3話 彩沙の魔法

 彩沙と名乗った彼女の掌から、ものすごい速度で極めて細い水流が伸びていく。咄嗟に目を瞑ってしまう。攻撃される瞬間に自分から視覚を閉ざすとか自殺行為でしかないのは頭ではわかっているけれど、こればかりはどうしようもない。


「…………?」


「これで全部?」


 いつまで経っても私の身体に水流が命中しない。代わりに聞こえてきた言葉は周囲を窺っているような内容だった。ゆっくり目を開けると、思った通り周りに視線を巡らせている彩沙さん。その視線が私に向いた。


「ひっ」


 尻もちをついた体勢のまま後ずさる。しかしすぐに穴の縁に背中がぶつかってしまう。


「さて次はこっちね……えっと、名前訊いてもいいかしら?」


「は、はいぃ、リ、リリ・サノーグースです」


 声が上ずった。恥ずかしさと恐怖で涙が出そうになってくるけれど、必死に我慢する。


「リリね。見た感じ歳が近そうだけれど……わたし十七」


「わ、私は十六歳です」


 ひとつしか変わらないんだ。背が高くて綺麗な人なのに。


「なんでそんなに怯えてるのよ……」


 不思議そうに訊いてくる彩沙さん。


「……」


 直前まであなたに殺されると思っていたし、現在進行系だからです! もっと言えば、あなたが聖魔法を持っているからです! と正直に言えたらどれだけいいか。


「あ、思い当たるのあったわ、聖魔法?」


「はい」


 素直に頷く。


「わたしは聖魔法を持っているからって、闇魔法見つけたら即攻撃とかしないから」


「……そうなんですか? 特に冒険者と聖職者って問答無用で殺しに来るって聞きますけど」


「あー、召喚された時に洗脳されてるから……冒険者で聖魔法なんて持ってるのだいたいが異世界人でしょ。聖職者は仕方ないんじゃない? この世界を愛してる人たちだもの。異物は排除にかかるでしょ」


 なんか無性に気になる単語がありますね……。それに異物って……。


「彩沙さん、異世界人なんですか?」


「そうよ、二年前くらい前に召喚されてね」


「へー、だからこの辺じゃ見ない格好してるんですね」


「これ、わたしの通ってた学校のセーラー服なのよ。向こうでも採用してるとこ減ってるから、ある意味レアよ? 最近はこれに自動修復と対物理、対魔力保護の刻印して使ってるのよ。そこらの鎧より頑丈だし……これくらいしか――」


 最後の方はゴニョゴニョと小さくなっていて聞き取れなかった。たぶん、私に向けた言葉じゃなくて、自分に向けた言葉がポロッと続いちゃった感じなんだろうと思う。だから聞き返さなかった。


「対魔力保護ですか……だから私の火矢が全く効かなかったんですね」


 速度優先でも、もう少し威力を。せめてヨロケさせるくらいは出来ないと意味ないよね……頑張ろ。 


「リリってばいきなり攻撃してくるから驚いたんだから」


「え、彩沙さんが剣を構えるから……」


 あれ? なんか違和感が……。


「……リリ、後ろ見て」


 言われた通りに背後を振り返る。この瞬間、攻撃されたらって不安が過るも、こうやって会話出来てる段階でそれは無さそう? 


「なんですかこれ!」


 背後の木。数本の幹に寄り掛かるように死んでいるゴブリンが居た。それも一体や二体じゃない。ザッと数えただけでも十は居る。


「ゴブリンね。それも自然発生したものじゃなくて、組織されている群れ」


「組織……ですか?」


 言葉の意味はわかるけれど、ピンと来ない。


「ほら、持ってるのは野生のゴブリンと同じよくある棍棒だけど、大きさが全部一緒でしょ?」


「言われてみると、そうです」


 私が最初に襲われたゴブリンの持っていた物を確認すると、これも同じだった。粗悪品に見えて、統一された物。


「野良のゴブリンなら、不自然すぎでしょ?」


 言われてみるとそうだ。確かに、少し前に隣街のゴブリン討伐に駆り出されたことがあったけど、あのゴブリンたちはバラバラの武器を持っていた。


「そう、ですね……彩沙さん、上位の冒険者ってそういうところも見てるんですね」

 

「……歳ひとつしか変わらないし、さん付けやめない? 落ち着かないのよ。周りから呼び捨てされるのに慣れちゃってて」


「そうなんですか……?」


 でも私は逆に呼び捨てするのに抵抗がある。周り、お世話になってる親戚も、幼馴染のユリア姉さんも歳上だから――あ、彩沙さんも似たような理由なのかな?


「という訳で、よろしく。わたしも暫くあの街に居るつもりだし、女のソロ同士、仲良くしましょ」


 うん、仲良くしてくれるのは私としても助かる。闇魔法を隠してるせいで下手に人と組めなかったから。その点、彩沙さんならもうバレバレだから隠し事が減って気が楽かもしれない。聖魔法は問題だけど、彩沙さん、本当に私のことをどうこうする気が無いみたいだもんね。


「はい、わかりました。彩沙――ちゃん」


 呼び捨てにしようとしたけどやっぱり無理だった。


「――っ、まぁ、いいわ。改めてよろしく」


 あれ? 私がちゃん付けした瞬間、顔が歪んだけど本当は嫌だったのかな?


「もしかして、ちゃん付け嫌なんですか?」


「別にそういう訳じゃないの。ただ、この前まで一緒に組んでいた子以外に『彩沙ちゃん』って呼ばれることが無かったから戸惑っただけよ」


「パーティ組んでいたんですね」


 そうだよね、強そうだもん。私とひとつしか歳変わらないのにすごいなぁ。


「ええ。四人組だったわ。まぁ、みんな死んじゃったけど」


「あ、すみません……」


「大丈夫、それでゴブリンだけどね」


 露骨に話を戻された気がするけど、今のは私が悪い。私にだって触れられたくない話題はある……家族とか。それが彩沙ちゃんにとっては前の仲間ってことだよね。気をつけないと駄目ですね。

 改めて増えたゴブリンの死体を静かに見る。全部、心臓の位置に小さな穴が空いていた。そこから固まっていない血が流れているものの、変な言い方だけど綺麗な死体に見える。私がやらかしたのと比べると、一目瞭然だった。


「この穴、なんですか?」


 思い当たるのは、てっきり私に向けられたと思った細い水流が伸びていく魔法だけど……。


「わたしの魔法ね。水をレーザーみたいに飛ばして貫通させたのよ」


「れ、れーざー?」


 噂で聞いたことありますね、異世界人はよくわからない単語を使うって。冷静に考えれば違う世界から来てるんだから当たり前の気もするけど。

 言葉が通じるだけいいと思う。


「あ、ごめん、水って使い方次第で物を切ったり穴を空けたり出来るの」


「あー、図鑑で見たことありますね。似たようなことしてくる魚型の魔物が居るって。私は戦ったことはありませんけど」


「魚型……あれか、居たわぁ――」


 彩沙ちゃんは戦ったことあるんだ……あれ、結構上位ランクで、群れで襲ってくるらしいから、私なんかが遭遇したら即殺されるだろう魔物なんだけど。


「――刺し身で美味しかったわね」


 続いた言葉に耳を疑ってしまう。


「え、た、食べたんですか!? 魔物ですよ!?」


 しかも刺し身って生ってことだよね!? ドン引きなんですけど!!


「……別に毒を持ってるわけでもないし。見た目大きなアジだったから、皆で楽しんだけど」


「いやいや、魔物食べるとか無いです」


 皆って、さっきチラッと出たパーティでってこと? もしかして全員が同郷の異世界人だったってことですかね?


「もう、それはいいのよ、それよりもこのゴブリンよ。リリのことを狙っていたみたいだけど、何かしたの?」


「え、狙われてたの私なんですか!?」


「そりゃあなたの背後から近づいてきてたし。だからわたしが真っ先に気づけたんだけど」


 あ、もしかして彩沙ちゃんが最初に剣を構えたのって私に対してじゃなくて、背後から近づいてきていたらしいゴブリンに対して?


「もしかして、私……」


 それじゃ私がしたことって……。


「そしたら勘違いしたのか、火矢で攻撃されるし」


 彩沙ちゃんニヤニヤしてる。最初は冷たい印象だったのに、随分と表情豊かだったんですね!


「もうわかりました。理解しました!」


「わたしの魔法の射線に居るから取りあえず穴掘って身を低くしてもらおうと思ったら、自分で落ちて『死にたくないです』って泣きそうな声で言ってくるし」


「すみませんでした!」


 思いっきり頭を下げた。私、馬鹿みたいじゃん!


「無事に終われば笑い話だけどね」


 うぐっ、笑われる側としては複雑な心境だけど、闇魔法使って不安定になっていたとはいえ先制攻撃までしちゃってるの私だし、甘んじて受け入れるしかない。


「ゴブリンに狙われる……あ、もしかしたら、アレかもしれないです」


 私が指差したのは闇魔法でパンっとやってしまったゴブリンだったモノ。


「……気になってたんだけど、あれってまさかゴブリン?」


「はい、薬草採ってた時に現れたんですけど、反射的にヤッてしまいました」


「待って、火矢と威力違いすぎでしょ。闇は感情に左右されるって聞くけど……」


 それ絶対言われると思った。


「えへへ」


 笑って誤魔化す。


「リリ……」


 闇魔法、嫌いだけど、嫌いだからこそ……嫌いというのも感情ってことです。嫌うから強くなって、強くなったから更に嫌って。あの事故があるから大嫌いっ!

 身体の内で魔力が波立つ。


「リリ?」


 彩沙ちゃんの声に我に返った。


「あ、すみません大丈夫です」


 危ない危ない。彩沙ちゃんと話していて落ち着いてきてたけど、さっき闇魔法を使っちゃってから大して時間が経ってないんだから気をつけないと。あんな事故は二度と起こしちゃいけないんだから。


「そう……ゴブリンは仲間の殺され方を見て、きっと恐怖を抱いちゃったのね。原因はわかったから――」


 彩沙ちゃんが手をゆっくりと上げていく。それに合わせるように、周囲のゴブリンの死体が地面に飲み込まれていく。血まで吸い込まれているのがわかった。


「――これでよし。取りあえずこれで他の魔物とかに見つかることはないでしょ」


 あっという間に魔法の行使が終わり、惨状はただの森に戻っていた。


「あ、ありがとうございます」


「お礼はいらないわ。あのままの方が問題起きそうだし」


「――あ」


「ん?」


「彩沙ちゃんが倒したゴブリンは死体が綺麗に残っていたから魔石を回収できたなぁと」


 臨時のお小遣いが……。倒したの彩沙ちゃんだけど、高ランクみたいだし、お溢れあるかなぁなんて期待してたんだけど……世の中甘くなかったですね。


「魔石の回収……リリはいつもしてるの?」


「もちろんですよ。貴重な収入源ですよ!」


「それはわかってるけど……ついさっきまで生きてたのを切り開いて取り出すの、わたしは無理だわ……魚くらいならともかく、人型とか絶対に無理」


「そうですか?」


 流石に人間なら抵抗あるけど魔物だと思うけど……謎です。 


「そうよ。それよりこの場所を離れましょ。血の臭いで他の魔物が近寄ってきても面倒くさいでしょ」


「一応、最近はこの辺で魔物の目撃情報は無いですよ」


「知ってる。わたしも今朝、ちゃんと冒険者組合で確認してるもの。ただ……十を超えるゴブリン出ちゃってるのよねぇ……」


「そう、ですね」


「帰ったら報告しないと」


 そう言った彩沙ちゃんは歩き出す。見送る私。


「リリ、なにしてるの? 行きましょ? ゴブリンが数体ならともかく、変な魔物が出てきたら困るでしょ」


 振り返った彩沙ちゃんの言葉に、慌てて荷物をリュックに纏め、薬草を入れている籠を抱えて隣に並ぶのだった。

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