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空間の歪み。それは本来目視できるほどの大きさではない。それほどの大きさ、あるいは量の魔物が一度に現われたことはないからだ。強いて言えば、2000年、世界各地で初めて魔物を観測した時だけ。

それを今は、皓月たちのいる茅ヶ崎の浜辺からでも確認ができた。海上に、まるで潮風に揺られているかのように、空間に波紋が広がっていく。あるいは、何かがひび割れていくように。

サイレンがけたたましく鳴る。


「総員傾注ッ!」


澤野の鋭い号令に、第三部隊の面々が素早く姿勢を作った。魔物を討伐し終えたばかりで僅かに緩んでいた空気に緊張感が走る。状況が掴めていなくとも、異常事態だということは部隊全員が察していた。

リベンジマッチを果たした満屋と、それに喜んでいた真白も例外ではなかった。


部隊全員注意が集まったことを確認した澤野は、状況を説明する。


「本部より連絡があった。現在関東沖に大規模な空間の揺らぎを観測。衛生でおよそ1万体の魔物を確認したそうだ!」


澤野の言葉に部隊に動揺が広がる。

1万という、通常では考えられないほどの大群。それぞれの頭にある言葉が過ぎった。


「大襲来……」


誰かが呟いた。そしてそれを否定する言葉はない。それは部隊の規律故ではなく、誰もがそう考えたからであった。

四肢を縛り付けるような重い空気が広がる。


しかし、それを見逃す澤野ではない。ほとんどの部隊員やり2回りも重ねた年と、自衛隊での豊富な経験が、彼らを奮起させよも澤野を駆り立てた。


「全員、聞け!」


今も鳴る警報はあろか、漣の繰り返す音さえ消えた。澤野はたった一言で、規律ではなく心で、意識を自身へ引きつけた。

澤野は先ほどまでとは違い、静かに、闘志を秘めるようにした声音だ喋り出した。


「確かに、規模は2000年の大襲来時と同等だ。だが、我々はあの日から対策をし、訓練を重ねて来た。それはいつか来るこの日のためだ!」


それは、第二次世界大戦後最大の被害が起きた戦いの時から現役である澤野の、積み重ねてた決意だった。

長い言葉ではなかったが、部隊を落ち着かせるには十分な言葉だった。この瞬間まで見せて来た澤野の背中が、信頼するに足り、言葉に確かな力を与えたのだ。


それぞれの目に力が戻ったことに頷いた澤野は、冷静に言葉を重ねた。


「海軍が全部隊の配備と民間人の避難まで時間を稼ぎ、陸上から砲兵大隊がそれを援護してくれる。我々は一度装備を整えに基地に帰還する。質問は?」


真白が素早く手を挙げた。澤野がそれに発言の許可を与えた。


「他部隊、第一や第二はどうなっているのでしょうか?」

「うむ。第一は千葉方面で他襲撃に備え、第二は我々と同じくここに来る」

「千葉方面にも魔物が?」

「少数ではあるが揺らぎを確認している」

「まだ魔物が増えるのですか!?」

「おそらくは。しかし北陸地方軍、近畿地方軍にもそれ援軍要請を出している。およそ3時間後には到着する予定だ」

「それは頼もしいです。ありがとうございました!」

「他は?」


今度は手が上がらなかった。

それを確認した皓月が、静観を止め言葉を挟んだ。


「それじゃあ、俺はここで離脱させてもらう」


皓月の言葉にどよめきが起きた。いい印象はなくとも、第三部隊の面々は皓月の実力を否応なく見せつけられていた。間違いなく最大戦力であり、それが抜けることになるのだ。

隊員の一人が野次を飛ばした。


「逃げるのかっ? やっぱり金の亡者じゃないか!?」

「そんなこと——」


その言葉に満屋が反応し諫めようとしたが、次の瞬間、野次を飛ばした隊員はふわりと宙に舞っていた。そして背中を強く打ち付け、肺から空気が抜けたことで痛みの言葉を発することもできない。

刹那の出来事に周囲の反応が遅れた。制裁を下したのは満屋でも、似たような感情を抱いた真白でも、隊長である澤野でもなかった。

地面に倒れた隊員のすぐ横で、ゴミを見るように見下している皓月だった。先ほどまで部隊からは少し離れた場所にいたにも関わらず、真白たちでは視認できない速度で移動していた。


「俺も舐められたものだなぁ。逃げる? そんなわけがないだろう。確かに俺はお前の言うように金の亡者だ。だから逃げるわけがない。あんなの金が転がって来るようなものだぞ俺にとっては。理解できたか、馬鹿が」


皓月は倒れている隊員の顔の横を右足で踏み抜き、覗き込みながら続けた。


「そもそも。俺はお前らの仲間じゃない。お前らのお偉いさんと利害が一致したから協力体制を築いただけだ。その中に、俺が望む時は自由に行動することが含まれているんだよ。だから、例え俺が逃げたとしても問題はないわけだ。俺はあくまで民間人。なんの義務もないんだからな。違うか? 澤野さん」

「いや、その通りだ。部下が失礼なことを言った」


澤野はそう言うと、倒れたままでいる隊員の下まで行くと、首の根っこを掴み無理やり立ち上がらせた。


「謝罪を」

「……失礼いたしました」

「これで許してもらえないだろうか、宮代君」

「別に怒ったわけじゃないさ。馬鹿は早く命を落とす。そのための教育を、最後にしておいてやろうかと思ってな」

「そうか。感謝する」


皓月の物言いはあまりに傲慢であったが、しかし、何もなかった、と問題にするつもりがないことを示したことで、誰にも文句は言えない。

ただ、部隊のフラストレーションが溜まることとは別問題であり、皓月に向けられる視線はほとんどが敵意に満ちたものだった。

皓月は自身の魔力が強まる感覚に密かに満足し、同時に残りの感情は魔物に向けてくれと願った。怒りは冷静さを欠かせるものではあるが、同時に戦いにおいては大事なモチベーションになる。


その中で真白と満屋は心配そうにしていた。いくらなんでも、1人でこんな戦場に出て大丈夫なのかと。確かに皓月の強さは自分たちとは比べ物にならないほどだということは、数週間の訓練で身に染みるほど理解していた。

しかし、それとこれとでは別問題で、本当は優しすぎる人なのだと知った今、たった1人であの大群相手に別高度を取ることに、心配しないことなど彼女たちにはできなかった。


それでも、いくら心配したところで、皓月はあくまで民間人であり、真白たちは自衛隊。真白たちに部隊を離れる許可など下りるはずがないことは、彼女たちも理解していた。

だからこそ、そのもどかしさに拳を固く握った。


「じゃあ、俺はそろそろ行く」

「気をつけたまえよ、宮代君」

「足手まといがいなければ本気が出せる。澤野さん、心配するのは自分の身と部隊のことだけにしておくんだな」

「はは、それは無理さ。私は自衛隊員だからな」

「そうかよ」


澤野の気持ちのいい言葉にかすかに表情を柔らかくした宮代は、真白と満屋を一瞥すると、跳躍してその場を去った。

その背中を見送った澤野は改めて号令する。


「それでは先ほど話したように、一度基地に帰還する」

『了解!』


迅速な帰還準備をする中で、真白は1人だけ皓月のことを考えていた。心配はもちろんあったが、それ以上に気になったことがあったのだ。周囲の様子から気が付いているのは自分だけだと悟る。そして、その現象は身に覚えのあるものだった。


——魔力が増えてた?



***



第三部隊から離れた皓月が向かったのは大群の蠢く海ではなく市中だった。もちろん、第三部隊とのいざこざから気が変わったわけではない。

夜にあっても輝きを失わない皓月の瞳は、正確に空間の歪みを捉える。魔物の出現位置を、この世界の誰よりも正確に見取ることができる。


スピーカーから垂れ流しになっている避難指示に従い、海から離れるように北側に動いていく人の列を民家の上から見ると、皓月は眼に魔力を集中させ歪みを視認していく。


常時、魔物の襲来は基本的に海や山からがほとんだ。稀に空から現われ、慣れない空中戦を強いられることがある。皓月にしてみればどこでも問題はないわけだが。


2000年の大襲来でなぜ甚大な被害を招いたのか。いくら当時現行していた現代兵器の効果が薄かったといっても、まったく効果がなかったわけではない。いくらかの魔物には効いていたし、数を撃てば殺すこともできた。

そのため、海上からの侵攻は多少許したとは言え許容範囲内であり、外からの防衛は成功したと言ってもいいだろう。


そう、外からは。


2000年の大襲来では海や山、空を除いて、魔物が出現した場所があった。

市中だ。唯一、大襲来では市中に歪みが発生し魔物が現れた。武器など持っていない市民は逃げるか隠れるかしかできず、対応に当たった警察も支給されている銃ではどうしようもなかった。結局、自衛隊が対処したが、それまでの間に被害は増え続けることになった。


その後しばらく、市中にも厳戒態勢が敷かれたが、大襲来以降、市中に直接歪みが発生することはなかった。


このことについては専門家などはいなかったために様々な分野で議論が交わされ、いくつか結論が出た。その一つが海などに出来た歪みの余波が、市中にできたのではないかというものだ。

それを裏付けるように市中に現れた魔物の数は、海などに比べると極僅かに過ぎなかった。

故に、市中に歪みができ魔物が直接現われることは例外とされ、今ではその可能性がすぐ頭に浮かぶ者はほとんどいなかった。

歴史上でも初めてのことではあったが、人は忘れる生き物であり、当時のことなど風化してしまっている。


皓月の除いて。その眼は歪みの予兆すら見つけることができる。

皓月は海岸部から離れた場所に生まれた歪みにへと一瞬で移動した。魔力で強化された脚力は屋根にひびを残した。


歪みは車道の真ん中にあった。傍から見れば車道に、突然皓月が飛び出したようなものだ。幸い通りがかる車は速度を落としていたことと距離があったことで皓月に突っ込むことなく、車を壊す事態にならずに済んだ。しかし運転手にとっては危険であったことに変わりなく、さらに皓月が退こうとしないことで、窓から顔を出して怒鳴った。


「あぶねーだろ!」


皓月はそれに応じることなく、車に背を向けたままだ。運転手の男性はクラクションを鳴らす。歩道を歩いている人たちも何事かと様子を伺っている。


ただひたすら何もない空間を見つめ続け、避難を邪魔する男。皓月を普通にとらえればその通りだ。

運転手は苛立ちからクラクションを鳴らすのを止め、直接退かすために車を降りようとした。

それを背中越しに感じとった皓月は、一瞬だけ向くと、地獄の底から出したような冷えた声で運転手を脅す。


「死にたくなかったら出てくるな」


怒声でもない、ただ底冷えた声に運転手はドアにかけた手を固めた。そして、皓月越しに空間が揺らいだのを見て、吐いた息を詰まらせた。


周囲もそれに気がついたようで、1人の恐慌が伝播し、集団の混乱へと発展していった。

慌てて逃げる歩道の人たちを横目に、皓月は手に魔力を集めて構えた。


魔物が少しずつ姿を現し始める。今回現れたのは四足歩行型のようで、禍々しい顔が最初に飛び出た。


「ファング・ウルフか。面倒な」


鋭く大きな犬歯を確認した皓月はそう呟いた。極めてオーソドックスな、狼型の魔物だ。皓月にとっては一捻りで済む魔物だ。

しかし、基本的にファング・ウルフは群れている。皓月の目の前に広がる小さな歪みでも、2、3匹は出現する。


1匹、2匹、3匹とファング・ウルフが現れた。

皓月は干渉が可能となる完全出現のタイミングを見極める。そして、1匹目が尻尾まで出た瞬間。


「死ね」


魔力を集めた右手で、ファング・ウルフの首をなぞった。直後、血しぶきが上がると頭がごとっ、と鈍い音とともに落ちた。

そして次の瞬間には2匹目に手を伸ばし、3匹目も同じように殺す。現れたのは合計で5匹だった。

頭部が使い古されたモップのように転がり、自ら出している血を染みこませる。。


圧倒的な殺戮劇を目の当たりにした周囲は唖然していたが、次の瞬間には既に救われたものだと湧きあがった。


「やるなー兄さん!」「ありがとう!」「このまま一緒に来てちょうだい!」


そんな様々声に皓月は突き放した答える。


「今回はいつもと違うことがわかったろう。死にたくなかったらさっさと北に進め! 邪魔だ」


その言葉に皓月をヒーローとばかりに思っていま避難者達は、心をざらりとさせた。言っていること正しかったが、高圧的な態度に印象を悪くしたのだ。


しかしそれは皓月にとっては望んだことで、魔力が増える感覚を確認して、すぐにその場を去った。

皓月は次の揺らめきを既に捉えていた。



***



基地に戻った第3部隊は休息を取りながら出動準備を整えた。

第3部隊の待機所には緊張感が満ちていた。第3部隊の面々は基本的にまだ10代の者しかおらず、2000年時の被害を直接記憶しているわけではない。故に想像もできない戦いを前に、言葉数は減り、それが余計な緊張を招いていた。

さらに言えば、部屋の外から聞こえてくる慌ただしい音が、映画のBGMのように、生まれた緊張を煽っていた。


真白は、不安を滲ませる満屋に気が付いた。


「佳奈、大丈夫?」

「うひゃっ」


真白がぽんっ、と軽く肩を叩くと満屋は小さく悲鳴を子猫のように跳ねた。周囲の視線が集まると満屋はペコペコと謝った。そして視線が散ると、満屋は抗議の目を真白に向けた。


「もう、真白ちゃん!」

「ごめんごめん。佳奈、緊張し過ぎてるみたいだったから解そうかと思って」

「うぅ、それはしてるけど……。そういう真白ちゃんは緊張しないの?」

「もちろん緊張してるよ」

「ほんと?」

「うん。基地にいる大人の人の表情を見てさ、ああ、本当に大侵攻なんだって」


真白は壁で見えないが海の方を見て内心付け加える。

——あんな大きさの歪みは見たことがない、と。


「真白ちゃん、どうしたの?」

「え? ううん。なんでもないよ。それでとにかく、佳奈、もう少しリラックスして。そんなんじゃ、いつも通りに戦えないよ」

「うん。わかってるんだけどぉ」

「大丈夫。何かあったら私が佳奈をも守るから」

「そんな! わたしだって真白ちゃんを守るよ」

「うん。よろしくね、佳奈」

「任せてよ真白ちゃん」


真白との会話の中で満屋はいつもの調子を取り戻し、かちこちに固まっていた表情もいい塩梅に和らいだ。

丁度そこに、澤野が司令部から作戦を持ち帰って来た。澤野が入室すると、全員の視線が集まった。


「手はそのままでいい、耳を傾けろ。今後の動きを話す」


澤野は一呼吸おいて続ける。


「現在、海岸部の防衛は当初の想定通り上手くいっているが、予想外の事態が発生した。どうやら現在、市街地に小さくはあるが歪みが発生し魔物が出現しているらしい」


全員が息をのんだ。言わずとも、一般人に被害が出ることが想像できるからだ。


「ただ、今のところ人的被害は出ていない」

「え?」

「何者かが、魔物の出現と同時に魔物を討伐してまわっているらしい」


澤野は何者かと言っていたが、ここにいる全員がすぐにその正体を頭に浮かべた。ある者は驚嘆し、ある者は畏怖し、ある者が歓喜し、ある者は嫌悪した。

澤野はそれらの反応を無視し、指令を伝える。


「よって、第3部隊は海岸部ではなく市街地に出現する魔物の対応に向かう。2人1組で行動するが、普通科部隊がサポートをしてくれる。補給や後処理はそちらに連絡し任せるように。何か質問は?」


澤野は誰の手も挙がらないことを確認すると、腕時計を確認して告げた。


「では5分後に出動する。各自準備を怠らないように!」

『了解!』


全員、表情を引き締めた。



***



市街地にて、真白は満屋とペアを組み魔物の討伐に当たっていた。二人が割り当てられたのは寒川町だ。地理的には神奈川県のほぼ中心、茅ケ崎市の丁度北部に位置する。

2人は茅ヶ崎にある基地から寒川に来るまでに魔物の死体をいくつか見かけた。どれも、首を一刀両断された死体だ。


「宮代さん、だよね」

「おそらくね」


ファング・ウルフの死体を見下ろしながら二人が話す。


「いったいどれだけの範囲を回っていたのかな」

「報告だと、湘南地域各地に発生しているみたいだから、それ全部?」

「えぇ? いくら宮代さんでもできる?」

「私はできると思うよ。というか、できるから私たちから離脱したんだと思う」

「わたしたち、やっぱり足手まといなんだね」

「うん。でも私たちだってやれることはあるんだから、それを頑張ろうね」

「そうだね、真白ちゃん!」


そこへ、ザザッ、と無線による連絡が入る。ジープ車の後部座席にいた通信兵が、その内容を真白たちに伝える。


「観測班より連絡。現在地より北東約500メートルに歪みを確認したとのこと」

「了解しました。私たちは先に向かうので後から追いかけて来てください。佳奈、行くよ」

「うん」


真白と満屋に2人はそう言って跳躍する。

魔法士は身体強化による機動力で住宅街程度の地形ならば、それを無視して直線的に移動するこができる。一方で普通科は車両による移動になるので、整備された一般道を進むしかない。かなりの住民の避難が進み車道を走る一般車両はほとんどない上に、信号を無視してもいいとはいえ、どうしても魔導士の方が早く着く。


真白と満屋は民家の上を移りながら話す。


「佳奈、着いたらどうするかわかってるよね?」

「うん。まず魔物の数と一般市民の確認。それから真白ちゃんが前衛で、わたしが後衛」

「よし! 冷静に行くよ」

「うん」


そして間もなく指示のあった場所に到着した。2人はすぐに魔物の数と市民の有無を確認した。市民に関しては見当たらず、それに関して満屋は安堵を浮かべた。しかしすぐに気を引き締め直し、表情を険しくして言う。


「魔物はファング・ウルフが3体」

「うん」


真白が周囲を確認するが、魔物が移動した形跡はない。眼下にいる魔物だけのようだった。


「まだ気が付かれてないね」

「真白ちゃん、どうする?」


満屋に問われた真白は数秒だけ思案し答える。


「私が奇襲して1体目を仕留める。そのまま2匹目に移るから、佳奈は3体目を足止めして」

「わかった。気をつけてね」


真白が手でカウントを取り、ゼロになった瞬間一気に加速してファング・ウルフに接近する。そして魔力を注ぎ込んだ軍用ナイフで喉を切り裂いた。


「佳奈!」

「水籠!」


満屋が練っていた魔力を解放し、魔法を放つ。

水属性魔法・水籠みずかご。満屋の得意とする魔法の1つで、対象を球状の水に捉える魔法だ。

水籠に捕らわれたファング・ウルフは、水のなかで藻掻き苦しむ。内側から鋭い爪で切り裂こうとするが、その度に満屋が魔力を込めて阻止する。


そしてその間に真白はもう1体と対峙していた。といっても、そこまで時間をかけることはない。


「突風」


風属性魔法・突風。いたって単純、ただ強い風を吹かせる魔法だ。

ファング・ウルフは下から突き上げるような風に体を空中へ打ち上げられ、身動きを取れなくされた。


「土槍」


そしてその隙を土属性魔法・土槍で作った3本の槍を飛ばし、宙に舞い無防備にさらされたファング・ウルフの体を貫いた。ファング・ウルフはそのまま身動きを取ることなく地面に落ち、血を地面に流した。


「佳奈そのまま少し待ってね」

「うん。余裕あるから大丈夫だよ」


満屋は自信が付いたのか、実戦での魔力効率がよくなっていた。元々平均値よりも多い魔力を有していたが、無駄に使う癖があり、それがガス欠を早めていた。しかし今は本人も言うように余裕がある状態だ。


真白はそんな満屋の変化に喜びつつ、最後の一体も水籠を解いた瞬間に土槍で仕留めた。


「お疲れ、佳奈」

「ううん。真白ちゃんの方が大変でしょう。わたしだってこれくらいはしなくちゃ」

「ありがとう」


真白はナイフに付着した血を魔法で生成した水で洗い流し、腰にあるホルダーにしまった。


「それにしても、佳奈、かなり余裕だったね」

「うん。なんか、いつもより調子いいかも」

「調子がいいんじゃなくて、それが佳奈の本来の実力なんだよ」

「えへへ、真白ちゃんにそう言ってもらえてうれしいな」

「頼りにしてるからね」

「うん、頼りにして!」


戦闘を終え会話しているところに、ジープ車が到着した。中から若い男性隊員が出てきたので、真白は状況を伝える。


「ご苦労様です。魔物は3体いましたが既に討伐しました。民間人も見当たらなかったので、周辺の民間人は既に避難を終えているかと。私たちの損害も特にありません」

「了解しました。死体の処理は私たちが引き受けるので、七咲三曹と満屋三曹は休憩していてください」

「わかりました。よろしくお願いいたします」


この程度ではさほど疲労もないが、この非常事態がいつまで続くかわからない。もっと言えば、さらに深刻な事態になるとも限らないのだ。魔法士は魔物に対する主力であり、いざという時に披露で動けないという状態になっては困る、そのため、休める時に休むのだ。


真白たちはバス停にあったベンチに座ることにした。


「真白ちゃんはどうなると思う?」

「この大侵攻が?」

「うん」

「そうだね……。とりあえず、今起きてる市街地の歪みはそろそろなくなると思うよ」

「見えたの?」

「なんとなくだけどね」


真白は目に込めた魔力を解く。アンバー色の煌めきが息を潜めた。

満屋が心配したように覗き込むが、真白は「大丈夫」と手で制して話を続けた。


「今市街地で歪みが起きてるのは、海上の大きな歪みの余波みたいなものっぽいんだけど、それがほとんど治まってる」

「ほんと?」

「うん。観測班が時間に余裕を持って判断してからだと思うけど、私たちも海岸部に行くことになると思う」

「そっか」


戦地の真っ只中に行く、と言われわかっていることとはいえ、満屋の表情が硬くなる。

遠くではあるが砲声が断続的に聞こえ、南の空は黒々とした雲が立ち込めていた。暗い感情を煽るような空だ。


満屋は自身のことよりも気にかかることがあった。


「じゃあ、宮代さんはどうするのかな。市街地で歪みが発生しなくなったら」

「どうだろうね。宮代さんが前線に向かったら凄い戦力にはなるけど。いくら宮代さんでも魔力をかなり消耗しているはずだし」

「宮代さん、わたしたちよりも長い間を、もっと広い範囲で魔物狩りしてるんだもんね」


満屋の声には心配と同時に尊敬が含まれていた。その様子に真白は、最初は怖がってたのに随分と懐いてるな、と苦笑いを浮かべる。

親友が心を許せるようになったのはいいことだが、少しちょろすぎるのではないかと。


2人は魔物の後処理をする普通科隊員を見ながら落ち着いた雰囲気になっていた。

しかし、そんな中ただ1人、真白の背中に電撃が走る。

真白は急に立ち上がり、南の方、海の方を見つめる。


「真白ちゃん?」


目を見開く真白の横で、満屋が不思議そうに訊ねる。

真白は目線を彼方に投げたまま、残った僅かな容量の意識で言葉をかき集め、継ぎ接ぎな台詞を吐く。


「佳奈、わからないの?」

「なにが?」

「あっち、で、凄い量の魔力、が膨れ上がったのが」


冷や汗を垂らしながら真白が言うので、満屋は意識を向けて見る。

満屋の首筋をさらりと撫でる何かがあった。目には見えず、音にも聞こえず。しかし、漠然とした何か。

魔法士ならば差異はあれど誰でも感じることのできるもの。その感覚を普通の人は第六感と呼ぶものかもしれない。


つまり魔力だった。


山のように大きく、しかし空気のように希薄で。真白たちの位置では微かに感じられるものではあったが、それを辿れば何よりも強固な魔力だった。


「真白ちゃん、これ宮代さんの魔力だよね?」

「うん。でもここからでも感じられるほどの魔力って、いったいどれだけの……」


真白たちはこれが遥か彼方から流れて来た魔力だと、感覚的に気が付いた。例えるのであれば、感じることのないはずの潮風を感じるようなものだ。

訓練を施してくれた間には感じたことのない魔力の強さだった。


真白は、宮代に対して抱いていた違和感の輪郭を少しずつ捉え始めていた。


——まさか宮代さんは……。



***


時は5分ほど遡る。


藤沢市江ノ島。かつては有名な観光名所として栄えていたこの場所も、賑やかな声を枯らしてから久しい。2000年以降は国に買い取られ、民間人が立ち入ることもできなくなっていた。

現在は防衛線の最前線として機能している。歪みを感知する高性能の探知機、防衛能力を高める幾門かの砲台。


皓月は江ノ島前線基地を片瀬海岸の方から眺め、忙しなく動く働きアリのような自衛隊を確認していた。


「そろそろ閉じそうだな」


魔眼で歪みの状態を見た皓月は呟いた。

歪みは今も魔物をこの世界に送り出し続けてはいるが、同時に世界を隔てる扉は閉まりかけてもいた。大量発生していた始まりに比べれば、魔物の増加ペースは明らかに落ちている。隙間風が入っているようなものだ。


これなら任せておいても大丈夫か、と皓月は魔眼を海とは反対側、市街地の方へと巡らせた。皓月の視界はカメラのようにズームとアウトを繰り返す。


余波的な歪みの発生も落ち着いたかと、皓月は気を僅かに緩めた。しかし警戒は怠らない。己を守るのが己のみである以上、誰かが警告をくれるわけではないのだ。


10年近く1人で戦って来た皓月は、その辺りのことに関して抜かりはない。ただ、休息が必要なことも確かだった。


自販機で適当に飲み物を購入し、見晴らしのいい背の高い建物の上で喉を潤す。一口でかなりの量を飲んだ。


皓月といえど、湘南地区全域をカバーして戦うのには無理があった。魔力も多少は増えていたが、その分も含めてかなり消費していた。まだ戦うことはできるが、余裕とは言えない残存量であった。


戦況は終局に向かいつつある。前線は維持しつつもはや作業のように魔物を狩り、市中も自衛隊の手が回り始めた。


だからなのか、大規模侵攻といえど安全だと考えたのか、海岸にとある集団がいた。

皓月はそれに気がつくと、舌打ちをした。


「なんでテレビクルーがこんなところに。馬鹿なのか?」


まるで台風中継でもするかのように、海上で魔物と戦う自衛隊を映すテレビクルー。

男性キャスターらしきスーツ姿の男性。険しい表情をした男性カメラマン。ビクビクとしている女性マイク。そしてそれを取り仕切っているディレクターの4人だ。

全員ヘルメットを被ってはいるものを、とても戦場に出るような装備ではない。局に言われたからなのか、はたまたディレクターの意向なのか。


皓月はそのクルーに見覚えがあった。何度か茅ヶ崎市で見かけたことのあるクルーだ。魔物が発生するの海辺近くに現れていた。おそらく、彼らの管轄がこの辺りなのだ。


それにも関わらず、なぜ今回の襲来がいつもと違うということがわからないのか。皓月は馬鹿馬鹿しいと頭を振りつつも、彼らの側に歪みがないか確認した。


幸いなことに歪みはなく、すぐに彼らを襲うような魔物が発生することはなさそうだった。

そう結論付けようとした。


チクリと、首筋を刺す感覚を皓月は覚えた。静電気のように僅かな気がつきだった。


皓月は目を凝らした。しかし歪みはもちろん、それが発生しそうな予兆するうかがえなかった。


自身の勘が外れたのか? と皓月ら首を傾げたが、まさか、という可能性を探るべくテレビクルーの足元を凝視した。地中へ、魔眼の魔力を高めさらに地中へと潜らせる。


そして皓月は地中を動く魔力を発見し、その進行方向を見て、今度は舌打ちをする間もなく跳び、滑空するようにしてテレビクルーのもとに向かった。顔には少し焦りが見えた。


——新種か?


皓月は空間の揺らぎを確認することができるし、さらにその予兆を見ることさえできる。しかし、それでも皓月は過去視の能力は持っていない。

既にこの世界に現われている魔物に関しては、魔力を感知するという方法でしか発見できなのだ。


海に現われる魔物も、そらに現われる魔物もこれまで確認されて来た。皓月も幾度となく討伐し死体を重ねて来た。

しかし、地中に現われた魔物というのは確認がされていなかった。


コンクリートで建てられた建物の窓が、カタカタと振動する。細かいその揺れは段々と大きくなっていき、その揺れにテレビクルーの面々も気が付き始めた。

日本は地震大国だ。地面が揺れるということに関しては魔物の脅威以上に慣れており、故にいつものことだとテレビクルーも流していた。


しかし、皓月の目は確かに捉えていた。地下から徐々に上がって来る魔力の塊を。そしてそれが決して一つではないということを。


「ん?」


男性キャスターが飛んできている皓月に気が付いた。そしてそれに釣られるようにして、カメラマンがカメラを皓月に向ける。そして数秒後、皓月は地面に降り立つと説明することもせずに魔力を練り上げた。


「あの、あなたは——」


男性キャスターがマイクを差し向けようとするのを皓月は遮って言う。


「チッ、死にたくなきゃ黙ってろ、馬鹿どもが」


男性キャスターは胸の中で火が燃え上がったが、それを表に出す前に皓月が魔法を使った。


テレビクルー全員を風で持ち上げる。ふわりとした優しいものではなく、スカイダイビングのように下から突き上げる強い風だ。男性キャスターはマイクを落としてしまったが、カメラマンは辛うじてカメラを抱えられた。

空中に浮遊したまま、皓月は立っていた場所に警戒の視線を送る。


突然の暴挙に、魔法士に対していい印象を持っていないディレクターが、烈火のごとく怒りを燃え上がらせて皓月に言い寄った。


「何をするんだいきなり! さっきの暴言もだ!」

「何をしてるのかって言うのはこっちの台詞だがな」

「我々は、報道官としての使命を持って、この大襲来を報道しているんだ! それを君は——」


ディレクターは怒りで出来た実を破裂させたようで、口汚い放言を皓月に浴びせ続けた。

一方で皓月は冷え切った表情のままで、付き合ってられないとばかりに氷柱のような言葉を突き付けた。それはカメラを通して全国へ放映される。


「どうやら自殺志願者だったようだな。別に俺は、今ここでお前たちを落としてもいいんだぞ」

「なっ!?」


それはテレビクルーだけではなく、放映を見ていた避難民や他の地方の民間人にまで届いた言葉だった。


魔法士は自衛隊特集などで周知され魔力を持たない者のために戦うヒーローのような存在としての認知が広がっている。真白などはその容姿もあり、魔法少女などとネット界隈では人気を集めた。そういった善性に満ちた存在なのだと、人々は思っている。


しかし今、皓月の見せたふるまいはとてもヒーローのようなものではなかった。起きた現象だけを見れば、皓月はテレビクルーを魔法で急に攫い、殺すぞと脅しをかけたのだ。


その姿はまさに悪役だった。


皓月の言葉はまるで可燃ガスのように広がり、多くに人間の心に怒りを灯した。同時に、その感情の奔流が皓月に向かった。


魔力が爆発的に膨れ上がった。普段から自衛隊に良い思いを抱かれる言動をせずに悪感情を向けらえるようにしている皓月だったが、今のよりも魔力が急激に強くなったのは初めてのことだった。全国規模のバフがかかった皓月は、間違いなく過去で一番状態が良かった。


皓月はテレビクルーの癇癪を意識から除外し、余裕のできた魔力を魔眼に回した。そして皓月は一帯の地中に広がっていく魔物の魔力に辟易とした。しかし、そこには確かにいた。


「来る」


テレビクルーのいた場所にひびが広がり、コンクリートの地面が膨れ上がると、噴火でもしたかのようにコンクリートや土が飛び散った。出て来たのが温泉ならばよかったかもしれないが、残念なことに飛び出て来たのは魔物だった。


「蟻か?」


皓月はその魔物を蟻と評した。確かに道端でよく見かける蟻とほぼ同じ見た目をしている。ただ一つ違うのは、その大きさだった。

現われる魔物は大型バイクほどの大きさをしていた。いつもは嚙まれてもチクりとしかしない牙は、人を真っ二つにできそうなほど大きい。


皓月が観察していると、地面に出来た穴から最初の一匹に続いて続々と蟻が出て来た。さらに、最初に出て来た場所以外にも穴が空き始め、一帯が穴だらけになっていく。


皓月はニヒルに笑い、改めてテレビクルーに向けて言った。


「要望通り元居た場所に下ろしてやろうか?」



***


ここから皓月が苦戦し、真白たちが応援に来ます。
























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①悪意を纏う魔法使い ヒトリゴト @hirahgi4

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