武蔵野くんと洋美ちゃん
鈴ノ木 鈴ノ子
むさしのくんとようみちゃん
高校生になり初めての夏休みを終えてすぐのこと、なんとかテストを乗り切って、教室の隅の窓際の席で気だるそうに読書を楽しんでいた私は、この翌日からとんでもない事件に巻き込まれるとは思いもよりませんでした。
「今日から転校生が来たから、ほら、自己紹介を頼むよ」
教室に先生と共に入ってきた男子高校生に全員の目が釘付けになりました。
少し日に焼けた肌に整った顔立ち、ワックスで少し遊んだ髪型、でも、清潔感があって、身長も高く、半袖の夏服から出ている腕はしっかりと鍛えられていて・・・。ああ、絵に描いたようなイケメンっているんだなってmobの私でも感じてしまうくらいの好青年です。
クラスの女子達、特にヒエラルキー上位の方々が妙に騒ぎながら見つめています。反対に男子上位者は彼を妙な眼差し、いや、邪険とも取れる眼差しで見つめていました。
「高木沢武蔵野です、よろしくお願いします」
彼は短くそう言ってから軽く頭を下げました。その所作にさえ、品が漂ってきます。
「質問は放課にやれよ。さて、高木沢、お前の席は、ああ、小鳥遊洋美の隣が空いてたな。そこを使え」
全員の視線が私に集まります、今までクラスの隅っこで慎ましやかに過ごしていた私、誰1人に危害を加えることも、誰1人から危害を加えられることもなく、空気のように漂い、見えず、聞こえず、叫ばず、を貫いてきた私の存在は、今日、今ここに、水面に浮かび上がった何かのように群衆の視線に晒されるという酷い目を見ることになりました。ほら、私の小さな耳ですら聞こえてきます。舌打ちとか、妙な難癖とか、はたまた、空気であったのに悪口まで・・・。
過呼吸になりそう。
漫画や小説でしたら、もう、死んだも同然でしょう。明日から酷い目に遭わされるに違いありません。
恐怖に恐怖しながら、こちらへと歩いてきて、そして、隣の席に腰を下ろした武蔵野くんは、こちらをチラリと見て、しばらく何やら考え込んだのちにハッと驚いたような顔をしました。
なるほど、そんなにmobを見たことがなかったんですね。私、確かに美人じゃありません、祖母の生き写しのようだとお爺ちゃんは言ってくれますが、お婆ちゃんの若い頃の写真はそれはそれは綺麗ですが、私はそんなことありません。前髪でできるだけ表情を隠し、そして長い髪で耳や首筋を隠して、できるだけ目立たぬようにしているのです。制服だって規則通りに着こなしています。もちろん、アクセサリーの類もつけてません。そりゃぁ、制汗剤くらいは使いますよ。あとはちょっと高校デビューを気取って買ってもらったメガネをかけてますが、どうやったてmobはmobなんです。
小説家の父から言わせれば、「洋美は磨けば光というより、誰かに磨かれて光そうだな」と言われてしまってます。お父さんのサロンに通ってくる人達からも、色々と指導を受けたり、頂いたりして輝くようにしてくださるのですが、臆病な私はそのままで過ごすことを決意していましたから、3年間、無事に何事もなく穏便に過ごすことを決意しているというのに・・・。でも、さすがにそんなに驚いた表情をされてしまうと私も傷つきます。私だって人間なんです・・・。
「えっと・・・、小鳥遊さんでいいのかな?」
美声です。どう聞いてやっても美声ですね。どんなことしたらそんなにいい声がでるんでしょうか。いつの間にやらクラスが静まり返っています。先生授業を、と言いたいですが、何かしら忘れ物をしたようで、先ほど教室を出て行ってしまいました。
「もしかして、お父さんて、小説家の都築多麻先生かな?」
「え!?」
武蔵野くんがいきなり父のペンネームを暴露しました。今まで誰にもバレないようにしてきたというのに、父は恋愛小説家です。そして、その作品は映画化や漫画化などもされた有名作にしていただいたものもちらほらとしていて・・・、ファンも多いんです、ほら、現に名前を聞いて驚愕の表情を浮かべている人達がいるじゃないですか、私、終わった。もう、今までの暗渠のように素晴らしく静かな暮らしは消えてしまう。
「覚えてない?ほら、高木沢だよ、小学校のときに一緒だった」
「え?」
秘匿した自分史の巻き物を紐解いて行きますが、このようなイケメンはどこにもおりません。というより、接点が見つかりません。そもそも、接点があるのでしたら、もう少し私は社交性を手に入れて、こんなキャラクターに成り下がることもなかったのです。
「坊主頭の、えっと、高木沢精密工業の倅だよ」
高木沢精密工業は覚えています。近所にあって小学校や、中学校の社会科見学で何度か訪問しました。世界的に有名な企業で色々な分野に進出しては、その固く、堅実な経営と理念によって従業員を大切にするとても素晴らしい会社であるとも聞いたことがあります。
でも、そんなところの御曹司に・・・私ごときが・・・知り合いな訳があるはずがありません。
「あ!」
思わず大声を上げてしまいました。坊主頭の、で思い出しました。そして、思わず過去のあだ名も口走ってしまいます。
「ムーくん?」
「よかったぁ、思い出してくれた!」
クラスがさらにざわつき始めて何やら噂話が広がっていきます。
「てか、なんでそんな格好してんの?」
彼が立ち上がって私へと近づくとクラスで黄色い歓声が上がりました。
彼がその綺麗で筋肉質な手で固まったままの私のメガネを奪い去り、そして隠すようにしていた髪の毛を撫でるようにして後ろへと誘うと、久しぶりに私は人前に素顔を晒すことになりました。
クラス中が絶句しています。私はそんなに醜い顔なのでしょうか、ふつう一般の顔であると思うのですが・・・。
「やっぱり、綺麗なままだね、隠すのはもったいないよ!」
そう言って彼はにっこりとこちらに微笑みました。
思わずこちらも蕩けそうなほどの笑みでしたので、私のほおも緩んで笑みを浮かべてしまいました。途端に男子達が何やら私の噂を始めました。なかには驚いたように固まっている人もいます。
「まったく、あの頃と変わんないんだから」
そう言って笑う彼にどことなく昔の面影を見つけました。
坊主頭で工場から無断で持ち出してきた金属棒を片手に、雑木林で虫取りをしたり、私の家で本を読んだり、公園で遊んだりと色々な思い出が隠しページから次々と溢れてきます。一緒に遊んで楽しかった日々、そして、私が私らしく輝いていた頃の日々でした。体調を崩して武蔵野中央病院に入院してから、遠くの専門病院に転院してお別れとなっていましたけれど、まさか、こんな巡り合わせがあるなんてと自分自身でも驚いてしまいます。
「ひさびさに一緒に帰ろう、色々と話したいことがあるんだ」
ああ、なんでしょう。この遠慮もなく堂々と言えてしまうこと自体がすごいのですが、その自然体な言い回しに、記憶を思い出したばかりで呆けている私は、その時は頷くしかありませんでした。
あれから、数ヶ月が経ち、クラスは落ち着きを見せて、いつもの通りに授業が進んでいきます。一応、進学校ですから、それそうなりに厳しくもあります。
私は酷い目にあっています。
あれからというもの、私の容姿はすっかりと変わってしまいました。
もう、見る影もありません。静かな毎日は奪われてしまい、今は・・・どう言ったらいいんでしょうね。
彼の家族と私の家族は昔のようにお付き合いをしています。というより、私が知らないだけで色々とやり取りはあったようでした。
そして、私もお付き合いをしています。
あの転校生の武蔵野くんに、いいように翻弄されて、そして、色々と磨かれてしまいました。昔の祖母の生き写しのようで着物姿の私を見るたびに父も驚く有様です。今まで知ることもなく、興味もなかった化粧やファッションは茶道家元の娘でもある母が教えてくれていますので、少しはよくなったようです。
洋服の彼に和装の私、連れ立って出歩くことも多くなりました。
彼は幼い頃の約束を覚えていて、それが一生涯の約束であるかのように、言ってくれてそれを聞くたびに恥ずかしくなるのですが、でも、反面、その気持ちを覚えていてくれたことに悦びを感じます。
幼い頃に遊んだ帰り、雑木林で交わした2人の淡い初恋約束、別れて終わったはずだったのに。
あれから、時はうつろい、そして再び、ささやかな日常となりました。
幼い頃と変わらない、いつもの通りの毎日が、ずっとずっと、続きますように。
武蔵野くんと洋美ちゃん 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki
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