金髪お嬢様、振られる




 ******




「ふぅ……全く。歳の離れた若い奴に話し掛けるのは、おっさんには堪えるわなぁ」


 男は公園から離れると、一仕事終えた後の疲労感を滲ませながらそうぼやく。その表情には若干の疲れが見え隠れしており、先程の余裕は鳴りを潜めている。


「まっ、あの坊主が俺の言う事を聞くかどうかは分からないが……どうなるかは、これからのお楽しみって事で」


 男は口角を吊り上げながらそう口にする。その様子は獲物を狙う獣の様であり、これから起きるであろう出来事に期待している様でもあった。


「ただ……しっかし、おかしいなぁ。事前に聞いてた話と違っていたが……あの坊主、お嬢の彼氏じゃなかったんか? だとしたら、お嬢の勘違いなのか?」


 男は歩きながら首を捻らせる。その様子はどこか戸惑っている様でもあり、その事に対して不思議がっていた。


「でも、お嬢が惚れているのは間違いないはずだしな……どういう事だ?」


 男はブツブツと考え込む。その思考は纏まる事は無く、ぐるぐると同じ場所を回り続ける。


「うーん……分からん。毎度の事だが、お嬢の考えてる事は良く分からんからな。まあ、いっか。考えるのは苦手だし、後でこっそりと誰かに聞いてみるか」


 やがて、男は考える事を放棄した。そして懐に手を入れようと手を伸ばしたが、思い留まって途中でその動きを止めた。


「おっと、しまった。今日はスーツじゃなかったんだった」


 男が今着ている服はいつもと違う事をすっかり忘れており、癖でそうしてしまった事をやれやれと思いつつ、今度はズボンのポケットにへと手を伸ばした。


 そこには今度こそ目的とする物が入っており、それを取り出した男は何度やっても慣れる気のしない操作をしつつ、携帯電話である相手にへと連絡を掛けた。数秒ほどコール音が響いた後に相手が電話に出た。


『はい、もしもし』


「あっ、俺……いえ、私です。例の件について、報告がありまして」


『ああ、例の。それで、結果は?』


 相手の質問に男は小さく溜め息を漏らしてから答える。


「とりあえず接触は出来ましたが……失敗ですよ」


『……失敗?』


「えぇ、そうです。まさか、あんなに頑なに拒否されるとは思ってませんでしたから」


『あらあら。それはまぁ……ふふっ、ふふふ』


 男は電話越しに聞こえてきた笑い声に意外そうな顔をする。その反応に対して相手は更に愉快そうに笑う。


『それはそれは、面白いですわね。私の予想では、貴方の事だから上手くいくと思っていましたのに。ふふふっ、それは残念でしたね』


「はい。正直、こんな事になるとは思わなかったので驚いていますよ」


『でしょうね。でも、安心なさい。まだあなたの挽回出来るチャンスはありますわよ。諦めずに頑張ってくださいな。応援していますから』


「……ありがとうございます。私も意地に掛けて、必ず成功させてみせますよ」


 男は相手側に向けてそう意気込みを口にすると、そのまま通話を終えようとする。しかし―――


『あぁ、そうそう。一つ、言い忘れてましたわ』


「え、え? 何ですか?」


 相手側から呼び止められて、男は思わず聞き返す。そして何となくではあるが嫌な予感も感じた。


『あなた、この仕事に臨むにあたってこんな事を口にしてましたわね。この私の手に掛かればこんな任務は簡単に達成して見せる……と。それはもう、相当な自身を持ってでの発言でしたよね。確か、そうでしたわよね?』


「そ、そうですね。そんな事、言ってましたね、はい……」


『でしたら、その言葉通りの結果にしてくださいな。……もし、失敗したら……分かっていますわよね?』


「……」


 男は何も言わず、無言でその言葉を受け止めていた。そして内心で冷や汗を流しながら思う。


(……あー、これはヤバい)


 自分が言った事がどれだけの重みを持っているのかを思い出した男は、自分の失態に歯噛みしながら後悔の念を抱く。しかし、時既に遅し。男は腹を括るしかなかった。


「……はい。了解しました。私が持てる全力を尽くします」


『よろしい。それなら、期待していますわよ。……まあ、それでも失敗してしまうのでしたら……来月の給与明細、覚悟しておくように。それと、ボーナスの査定も厳しくさせて頂きますから。そのつもりでお願い致しますね。……それでは、ご機嫌よう』


「ちょっ!?  待っ……! お嬢!? ……切れたか」


 男は慌てふためくが、最後まで言い切る前に向こうから一方的に切られてしまった。


「……マジかよ」


 男は力無く呟く。その顔には悲壮感が漂っていた。


「はぁ……。まあ、やるしかないか」


 男は重い足取りでその場を去って行く。その背中は哀愁が漂うものであり、その姿を見た者は誰もが同情の視線を向けてしまう程であった。




 ******




 翌日。次郎は登校するなり、教室に入ると同時に机に突っ伏していた。その様子にクラスメイト達は困惑の表情を浮かべるが、次郎に話し掛ける事はしなかった。


「……ふぅ。やっと終わったぜ。昨日は本当に散々だったな」


 授業を全て終えてホームルームが終わった直後、次郎は疲れ切った様子でそう呟きながら体を起こす。その目はどこか虚ろであり、疲れ切っているのが見て取れた。


「……さてと、それじゃ今日もいくか」


 次郎は鞄を手に取ると、疲れを感じさせない動きで立ち上がる。そして教室から出て行こうとするが、そこで不意に声を掛けられた。


「山田君。ちょっといいかしら?」


 次郎はその声に振り返ると、そこには四条雪乃の姿があった。彼女は微笑んでおり、それが次郎に向けられている。しかしその笑みには有無を言わせない迫力があり、普段の彼女を知っている者からすれば違和感を覚えるものであった。


「……どうしたんだ? 何か用でもあるのか?」


 しかし、それに気づかない次郎は平然と対応する。その態度に雪乃は少しばかり驚くが、すぐに元の調子を取り戻す。


「えぇ、実はあなたに手伝って貰いたい事がありますの。……悪いのですけど、これから一緒に来て頂けませんか?」


「手伝い、だと?」


「はい。どうしても、一人では出来ない事なのです。どうか、お願い出来ませんか?」


「……そんな面倒事、わざわざ俺に頼まなくても、生徒会の奴らに手伝って貰えばいいだろ。あいつらなら、喜んで助けれくれるはずだろうが」


「それはそうなんですが、今回は私個人の事ですから、あまり生徒会の皆さんを巻き込みたくないんです。その点、クラスメイトのあなたであれば問題ありませんから」


「おい、どういう意味だ、それは」


「ふふっ、そういう意味ですわ」


「……」


 雪乃の発言を聞いた次郎は訝しむ様な視線を彼女に送るが、雪乃はそれを微笑みを絶やさないままどこ吹く風と受け流す。やがて、次郎は小さく溜め息を吐いて答えた。


「……どうしても、生徒会の奴らには頼めないんだな」


「えぇ、そうですわ」


「クラスメイトの俺なら、頼める事なんだよな」


「はい、そうです」


「……そうか、分かった」


 雪乃の言葉に次郎は小さく息を吐き出すと、そのまま雪乃の事をしばらく見つめた後、彼女から視線を外して別の相手にへと視線を合わせた。


「おい、高橋。ちょっとこっち来い」


 その言葉に自分の席から二人の様子を眺めていた智也が次郎の方に歩み寄る。


「何だよ、次郎」


「お前、今日の放課後って暇だったりするか?」


「んー、そうだな。特に予定は無いから大丈夫だけど」


「そうか。……んじゃ、こいつの頼みとやらを聞いてやってくれないか。どうしても、クラスメイトの奴じゃないと頼めない事みたいだからな」


「えっ?」


「おっ、マジ? 雪乃ちゃん、何か困ってる事でもあるの?」


 次郎からの提案に雪乃は驚きの声を漏らし、その隣にいた智也は興味深そうに食いつく。


 すると雪乃は少し考える素振りを見せるも、最終的には笑顔で答える。


「えっと、そうですね……。確かに困った事があると言えばありますね」


「へぇ、どんな内容なんだ?」


「その、それは私個人に関わる事なのでここでは詳しくは言えないのですが……」


 雪乃は智也に向けてそう口にしつつ、次郎に向けて視線を送る。しかし、次郎はそれに応える事はしない。その様子に気づいてか、智也は次郎に話し掛けた。


「なあ、次郎。雪乃ちゃん、元々はお前に頼んでたんじゃないのか? なのに何で俺に振るんだよ。別に俺は良いんだけどさ」


「うるせぇ。俺はこれから用事があって忙しいんだ。四条に構ってやってる場合じゃないんだよ。だから、代わりにお前が行ってやってくれ。それとも、嫌なのか?」


「いや、全然嫌じゃないぞ。寧ろ、雪乃ちゃんと一緒に居られるのなら大歓迎だ。……でも、用事って一体何をする気なんだよ。まさかとは思うけど、喧嘩とかじゃねぇよな」


「あぁ、違う違う。安心しろよ。ただ、野暮用を済ませに行くだけだからよ」


「本当かよ。……まあ、それならいいけどさ」


 次郎の返答に智也は半信半疑といった様子で返事をする。しかし、次郎がこれ以上何も言うつもりが無いのを理解しているのか、それ以上は何も言わなかった。


「と、いう訳だ、四条。俺は忙しいから、同じクラスメイトの高橋が面倒を見てくれるらしいから、こいつを頼ってくれ」


「……分かりましたわ。では、高橋君。お願いしてもよろしいですか?」


「おう、任せておけ」


 雪乃からのお願いを受けた智也は大きく胸を張って了承する。その態度を見て雪乃はクスリと笑うが、どうにもその表情には影がある様に感じられた。


「それじゃあ、そういう事でよろしく頼む。俺はもう行くからよ。またな」


 次郎はそれだけを言うと、智也の肩に手を置いて教室から出て行った。


「……もう。本当に、つれない方ですわ」


 雪乃はその後姿を見送るが、その顔にはどこか不満げな様子が伺えた。


「雪乃ちゃん、何か言った?」


「いえ、何でもありませんわ」


 雪乃はそう口にするも、その顔は依然として不満そうであり、その様子に智也は不思議そうに首を傾げる。


「……あのさぁ、雪乃ちゃん。一つだけ聞きたい事があるんだけどさぁ……。次郎の奴を誘ったのってもしかして……」


 そう言い掛けて智也は冷やりとしたものを感じてか、自分の口を慌てて手で塞ぐ。そして恐る恐る横目で雪乃の方を見ると、彼女は満面の笑みを浮かべて口を開いた。


「ふふっ、さて。それじゃあ、行きましょうか。高橋君」


「そ、そうだね。早く行かないと、時間が無くなるかもしれないし」


 智也は引き攣った笑みを浮かべながら雪乃と共に教室から出て行く。その足取りは非常に重かった。

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