第110話 老いてなお壮健よ!

「ふふふ。歓迎会の主役なのにずいぶんゲッソリしてるね」

「見世物小屋のサルの気分だよ……」


 ようやくパーティー会場の壁の花になれた頃には、志穂の喉は掠れ、舌もまともに回らなくなっていた。壁際に備えられた椅子に腰を下ろし、寧々に手渡されたコーラを一気飲みしてようやく落ち着く。

 『加賀屋志穂上京記念パーティー』と銘打たれた珍妙な催しの主役は、誰あろう志穂。となると必然、注目の的だ。何も聞かされていないにも関わらず登壇して挨拶をし終わった途端、物珍しい女子中学生ホースマンを一目見て一言交わそうと百名余りの人々がひっきりなしに押し寄せ、そのたびに頭を下げて名刺を配りと社会の洗礼を思う存分味わったのである。


「慎二くんが言ってたよ、各界の名主ばかりなんだってね」

「もらった名刺でデッキ組んだら中学生大会で優勝できると思う。人気女優の黒須琴音を召喚! アタック!」

「じゃあ五所川原慎二でブロック」

「はい私の勝ち。五所川原さんの知名度じゃ敵うワケなーい」


 もらった名刺をカードゲーム代わりにして、志穂は寧々とくだらない遊びに興じていた。

 ちなみに客は大半が馬産家や馬主だが、まだ馬主になっていない一部上場企業の社長やスポーツ選手に芸能人、どこぞの政治家まで揃って華やかだ。名目上は志穂の歓迎なのだろうが、実際のところはちょっとした社交の場なのだろう。


「にしても、財前のじーちゃんの人脈シャレになんないわ」

「人の繋がりは財産だからね。今は見世物扱いでも、顔を繋いでおけばいつか役に立つかもしれないよ?」

「それもホースマンの仕事のうちなんでしょ? わかってるけどさあ」


 志穂の脳裏をよぎるのは、財前のカネの使いようだ。今回の遠征費用といい五百万円の小切手といいパーティーといい、ここまで積まれるとさすがの志穂でも怖くなる。タダより高いモノはない。


「マジでジジ活だったらどうしよう……。あるいはハルを売れとか……」

「ふふ、大丈夫だと思うよ。考えすぎじゃない?」

「だって普通、一回会っただけの中学生にこんだけカネ使わないって」

「馬主って普通じゃないよね」

「それはそう。ぐうの音も出ねえ」


 そう言われると納得する他なかった。ホースマンと違い、馬主業は基本的に赤字なのだ。維持費も賞金も分配するクラブ法人でもない限り、馬主で儲けることは難しい。

 補足するように、寧々がこそこそと耳打ちしてくる。


「有名どころで言えばキタサンブラックの馬主さんかな。二十億近く稼いで種牡馬としても稼ぐ名馬だけど、巡り逢うまでにビル二棟分の赤字を出したなんて噂」

「そんだけの赤字に耐えられるトコがまずすごい……」


 馬主はあくまでも本業あってこそ。むしろ本業の黒字を馬主業の赤字で相殺し、節税することが目的と言われることすらある。言うなれば庶民がすなるふるさと納税感覚で馬を買って楽しんでいるのだから、スケールの大きな話だ。

 おそらく財前にとっても、足代もパーティー費用も瑣末なことなのだろう。


「ま、いいや。タダ飯食べてくる」


 寧々の希望を聞いてからビュッフェスペースに並び、志穂は料理を皿に盛っていった。キャビアやトリュフを載せておけ、とでもいうような絢爛豪華な食事には目もくれず、から揚げや焼きそばの茶色いプレートを目指していると、財前が歩み寄ってくる。


「聞くに小娘。お前の管理する外厩に空きはあるか?」

「んー。ウチも洞爺温泉牧場も埋まってるかも」


 すこやかファームの馬房数はふたつ、うちひとつはクリスとハルで、もうひとつは時折連れてくるレイン用だ。一方、洞爺温泉牧場外厩の馬房は五つ。ひとつはレインのために借りていて、もうひとつはほぼクリュサーオルの専用馬房。残りも他の馬で埋まっている。

 だから満員御礼と返すと、財前はやはり秘書と何やら話し込んでから告げた。


「では先の五百万で馬房を用意しろ。お前に預かってもらいたい馬がいる」


 志穂は勘づいた。やはりタダより怖いものはない。パーティーは望んでいないにせよ、ここまで用意されてしまったら断るに断れないのだ。これぞカネ持ちのやり方である。

 とは言え、カネの匂いには敏感な志穂だ。

 増える徒労を思うと疲れもするが、知らない馬に会えるのはそれなりに嬉しい。ついでに言えば預託料をもらえるので仕事になるし、例の石崎から建て替えた五百万円を本人が「使え」と言っているのだ。だったらありがたく使うべきなのだろう。 


「いいよ。どんな子?」


 尋ねると、財前に代わって関口が資料を寄越す。

 丁寧にステープラーで留められた馬主登録、血統表、戦績。そのうちの馬齢を見て、志穂は目を見開いた。


「え、待って? 七歳……!?」

「馬名はセブンスワンダー。馬名の由来は《七番目の宝》。小娘も知っているだろう、あの《スペシャルウィーク》の忘れ形見だ」


 セブンスワンダー。栗毛に細い流星の七歳牡馬。

 父は今や大人気の「スペちゃん」ことG1四勝、《スペシャルウィーク》。彼が種牡馬引退年に残したラストクロップであり、直仔唯一の現役馬。ちなみに母父はスペちゃんのライバルこと《グラスワンダー》、祖母の父には稀代の晩成長距離馬ステイヤー、《メジロマックイーン》とある意味とんでもなく流行の血統だ。

 茜音ならきっとこう言うだろう。


 ——いやこれロマンの塊だよ!? 令和の世に走ってていい血統じゃないから! というか生きた化石だから!


 さすがの志穂でも聞き覚えのある名前の上に、ついでに美少女版の姿が思い浮かぶ。あの三人をミックスした感じの美少女なのかもしれない。本人は七歳のおじさん馬だが。


「こんな歳でも走れるんだ……」


 所属は栗東、戦績は二十八戦六勝。特筆すべきはその転戦ぶりだ。

 二歳デビューを地方競馬の門別で飾った彼は、中央のダート戦線へ。その後は芝に転向するも負けが続き、一時は障害レースも試すも再び芝に舞い戻ってオープン勝ちを飾っている。

 中央競馬の芝、ダート、障害。三レース形態すべてを知り尽くした生き字引とも呼べる老兵である。


「老いてなお壮健よ! カカカッ!」


 重賞にこそ手は届いていないが、財前にとっては自慢の馬なのだろう。たった半年しか面倒を見ていないハルやクリスですら家族扱いしている志穂には、財前とセブンスワンダーの七年もの歳月の重みがよくわかる。

 「しかしな」と、それまでの上機嫌ぶりとは一転、財前は吐息まじりにゆっくりと告げる。わずかに瞳が潤んでいるように志穂には見えた。


「こやつもそろそろ潮時だ。直近の戦績を見れば小娘にもわかろう」

「ま、去年の成績はあんまりよくないしね」


 六歳時の戦績は五戦五敗。どれもほぼ最下位だ。人間がそうであるように、やはり馬にも衰えはある。サラブレッドの七歳は人間に換算すると三十路手前。アスリートが引退を考え始める年齢だ。

 「そこでだ」。財前はシャッポを脱いで、志穂に向かって頭を下げた。


「どうか、こやつの花道を飾ってやってほしい」

「引退レースってことかぁ……」


 頼まれたのは、老いた馬の馬生の総決算だ。

 これまで志穂が預かったり馴致をしてきたのは若馬ばかりだ。一番上でさえクリュサーオルの四歳である。育ち盛りの彼ら彼女らと違って、ピークを過ぎてしまっていそうな古馬の世話はしたことがない。

 資料に目を落とし、志穂は考え込む。

 ファイルされているのはセブンスワンダーの写真のほか、財前とともに写った口取り写真もあった。勝利の余韻に浸り、厳しい渋面すらも柔和な好々爺の姿で引綱を取っている。


「んー……」


 悩みはしてみるものの、財前に頼まれた以上、志穂に断るという選択肢はない。むしろだからこそ悩むのだ。

 セブンスワンダーは財前にとって、自身を重ねたかのような愛馬だ。そんな大切な馬の引退を、志穂が預かっていいものなのだろうか。調教の腕なんて見よう見まねの素人に毛が生えたようなものだ。任せるなら他にも適任がいる。


「大事な馬なら、もっといい人に託した方がいいと思うよ」

「構わん。ワシは見たいのだ。貴様が預からぬのなら、その場で引退させるまでよ」


 返答は、ただひと言だ。ピシャリとそれだけ言い切って、二者択一を迫ってくる。

 預かるか、引退か。

 悩んだものの、財前の希望は志穂にも理解ができた。最後の花道を用意してあげたいという気持ちは、セブンスワンダーを愛するがゆえなのだろう。


「……わかった。頑張ってみるよ」

「では頼むぞ! カカカカカッ!!!」


 高笑いを残し、財前は秘書を連れて来賓客の元へ去っていった。

 一方の志穂は、妙な違和感が拭い去れない。一番の謎は、その馬名だ。


「でもなんでセブンスワンダーなんだろう。財前のじーちゃん、自分トコの馬には《ザイゼン》ってつけてんのに……」


 財前は《ザイゼン》冠で知られた馬主だ。現役の持ち馬にはザイゼンゴエモンなど古風な名前がついているのだが、セブンスワンダーだけは違っていた。

 それに気になるのは、その馬名由来だ。財前は意味のわからない由来を語っていたが、《スペシャルウィーク》は一週間、つまり七日。そして《グラスワンダー》の一部と考えても十分に説明がつく。なのに敢えて別の由来を語ったのだ。

 《七番目の宝》。


 頼れるウィキペディア、茜音に馬名を送ると、即座に返答が戻ってきた。


「《ダイナナホウシュウ》……?」

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