本文 〜プロローグ〜
きゅいんきゅいんきゅいぃぃ〜〜ん!!!!
軽快な音が響き渡る店内。台の前に座ってもう何時間経っただろうか。僅かに感じる疲労感から察するに、3時間くらいな気もする。なんせ時間を見る余裕なんてないから、いまいちピンとこない。
そもそもここはどこかって? そりゃあ、店の中っつったらパチンコ屋の中のことに決まってるだろ。俺の正面に位置する台ってのも、もちろんスロット台だ。
腕を大きく天井に向けて伸ばし、少し左右に動かしてみる。
さっき"僅かに"って思ったけど、やっぱり結構疲れてるみたいだ。
一度集中力が途切れると、思ってる以上に疲労が押し寄せてくるもんだな。
そんな感覚を覚えながら、俺に疲労を感じさせている要因の一つであろう方向に目をやる。
「お〜! 今日は本当に調子がいいのぉ〜!! わっはっはっ!!」
っち、このジジイ……!! さっきから横でぽんすかぽんすか当てやがって……!!
実を言うと、さっきから鳴り止まない当たり音は俺の台から出ているものじゃない。俺の隣で打ってる推定60代のじいさんの台から発せられているものだ。
俺が朝入店した時からこのじいさんは隣で打ってるが……よほど調子がいいんだろうな。この上なく耳障りな音を俺に聞かせ続けてやがる。
横で当たってる人を見ていると、自分も当てなければならないという使命感に駆られるものだ。
実際この俺も、もう既に5万近く負けてるにも関わらず、こうして目の前のスロット台に立ち向かっている。
「おぉ〜! またじゃまたじゃ!! 神はわしの行いをよく見てるようじゃのう!! わっはっはっ!!」
ほんとにどうなってんだその台。いくらなんでも当たりすぎだろ。まさか本当にこのジジイの日頃の行いが良いせいだってのか? ……だとしたら、俺はこれから先ずっと当たらないってことかよ。
「…………」
そんな事を考え始めた辺りで、俺は固くなった体に鞭打って席を立つ。
さすがに休むか……このままこのジジイが当たるの見てんのも
場所取りのために荷物を置こうかとも考えたが、当たってもいない台に執着する必要はないと考え直し、たばこがポケットに入っている事だけを確認して店を出た。
◆
「……ふぅ……」
パチ屋の外に出た俺は、駐輪場隣の喫煙スペースで一服する。一服と言っても、もう3本目だけど。
たばこ代も馬鹿にならないし、そろそろ勝たねぇと。このまま終わったら、今月食うもんの確保すら厳しいぞ。
「……行くか」
最後の1本を灰皿に押し込み、パチ屋に戻ろうと歩き出した時。
「あ、すみませーん」
背後でそう呼びかけるような声が聞こえてきた。
はっきりとした発声のわりに、どこか柔らかく感じる物腰、それに声の高さからして、女のものだろうな。
まぁ、女だろうが男だろうが俺に声をかけてくるようなやつはいないだろうから関係ないか。
そう考え、女の声を聞き流すことにした俺は歩みを止めることなくパチ屋の入り口へ向かう。
すると、背後でガシャンッという金属のぶつかるような音を立て、何かが近づいてくるのを感じた。
「ちょっとちょっと! 待ってください!!」
その声は、ついさっき聞いた女の声だった。さっきと違うのは、女の手が俺の肩に乗せられていること。
それによって、俺に対しての発言であることが明確になったことだ。
「……何か?」
俺は女の声が聞こえる背後を振り返り、不機嫌さを隠さずにそう声をあげた。
こっちは今から負け分を取り返さそうと意気込んでるってのに、邪魔が入ったんだから当然だろう。
「カギ、落としましたよ」
カギ? ……ん? あぁ……
女が手にしているカギ。ストラップも何もついていない、素朴なもの。それには見覚えがあった。
俺の車のカギだ。ポケットに入れてたはずだから、タバコ取った時にでも落としたか?
「……どうも」
それだけ言って女からカギを受け取る。
「あ、ちょっと!!」
「あ?」
まだなんかあんのかよ。
再び歩き出そうとした俺の肩に再度手を乗せてきた女によって、その動きは遮られた。
苛立ちが募るのを抑えながら、女に目をやる。
「あの……もしかして、この辺の人なんですか?」
「この辺? 別に近くはねぇよ。そもそも車で来てんだから分かるだろ」
「……ですよね。すみません」
女はそう言って、しょぼくれたように頭を下げやがる。
悪いと思うなら最初から訊くなってんだ。
「そもそも、俺がこの近くに住んでたらどうだってんだ?」
藪から棒に俺の所在を聞いてきた女に、そう問いかける。
さっきのは、明らかに初対面の相手に訊く質問じゃねぇからな。
「あ、えっと……この近くに、
逆難大学……そんなふざけた名前の大学もあったな。そういや、今頃は入学式の時期か……? まぁ、そんなことは知ったことじゃねぇけど。
「私、逆難大学の入学前オリエンテーションに行きたくて……でも途中で道に迷っちゃったんですよね……」
しゅん……という効果音が聞こえてきそうなほどにこの女は目に見えて落ち込んでいるが……
「……知らねぇな。自分で探してくれ」
いちいちそんな面倒ごとに関わってられるか。あの大学はここからそんなに遠くないし、一人で歩いてりゃそのうち見つかるだろ。
その思いを目一杯言葉に込めたつもりだったんだが……俯いていた女は、ぼそっとつぶやくように声を発した。
「……カギ」
「あぁ? 何だって? 俺ぁ忙しい––––」
「カギ! 落ちてるの拾ってあげましたよね!? 私!!」
「お、おぅ……」
勢いよく身を乗り出して詰め寄ってくる女に、不覚にも怖気づいちまった。てか、物理的にも後ずさりした。
「だったら、これくらい教えてくれてもいいじゃないですかぁ!!」
この女……!! しょぼくれて俯いてる姿といい、物腰の柔らかい声からいい、物静かな女だと思ったが……真逆じゃねぇか!! 人に物を頼む分際で、足元見てきやがる……!!
「……っち、めんどくせぇなぁ。……そもそも、そのオリエンテーションは何時からなんだ?」
「……1時からです」
それを聞いて、俺はポケットに入れてあるスマホを取り出して時間を確認する。
いや待てよ? パチ屋の開店時間が10時。俺はもちろん開店と同時に打ってる。俺が打ち始めてから多分3時間くらい経つから、今の時間は……
「あと8分じゃねぇか!!」
「だから焦ってるんですよ!」
「開き直んな!! ってかお前、何で来た!?」
「……それです」
バツが悪そうにそれだけ言って、女が指差す方には……さっきまで俺がタバコを吸っていた喫煙所の横に所狭しと並ぶ自転車が。
「チャリかよ!! どう考えても間に合わねぇぞ……」
さっきの金属音はチャリ停めてた音か……いやそれよりも、チャリなら急いでも10分はかかるぞ……!!
「あぁ〜!! ほんとにめんどくせぇ!!」
募る苛立ちを言葉に乗せ、駆け足でパチ屋の裏へと向かう。カギを握った拳にも自然と力がこもって痛いが、気にしてる場合でもない。
「え、ちょっ……どこ行くんですか!?」
「駐車場だよ! 乗せてやるから早く来い!!」
このまま無視して逃げ出したい気持ちは山々だが、ここまで聞いておいてそれをするのも何だか気が引けちまった。
それに、良いことしておけばこの後のパチンコで当たり散らかすかもしんねぇからな。さっきのジジイみたいに。
「えっ……くるっ、車!? うそ!? いいんですか!?」
「いいっつってんだろ!! いいから急げ!! ほんとに間に合わねぇぞ!!」
俺がそう叫んだことで自分が今置かれている状況を思い出したのか、それから女は口を閉じて俺の後を追ってきた。
◆
女を車に乗せ、僅かな記憶を頼りに車を走らせること数分。
なんとかオリエンテーション開始2分前に大学の駐車場までたどり着くことができた。
「あ、あの! 今日は本当にありがとうございました!! このお礼は––––」
「あー、分かった分かった。分かったからさっさと行け。俺は忙しい」
手でしっしっ、とジェスチャーをして、さっきまで隣に乗っていた女を追い出す。
まったく、何の血の迷いでこんなことをしてんだ、俺は。らしくもねぇ。
さっさと行けと言っているのに、走り際何度も頭を下げてくる女を見ながら、そんな事を思った。
「……パチ屋、戻るか」
女が完全に見えなくなってから、本来の目的が思わず口から出た。
このまま終われねぇ。終わったと同時、今月の俺の生活も終わる。今日が4月15日だから……あと15日もあんじゃねーか。
今の所持金が5236円だから、間違いなく死ぬな、俺。貯金なんてあるわけもねーし。金借りれる奴もいねーし。
絶望の未来がすぐそこまで迫っているのを感じながら、サイドブレーキを下げ、ギアをパーキングからドライブへと動かす。
そしてブレーキから足を離しかけたとき、あることが脳裏にちらついた。
そういやあいつ……一人で帰れんのか?
チャリもパチ屋におきっぱだし。車で1回通ったくらいじゃ道覚えれなそうだよな、あの女。それでなくても、ここら辺ど田舎でほとんど景色変わんねーし。
「……」
離しかけた右足にもう一度力を入れ、ブレーキペダルを踏み込む。下げたばかりのサイドブレーキを引き上げ、再度ギアをパーキングに入れ直す。
あぁ……ほんとにめんどくせぇなぁ、今日は。
なんか一周回って諦めついたわ。
太陽の光が眩しく輝きを放ち、1日はこれからだ! とでも言っていそうな空を仰ぎながら、体をフロントシートに預けた。
◆
「……ん」
ここに来てからそろそろ3時間が経つかという時。
迫り来る眠気に負けようか、それともスマホゲーをして時間を潰すか、という思考の狭間に、がやがや……という雑音が割って入ってきた。
窓を開けてたせいか、割と早い段階でその音に気がついたようだ。
様々な声が入り乱れる方に目をやると、何十という人の大群が大学の方から押し寄せてきていた。
やっと終わったか……ったく、待たせやがって。
心の中で絶え間ない愚痴を飛ばしながら、あいつがどこにいるのか目を凝らして探す。
「……あー、いたいた」
人の数の割に、意外とすぐにあの女を見つけることができた。目立っているというのもあるかもしれないが。
校則から解放された大学生ということで、ここから見える限りでも大抵のやつが髪型や服装にこだわってるように見える。
かくいう俺も高校卒業と同時に髪を金に染めたし、ピアスも空けたが……なんていうか、あの女はシンプルにモテそーな感じだ。
女と張り合ってもしょうがないが、なんか悔しい。別に、女に好かれたいとは思わねーけど、男としての本能がそうさせる。
……と、まぁこれがあの女が目立ってる理由の一つでもあるんだが……
「……」
やったらキョロついてやがんだよな、あいつ。
オリエンテーションで仲良くなったのか、女友達らしき奴と並んで歩いてはいるんだが……その視線は常に隣の友達ではなく、正面や友達のいない方の横、さらには背後に至るまでぐるぐるしてるのがここからでも分かる。
やっぱりか……
帰り道聞きたくても、チャリ停めてる場所が場所だからな。
友達にパチ屋まで案内してー、とは言えねぇんだろーな。入学前から変なレッテル貼られたらたまったもんじゃなさそうだし。
「はぁ……しょうがねぇな」
こっちだ、こっち。早く来い。
そんな意思を視線に込め、窓から顔を出して軽く手を挙げる。
少しして、俺に気がついた素振りを見せた女は、隣の女と一言交わして小走りに駐車場まで向かってきた。
キョロついてたのが幸い……いや、災いしたか? 結局このまま面倒ごとを引き受けることになりそうだ。まぁ、良い行いをする事でパチンコ当たると思えば何とかやってける。
「え、ちょっとちょっと! 何でまだいるんですか!?」
駐車場まで来たかと思うと、アホみたいに疑問符をぽんすか頭の上に浮かべながら声をあげやがった。
「あ? じゃあお前は一人でパチ屋まで戻れんのか?」
どうせ無理だろ? という確信に限りなく近い質問を乱暴に投げつけてやる。
「……無理ですけど?」
「だから開き直ってんじゃねーぞ。あと目立つから早く乗れ」
駐車場に向かってくる奴らも少なからずいる。
ガラの悪い男が車から、ぱっと見モテそーな女に声をかけてる絵面はやばい。まるで俺がこの女をナンパしているようでこの上なく不本意だ。
「あっ、ですね。分かりました」
女は助手席側のドアを開けると、「失礼します」と静かにドアを開け、助手席に腰を下ろした。
「……あの、パチンコのおにーさん」
「あ? なんだ? てか、パチンコのおにーさんって呼ぶな。体操のお兄さんみたいでイヤだ」
俺がそう反論すると、「体操のお兄さんに失礼ですね……」とか身の程を知らねーアホな言葉が聞こえてきた。置いてくぞ、まじでこの女。
「じゃあ、名前を教えてもらってもいいですか?」
「あん? 名前だぁ? ……っち、めんどくせーな……」
「そう言わずにお願いですよ。このままだとおにーさん、私の中だとずっとパチンコの人になっちゃいますよ」
「……
どうせもう会わねーからな。せいぜい、俺の日頃の行いとやらに一役買ってもらうぜ。
「ひどっ! 私はこんな劇的な出会い、忘れられないですよ。あ、あとアキヒサってどうゆう字ですか? 秋休みの秋に久しぶりの久?」
「ぺちゃくちゃうるせー女だな……やっぱりここに置いてくか……?」
「ご、ごめんなさい……黙るので連れてってください」
「はぁ……んじゃあ、車出すからベルトしとけよ。事故って死なれたら俺が困る」
慌てたようにシートベルトに手をかける隣の女を横目に確認して、また一連の流れで発進の準備を整え、駐車場を後にした。
◆
「……ところで、秋久さんって大学生ですか?」
沈黙が訪れたのも束の間。車が道路に出て数十秒と待たずに隣の女は口を開いた。
せっかく静かになったってのに、藪から棒にこの女は……!! さっきの"黙ります"はもう忘れたのか?
「……だったらなんだ?」
黄色から赤へと変わっていく信号機に目を向けながら、女には苛立ちの感情を向ける。
「いや、金髪なので」
「お前の大学生のイメージどうなってんだ?」
「あはは……でもそれでなくても、大学までの道すぐ分かってたので……近くに住んでるわけじゃないのに」
たしかにこの女にも言ったとおり、別に俺は家が近いわけじゃねぇ。俺の借りてるアパートは、パチ屋から更に10分くらい車を走らせねぇといけない場所にある。
「だからもしかしたら、逆難大学の人だったりするのかなーって」
「……一応な」
「え!! やっぱりそうなんですか? じゃあ先輩じゃないですか!! 私、文学部なんですけど……秋久さんは?」
パァッと顔に輝きを宿しながら、こっちに振り向く女。
「……法学部だ」
答えるつもりはなかったが、期待に満ちた目が思いの外うざかったせいでつい答えちまった。
しつこく訊かれる方がめんどくせぇし、まぁしょうがない。
「そうなんですかー、残念。学部も同じだったらよかったのに」
「……よかった?」
信号が青になり、ブレーキペダルに置いた足をアクセルペダルに移しながら、疑問に感じたことを問いかける。
学部も同じだとよかったって……こいつは法学部に来たかったのか? 文学部じゃなくて?
「え? だって私も法学部だと、秋久さんと一緒の講義があるかもしれないわけじゃないですか」
何そんな当たり前なこと訊いてるんですか? そんな腹立たしい顔が視界の端に映って思わずぶん殴りたくなる衝動を抑える。
いやそれよりも……
「……なんで俺と同じ講義がいいんだ?」
「え、そんなこと私に言わせるんですか? もしかしてそうゆう趣味……?」
身を抱くように腕を腹部に回す女。心なしか、運転席から距離を置かれた気もする。
「てめぇ……!! いいから無駄口叩いてないでさっさと話せ」
この女、さっきから調子乗りやがって……!!
イライラしすぎてアクセルペダルを踏み込まないようにだけ気をつけながら、女の言葉を待つ。
「だからー、大学でも秋久さんに会えたら楽しーだろうなってことですよ。……恥ずかしいこと言わせますね、ほんと」
窓の外へと視線を外してるが、反射して見える女の顔は、羞恥に満ちているものだった。
唇は力強く結び、耳を隠すように伸びている髪先を誤魔化すようにいじっている。頬の色までは分からないが、この様子じゃ赤くなってんだろうな。
「……そうか」
あまり興味ないな、といったふうに返したつもりだったが……俺もこの女に影響されたか? 隣でこんな反応をされたせいか、俺の声も覇気のあるものではなかった。
「"……そうか"って! 私にここまで言わせておいてその反応が、"……そうか"、って!! もっとオーバーリアクションとってくださいよ!!」
俺の声真似をしてるつもりだろうが、捻くれたガキみたいな声音なのが絶妙にむかつく。
「オーバーリアクションだとヤラセだろうが」
「あー、そうですかそうですか。秋久さんも恥ずかしいの我慢してそんな反応になっちゃったんですね? なら仕方ないです」
「話し聞けくそ女!! 誰がんなこと言った? てめぇの話に俺が恥ずかしがるポイントなんてねーよ」
「くそっ……!? 仮にも華の女子大生にそんなことを言うなんて……!!」
「何が華の女子大生だ。最近高校出たばっかのガキじゃねーか」
「むっ……そりゃ高校卒業したのは最近ですけど、一人暮らしだってしてるし、もう立派な大人ですよ!!」
「はぁー、大人ねぇー? 一人暮らしができて大学まで一人で行けない大人もいるんだなぁ?」
「〜〜〜〜っっ!!!! ……秋久さんひどい!!」
ちょっと煽りすぎたか? この女、完全に窓の向こうに顔を背けやがった。しかもさっきとは違う意味で顔赤いと思う。
まぁでも、この女がこれ以上ぎゃーぎゃー喚くこともないだろ。
と言うのも、たった今片道5分程度の道を完走することができたからだ。
「よし、着いた。ほら、チャリ置き場あそこだから早く行け」
パチ屋の駐車場からわずかに見えるチャリの山を指差し、女に早く降りるよう促す。
「……秋久さんはどうするんですか?」
女は、背けた顔をこちらに戻しながら、そう口にする。
「パチンコの続き」
パチ屋に来てんだから当たりめーだろ、という思いはあったが、これ以上この女と話すのもだるいため、簡潔に返す。
「まだやるんですか? 私のせいで時間使わせちゃってるので、こんなこと言うのもあれですけど……」
「そうだな。お前のせいで時間無くなったな。と、いうことはだ。その分は取り戻さねぇといけねーわけだ。ついでに負けた分もな」
「しれっと負けてたんですね……。……でも秋久さん、私に親切にしてくれましたし、これから当たるかもですよ。私がパワー送っときます」
ぐぅぅ〜〜っ!! と声をあげながら両手を突き出す女。
そんなんで当たるとは思わねーが、今朝のジジイを見るに、そうとも言いきれない。
「……分かったからさっさと行け。閉店までに負け分くらいは取り戻さなねぇと、本当に生活できなくなる」
「……え? そんなにピンチなんですか?」
「パチンカスはいつでもピンチなんだよ。今月はあと5000円くらいで乗り切るつもりだ。この後負けなければな」
「今月って……あと2週間はあるじゃないですか!! 絶対無理ですよ!!」
女は驚愕に目を見開いて、運転席側に身を乗り出してくる。
「だからこれから勝ちに行くんだろうが。てか近けぇ。早く降りろ邪魔くせー」
「いや降りますけど……んー……」
降りますけど、とか言った割に、動き出しが遅せぇなこの女は。左手こそドアの取手に触れているものの、右手を顎に当てて考え込むようなそぶりを見せている。
そろそろ無理やり叩き出してやろうかと言う時、女は再び口を開きやがった。
「……秋久さん、まだしばらくここにいますよね?」
「だったらなんだよ。てか話聞いてんのか? 降りろって言ってんだけど」
「じゃあ、ちょっとここで待っててもらえますか? すぐに戻ってくるので。あ、あとお店の中には行かないでくださいね? 私は入れないので」
「あ? なんでてめぇにそんなことを……ってか戻ってくるって……? あっ、おい!!」
今度は早い動き出しでドアを開け、駆けるようにチャリ置き場まで向かう女。
なんだあいつ? 意味わかんねー……
ってかパチ屋入るなって? なんで俺があんな女に指図されないといけねーんだ。
うるせー女が居なくなって静かになった車内でそんなことをぼやき、ドアを開ける。
◆
「……」
「ぎゃはははっ!! また当たったぞ!! やべーなおい!!」
「ヌルゲーすぎんだろこの台!! もう3万は勝ってんぞ!?」
「…………」
パチ屋に戻ったはいいものの、俺は台の前から動けないでいた。当たりすぎて動けないんじゃねぇ。ショックで動けねぇんだ。
今俺の前には、チャラい大学生くらいの男2人組が、雪崩のように溢れる玉を見て歓喜をあらわに叫んでいる。
……俺が昼まで打ってた台で。
「……」
くそっ!! やっぱ余計なことするんじゃなかった……!! あの女に振り回されてなきゃ今頃……!!
最後にもう一度、バカ笑いする男共を睨みつけて、パチ屋を後にした。
◆
あの女……絶対許さねぇ……!!
車に戻った俺は、鳴り止まない貧乏ゆすりに身を預けながら女が戻ってくるのを待っていた。
大誤算だ……!! あの女に振り回されたせいで、絶好のチャンスを逃す羽目になった。
挙句の果てに、
一言二言文句を言わねぇと気が済まねぇ。
「……! あのくそ女……やっと戻ってきたか……さんざん人を待たせやがって……!!」
チャリ置き場を凝視していると、あの女がチャリを停めているのが目に入った。
チャリを止めた女は俺の車を一瞥すると、とたとたと小走りで向かってきた。
自分の立場もわきまえないでいい身分だぜくそ女……!!
待つこと数秒。運転席の横に来て軽く窓を叩いてきた女に合わせ、ゆっくりと窓を開けていく。
そして、募った感情をぶち撒けようと満を辞して口を開く。
「おいてめぇ––––」
「ごめんなさい! 待ちましたか?」
「いやそれよりも––––」
「これ! よかったら持ってってください!!」
話す間も与えさせずに、女は手に持った長方形の何かを包んだ風呂敷を手渡してきた。
「……なにこれ」
「シチューです」
「……お前が作ったの?」
「はい。昨日の作り置きですけど……今日、秋久さんには本当にお世話になったので。よかったら食べてください」
「……」
予想外の展開に、思わず怒ることも忘れて風呂敷を見つめる。
「秋久さん、今月あと5000円で生活するとか無茶言うから……口に合うかは分かんないですけど、私も頑張ってお世話しますから」
この女ときたら、グッ! と胸の前でガッツポーズを作っているが……
「……ん? ちょっと待て。お前もしかしてこれからずっと飯持ってくる気か?」
お世話……なんてふざけた言い方が気になった。
「そのつもりですけど? あ、でも毎日ここに来るわけにはいかないですよね。秋久さんのお家教えてもらってもいいですか?」
「おいおい待て待て。お前に世話してもらうほど俺は落ちぶれてねぇぞ。自分のことは自分でなんとか––––」
「じゃあ、今後の生活設計とかはあるんですか? パチンコで勝てる見込みは?」
「……ないけど」
さっき見た2人組の光景が思い出される。
昼まで当たらなかった分確率が収束するんじゃないかという期待もあったが……それは見事に打ち砕かれた。あいつらが当ててる以上、俺があの台で当てることは不可能。
そうなると、また1から台を探すしかねぇが……それこそ当たる見込みがねぇ。なんで俺はあの時場所取りしなかったんだ……そんな後悔だけが頭をよぎる。
「じゃあ、これくらい私に甘えてください。私、秋久さんには本当に感謝してるんです。秋久さんが親切じゃなかったら、私今頃入学式の日程も知らないままでしたよ」
そう言って笑う女の姿は、なぜだか嫌な感じがしなかった。
年下の女に世話を焼かれるなんて、屈辱以外の何物でもないはずなのに……俺が折れちまうだけの何かが、この女にはあった。
「……チャリはトランクに積んでくからな」
背に腹は代えられねぇ。死んだらパチンコできなくなるし。
「はい!」
威勢のいい返事を返した女はさっき以上に満面の笑顔を浮かべた。夕陽のせいか、俺の目にはそれがやたら眩しく映った。
◆
「……名前」
アパートへと帰る道すがら。心地よい振動に揺られながら、俺はゆっくりと口を開いた。
「え?」
「名前、なんて言うんだよ」
もちろん、これは隣でボケっとした顔を浮かべている女に向けた言葉だ。
これからのことを考えると、知っておいた方がいいだろ。
「……そう言えば、まだ教えてませんでしたね。私は……
これから……よろしくお願いしますね? 秋久さん」
くすっといたずらな笑みを浮かべる上浜。
楽しそーだな、こいつは……こっちはこれからのことを考えるとめんどくせーことばっか思い付くってのに。
「……ったく、何がよろしくだ。家には入れてやるが、くれぐれも変なことすんなよ」
「それ、普通私が言うセリフですよ? ……変なことしないでくださいね?」
「この女……!!」
楽しそうにけらけらと笑う上浜をどつきたい思いに駆られながら、慌ててハンドルを握り直した。
② クズ大学生の俺が、世話焼き女子大生のせいで今度はダメ男にされていく。だから俺もこの女をダメ女にしていく。 おんたけ @ontake
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