は怒らせてはいけない人間だと改めて実感した。


「ところで、その……あのお嬢さん、大丈夫か?」


 邦彦はテーブル席に座っている雪乃を見ながら、次郎に訊いた。


「は? 何がだ?」


「一見、涼しい顔をしとるが……あれは相当キレとるな。それも、かなり。このままだと、あの連中以上に何をするか分からんな」


「……良く、気が付いたな」


「伊達に年は食っとらんよ。それくらいの事は分かるわい。それにしても、あのお嬢さん。見た目に反して、随分と気が強いみたいだな。ますます婆さんに似てやがるぜ」


 そう言って、邦彦は小さく笑う。


「よし、それじゃあさっさと作るぞ。時間が勿体無い」


「おう、分かった」


 邦彦のその言葉を合図に、二人は黙々と調理に取り組み始めるのだった。

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