朝一、金髪お嬢様と出会う




 ******




 翌日。次郎はいつもより早く家を出て、学園に向かっていた。普段の登校時間と比べてかなり早い時間に家を出ているのには理由があった。その理由は昨日、智也や雪乃、矢島から聞いた事件に関しての調査である。


 次郎は朝早くから学園に向かい、その道中、または学園内で独自に調査を行うつもりなのだ。怪しい輩、もしくは何か手がかりが無いかとあたりを見回しつつ、情報を収集する。しかし、彼の目に映るのはいつもと何ら変わらない通学路の風景であって、これといった情報は得られない。


 それでも次郎は諦めず、学園に向かう道すがら、辺りを見回し続けている。しかし、やはりと言うべきか、大して目ぼしいものは見つからない。


「やっぱり、そう簡単にはいかねえよな」


 小さく息を吐き、次郎は歩くペースを落とす。そして、そのまま何気なく後ろを振り向く。


「……何だ?」


 次郎はそう口にしつつ立ち止まると、自分の背後をジッと見つめる。だが、そこには誰もいない。あるのはただただ平凡な街並みのみ。


「誰かの視線を一瞬感じた気がしたが……」


 そう口にしながらも、次郎は念の為にもう一度周囲を注意深く観察する。しかし、やはり彼の背後には人っ子一人見当たらない。


「……気のせいか」


 そう結論付ける次郎ではあったが、どうにも気のせいだとは思えなかった。確実に誰かしらが自分の事を見ている。そんな気がしてならなかった。


 しかも、そうした感覚は今朝から感じ始めたものでは無かった。昨日、矢島と別れた後、帰宅するまでの間にも同じ様な感覚を何度か覚えていたのだ。


 もっと言えば、矢島や八坂高校の生徒達と連れ立って河川敷にへと向かっている間にも、そうしたものを感じていた。その事を思い出した次郎は、眉を顰める。


「一体、誰だ? 誰が俺を見ている?」


 次郎は思わず口にする。自分が狙われている可能性は十分にあると思っていたが、ここまで執拗に自分の事を監視してくる人物がいる事に次郎は驚きを隠せない。


「……俺が気にし過ぎているだけなのか?」


 そう口にするも、次郎は納得できないでいた。自分を監視する何者かの気配をはっきりと感じるからだ。


「気味が悪いな……本当に気のせいならいいんだけどよ」


 小さく息を吐きながら、次郎は再び歩き出す。それからしばらくの間、彼は背後からの追跡者の視線を感じながら、警戒心を抱きつつ足を進めるのであった。


 そして学園が目前に迫った辺り、校門を通って校舎にへと向かおうとしたその時だった。次郎の背後で黒塗りの高級車が停車すると、後部座席のドアが開き、中から一人の女性が姿を現す。


 車から降りた彼女は次郎の事を視界に捉えると、艶やかな長い金髪を靡かせながら彼の近くへと優雅に歩み寄ってくる。


「山田君、おはようございます」


 次郎に向けて笑みを浮かべながらそう挨拶をするのは雪乃である。その笑顔はまるで天使の様で、見る者を魅了する。


「……あぁ、おはよう」


 しかし、次郎はその雪乃に対してどこかぎこちない態度で返事をする。彼女の顔を見て、昨日の去り際での会話や矢島からの唐突な告白の事を思い出して、つい身構えてしまう。


 その次郎の様子を見ながらも、雪乃はクスリと微笑む。


「どうかされましたか、山田君?」


「……何でもねぇよ。それよりも、こんな朝早くにどうしたんだよ。生徒会長さんは朝が早いのか?」


 雪乃に尋ねられ、次郎は誤魔化す様に答えた後、彼女にぶっきらぼうに質問を返す。すると、雪乃は嬉しそうな表情をしてから、両手を合わせて口を開く。


「えぇ、生徒会での用事が少々ありまして。今日は早めに登校する事にしたんです。そうしましたら、偶然にも貴方の姿が見えたので声を掛けさせて頂きました」


 雪乃はそう言うと、次郎の顔を覗き込む様にして見上げる。


「そういえば、山田君も今日はお早いのですね。いつもはもっと後の時間に来られているはずですけど……何か用事でも?」


「別に、何でもねぇよ。たまたまだ。俺が早めに登校したって問題は無いだろうが」


 雪乃の問いに、次郎はやや不機嫌な様子で答える。その彼の反応に雪乃はキョトンとした表情を見せた後、口元に手を当ててクスクスと笑う。


「ふふっ、そうですか。では、そういう事にしておきましょう」


「……ふん」


 次郎は鼻を鳴らす。それを見た雪乃は笑みを絶やす事無く彼に向かって話し掛ける。


「あぁ、それと……昨日は生徒会室まで来て頂いてありがとうございました。とても有意義なお時間を過ごせましたわ」


「有意義? あれのどこがだよ」


 次郎が呆れたように尋ねると、雪乃は小さく首を傾げる。


「あら、私はそう思っていますよ。山田君と二人で話せて、一緒に過ごせたのですから。私にとっては十分に有意義な時間でしたわ」


 その言葉に嘘偽りは無く、本気で言っているのが分かる程に彼女の声色からは喜びの感情が溢れ出していた。しかし、次郎には何故にそんな感情が、そんな言葉が出てくるのかが理解出来なかった。


「変な奴だな。俺なんかと話して楽しい訳がないだろう。それに俺は不良だ。お前みたいな奴と俺とでは住む世界も考え方もまるで違うだろ。そんな俺と一緒にいた所で楽しくもなんともねえだろ」


 突き放す様な酷い言葉に雪乃は目を丸くして反応をするが、彼女は直ぐに目を細めて優しげな笑みを見せる。


「そんな事はありませんよ。少なくとも、私は貴方と過ごす時間は楽しかったですから。だから、こうしてまたあなたに話し掛けているのではありませんか。それは私の本音であり、気持ちであり、想いです。貴方と一緒の時間を過ごすのは、決して嫌な事ではないんですよ。寧ろ、嬉しい事なのかもしれませんね。ふふっ」


「……そうかい。本当に物好きな奴だよ」


 次郎は素っ気なくそう口にするが、その頬は微かに赤くなっている。その変化を見逃さなかった雪乃は嬉しそうにしながら次郎の顔を見つめる。


「ふふっ、照れていらっしゃるのですか?」


「……うるせえ。ほら、さっさと生徒会室に行けよ。用事があるんだろ」


「はい。それでは、失礼します。また教室でお会いましょう」


 雪乃はそう口にした後に軽く会釈をし、それから次郎の元から離れていく。次郎は彼女が立ち去るのを足を止めたまま待ち、その背中をじっと見つめ続ける。


 だが、ある程度の距離を歩いたところで、雪乃は進めていた歩みを止めた。そして彼女は次郎の方へと振り返ると、その場から彼に向けて声を発した。


「あぁ、そうでした。一つ、言い忘れていた事がありました」


 その彼女の行動に次郎は眉をピクリと動かす。


「何だよ。まだ何かあるっていうのかよ」


 面倒臭そうに次郎は応じるが、内心では警戒心を露わにする。その彼に雪乃は笑みを浮かべながら、ゆっくりと口を開いた。


「昨日も言いましたが、あまり危ない事には関わらない方が良いですよ」


「……何?」


「山田君が関わらなくても、数日もすればまた元の日常に戻りますから。だから、あなたはあなたの為に時間を使ってください。それがきっと、あなたの為になりますよ」


 雪乃はそう口にすると、次郎に背を向けて校舎の中へと向かって歩いて行く。その彼女の後ろ姿を次郎は黙ったまま見送る。


「……どういう意味だ?」


 やがて、彼女の姿が完全に見えなくなると、次郎はそう言った後に深く息を吐く。


「……ったく、何なんだあいつは。本当に調子が狂う……」


 そう呟いた後、次郎もゆっくりと校舎の方へ向かっていく。その胸中に先程の彼女の言葉を思い出してモヤモヤしたものを感じながら。

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