第120話 ひと揃いした外厩で

『シホー? 今度はなに作ってるの?』

「んー? なんだと思う?」


 手作り坂路にかまくらを作った志穂は、今度はホームセンターで図面通りに切断してもらったアルミ材を組み立ていた。触れる部分には超一流牧場でもらってきたお下がりのクッションを巻きつけ、西部劇の酒場のような両開きの扉を取り付ければとりあえずは完成だ。


「じゃーん、ゲート完成! ちょっと入ってみよ」

『はーい!』


 ハルにまたがって人馬一体。中央競馬や地方競馬で用いられているものとほぼ同じサイズのゲートに足を踏み入れる。洞爺温泉牧場のゲートに慣れているハルは、なんなくゲート入りをこなしていた。

 ちなみにこのゲートは手動式。ゲートの梁にぶら下がった紐を引くと、それに連動して扉が両開きになるようになっている。この仕掛けを考えるのが一番大変だったが形にはなったようで、ゲートが開くなりハルはすぐさま雪中に飛び出していった。


『すごーい! お隣さんにあるのと同じー!』

「フフン、しめて三万円! まだまだカネは残ってる!」


 買えばその十数倍はするゲートを安く上げて、今度は例のかまくら坂路の入口に立つ。真っ暗なトンネルの中を照らすのは、点々と連なる園芸用のLEDライトだ。


「トンネルってさ、出るって言うよねー」

『何が出るの?』

「いやまあ、幽霊とか……」

『へー! 友達になれるかな!?』


 まっすぐ走らないと壁にぶつかってしまうような狭いトンネルは、七色に光るLEDに照らされていても薄暗い。かまくらは自分で作ったし作業中に死者もいないのでなんのいわくもついていないはずだが、なんとも不気味だ。

 ただ、ハルはもう『幽霊に会いたい』と騒いでしまっている。ここで志穂が躊躇うわけにはいかないだろう。


「これから一日三回、このトンネルを全力疾走するよ。タイムも計るから」

『たったそれだけ!? もっと走りたい!』

「走りすぎたらレインみたいにケガしちゃうからダメ。ほどほどにやってこう」

『わかったけどぉ〜……』


 不満そうなハルを撫でて、薄暗いトンネルに一歩踏み出した。

 八百メートル、四ハロンのかまくら坂路。それを一日三回、違った速度で走らせる。

 まずは馬なり。鞭や手綱で追わないで馬に任せて走らせる方法。もっとも志穂は鞭や手綱で追える訳ではないので、基本的には馬なりだ。代わりに志穂には、鞭代わりの声がある。


「まず一本め! 好きに走っていいよ。スタート!」

『いっくぞーッ!』


 そしてハルは薄暗いトンネルの中を駆け出した。

 八百メートル坂路の高低差は十メートル。春先になったら延長してマイル距離にする予定で、最終的には全体高低差十五メートルとかなりのものになる。美浦トレセンの坂路は最大高低差十八メートルなので、勾配でいえば充分匹敵するものだ。

 ただ、このかまくら坂路にはいかんともし難い欠点がある。


『ここ楽しいけど、まっすぐ走らないと危ないね!』

「狭いから集中して! 壁にぶつかったら痛いよ!」

『気をつけるーッ!』


 横幅二メートルのトンネルは、薄暗い上に狭いのだ。密に並べたLEDは飛行機の滑走路のようで綺麗だが、少しでもハルがヨレたら雪の壁に激突してしまう。なにより志穂にとってもここは危ない。振り落とされたら壁に天井に激突は必至。よい子は決してマネしてはいけない坂路調教だ。

 七色の明かりを頼りに、ハルは坂路を駆け上がる。遠くにトンネル出口が小さく見えて、ゴールとともに志穂の視界がホワイトアウトした。坂路から出れば、地面はウッドチップから一面の銀世界。ストップウォッチは四ハロン五十秒台後半。まずまずの好タイムだ。


「どうだった?」

『すっごく楽しいーッ!!!』


 走り終えたハルのたてがみを撫でて聞いてみると、ハルは志穂を乗せたまま喜びの舞を踊って志穂はすっ飛ばしていた。


『あっ! シホだいじょうぶ!?』

「乗ってるときに騒ぐなあ!」


 新雪に空いた人型の穴から抜け出して志穂は叫ぶも、ハルはお構いなしで喜んでいる。走っている最中は壁に激突しないかとヒヤヒヤしたが、作った甲斐はあったのだろう。

 そんな坂路調教を都合二回。最後は声で指示を出して追い切ると、先ほどよりタイムはよくなっていた。素人の志穂が追ってこれなので、調教師や騎手が本気で追えばタイムはもっとよくなるだろう。

 なにより、志穂には気づいたことがある。


「ハルけっこう体力ついてきたね」

『うん! 前にモタおじさんやネージュお姉ちゃんと走ったときより疲れてない!』


 夏場の模擬レースは、平坦なコースを千八百と二千だ。距離が違うとはいえ、今回は八百メートルの坂路を三本、休みを挟んだとしても二千四百だ。それで疲れていないのは体力がついた証だろう。


「ちゃんと成長してるんだな……」


 今年の四月に出会って、ハルとはもう九ヶ月ほどの付き合いだ。当初は三百キロ後半くらいだった馬体も現在では四百キロ前半。競走馬としては標準から小さめくらいだが、まだまだ育ち盛り。


『この調子なら、絶対お姉ちゃんと走れるようになるよね!』

「ケガしなきゃね」

『そうだった! 気をつける!』


 ビシっと両足でしっかり立って、ハルは南の空を眺めていた。

 志穂もまた、ハルの馬体を——特に前足など——つぶさに観察して異常がないことを確認する。とにかくハルの体調は最優先だ。体温や糞便、あらゆることに目を配る。ホースマンは馬最優先。最初に大村に教わったことを身に染みて感じながら、志穂はハルとともに坂路を後にした。


『あら〜、おかえり〜』

「のんきだなぁ、クリスは」

『だってあったかいんだもの〜』


 坂路を終えた後は放牧だ。光が差し込むサンシャインパドック代わりの温泉暖房ビニールハウスでは、すでにクリスが寛いでいた。外気温とは異なり室温十度のハウス内は。風が吹き曝す増築工事中の馬房よりも快適なのだろう。

 工事完了までの間は、この温室内がクリスの家だ。ビニールハウスの隅っこに積んだ寝藁の上で、クリスは大きくあくびをしていた。


『そうそう、さっきお腹の仔が蹴ったのよぉ〜』

「マ!? 触っていい?」

『ふふ。シホのことわかるかしらねえ〜』


 妊娠中のクリスもまた大きくなっていた。なんせ胎内の仔馬は五十キロ近い。ハルのみならず、クリスの健康も志穂の心配ごとだ。

 お腹に手を当ててみると、内側から何かに押された。それが鼻先なのか足なのかはわからないが、新しい生命の息吹を感じる。


「ホントだ! 今なんか当たった!」

『元気そうでいいわね〜。ハルやお姉ちゃんの時もそうだったわあ〜』

『ボクも触りたい!』


 今度はハルが鼻先をお腹に押し当てる。するとそれに応えるように、腹の中で仔馬が蠢いていた。


『わーッ! すごい! ボクお姉ちゃんになるんだ!』

「弟? 妹!?」

『そうねぇ〜。元気に生まれてくれたらそれでいいけど、弟かもしれないわねえ〜』


 母親の勘だと牡馬。きっとマリーやハル以上に元気な仔が来年の春先には生まれてくることだろう。

 志穂は温かなクリスの体に顔を埋めて、全身を撫であげる。流産と不受胎を繰り返し、さらには高齢馬。出産のリスクは高いが、それは志穂が決めたことだ。生かすも殺すも志穂にかかっている。


「私が絶対無事に取り上げるから安心して」

『ええ、期待してるわねえ〜♪』


 ホースマンとしてやることは膨大だ。それでも志穂には投げ出す気はない。

 馬たちは、イカれた能力を持つ志穂を頼ってくれている。だったらそれに応えるだけだ。


 暖かな温室を後にした志穂は、再び雪深い放牧地と対峙する。

 馬房、偽ロンシャン、かまくら坂路に手作りゲート。それに暖かなサンシャインパドック。安上がりながらも、外厩としての最低限の機能は整いつつある。もちろん他にも調教用プールやトレッドミルとあった方がいいものはたくさんあるが、大事なのは設備だけじゃない。


「私が一人前になんないとな」


 襟元に輝く金の蹄鉄に触れて、相応しい人間になろうと密かに誓う。

 そして志穂は、いつものように冬枯れの林にチェーンソーを突き立ててウッドチップを量産するのだった。

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