第109話 ナメられてたまるか

「ダメだ、管理したことにはならん。私の言う管理とは、イチから育てたということだ」


 石崎の重箱の隅を突くかのごとき言い分にはうんざりするが、志穂も予想した通りだった。自分の非をすぐ認めるような人間なら、あんな嘘まみれの配信など行うはずがないからである。

 秘書は冷や汗を拭っていたが、隣に座す石崎は勝ち誇った表情を見せていた。


「イチからってのは具体的にどっから?」

「仔馬を取り上げるところからだ! まあ、君にはお産の経験などないだろうが!」

「あるよ、血まみれで難産だったけど。あと種付けにも同行したし、配合も私が決めた」


 石崎はやはりギョッとしていたが、すぐに嫌味な笑みを浮かべる。

 そう、そんな条件を持ち出されてはさすがの志穂でも勝ち目がない。プリンはもちろんのこと、ハルやレインですらダメなのだ。取り上げたティナの仔を志穂が育てたとしても、百万円チャンスは早くて二年後。クリスの仔に至ってはまだ生まれてすらいない。

 ただ、つけいる隙はまだある。


「でもさ、そんな後出しのルール納得できる?」

「君が納得できるかなど関係がない! 支払うのは私なのだからな」

「いや、私じゃなくて。アンタの配信を見てる連中がだよ」


 石崎の顔色が変わった。配信を見ていたのは五百人足らずとはいえ、バカにできない人数だ。それに彼らは石崎の考えに共感しているファンたちなのだ。


「あんなに大々的に宣言したっしょ? 実は五勝してたことがバレたらどうなると思う?」

「つくづく育ちの悪いガキだな……」

「そう、私育ち悪いから、もう証拠は上げた」


 スマホを見つめる秘書の瞳は、焦点が定まっていなかった。すこやかファームのSNSアカウントには、これまで志穂が隠してきた外厩厩務員としての活動が写真や動画付きでアップロードされていたのだ。ついでに花村の記事もリツイートして、「やりました」と大々的に宣言してある。

 志穂がなぜ、顔出しの写真をSNSにアップしなかったか。それはネットに顔写真など上げようものなら、好き勝手にコラージュされて爆乳スケベボディにされてしまうからである。美少女ゆえに。

 自分の顔面に対しての自己評価だけは無駄に高い志穂だったが、今のところその心配はなさそうだった。それはそれでムカつく。


「アンタのファンが事実を知るのは時間の問題。大事なファンに、苦し紛れに逃げたって思われてもいいワケ?」

「ハッ、その程度一向に構わん。それで去るような連中を相手にする気はない」

「あっそ」


 ファンを大事にする意識くらいは持っていると思っていたが、石崎はそれすら持ち合わせていなかった。おまけに自分の評判に傷がつくことにも考えが及んでいない。尊敬できる部分が何ひとつない。

 交渉は決裂。最後通牒すらも無視されたので、志穂は頭を切り替える。情をかける必要はない。

 志穂はスマホの録音ボタンを停止して、その場で再生してみせる。


「一部始終は録音したし、撮影させてもらったよ」


 告げると、傍らに座っていたディレクターもカメラを取り出す。カバンの中に仕込んでいたカメラには、石崎の顔こそないが、彼の恫喝じみた音声と志穂の横顔がハッキリ記録されている。


「これは立派な脅迫だ! 訴えて——」

「黙れィッ!!!」


 一喝。天井の高い喫茶店に、大音響が響き渡った。声のした方に振り向くと、着流しにシャッポ、杖をつく老体の姿が目に留まる。傍らには正装した秘書の男性。そして高級スーツに袖を通す五所川原に、同行する寧々の姿があった。寧々も普段より着飾っている。

 石崎は即座に激昂して誰何するも、老人は臆することなく名を告げた。


「我が名は、財前善治郎……」

「あ、財前のじーちゃん。寧々さんも来たんだ?」

「ハハハハハ! この私もいるぞ、志穂君!」


 親しげに接する志穂の一方、石崎の顔面は引きつっていた。


「財前、だと……!?」


 財前善治郎。半世紀もの長きに渡って《ザイゼン》冠で知られたその名は、G1こそ獲っていないものの、競馬界に広く轟いている。馬主たちで組織される馬主会の理事職を歴任し、現在でも多くの馬主からいろんな意味で一目置かれるベテランだ。

 石崎は即座に考えを巡らせる。

 なぜ弱小牧場のすこやかファームが、有力馬主と関係を築けているのか。さらには志穂の胸元で輝く金の蹄鉄を授けられたのか。

 競馬の世界は狭い。人間すらも、まるでインブリードでも起こしたかのような濃密な縁戚関係に覆われている。

 もし加賀屋志穂が、財前の縁戚に当たる人物であれば。


「ど、どういう関係……ですか?」


 急におとなしくなった石崎の様子に、志穂は呆れた。この程度で臆するなら、ケンカなんて売るほうがバカなのだ。


「パパ活……。いやジジ活かな?」

「なんとふしだらな……!」


 寧々だけは笑っていたが、当の財前にはまるで伝わっていなかったのだった。理解できる言葉で言えば「愛人」になるのだろうが、いくらなんでも大嘘が過ぎる。


「前のセールで知り合って、招待してもらっただけ」

「それだけで小娘を東京に呼ぶはずがない……!」


 なおも狼狽える石崎の元に、財前がつかつかと歩み寄ってくる。老いてなお敵意を両の瞳にたたえて石崎を一瞥すると、静かに告げた。


「行くぞ、小娘。こんな小童を相手にしている時間はない」

「いやでも訴えられかけてるんだけど」

「こんな小娘を訴えるような者は馬主に向かん。貴様もそう思うだろう?」


 財前はそう、石崎に問うた。馬主会の顔役である一喝に石崎は怯むも、それで溜飲を下げるほど賢明ではない。財前から視線を逸らし、志穂だけを睨みつけて宣言する。


「この小娘は私を脅迫した! 誰が何を言おうとその点は変わらん!」


 あまりに頑固が過ぎて志穂にはもう言葉もない。

 ただ誤解だけは解いておこうと「一勝につき百万円」の一部始終を説明すると、財前はカカと高笑いした。


「いいだろう! ワシがこの男の支払いを建て替えてやる。関口!」


 秘書の名を呼ぶと、すぐさま五百万の小切手が志穂の眼前に飛び込んできた。


「私はありがたいけど、このオッサン払う気ないよ? じーちゃん丸損じゃん」

「案ずるな、支払わせる。どんな手を使ってもな」


 多くを語らない財前の言葉には、さすがの志穂でも背筋が冷えた。なんせ財前はキャバレーで財を成した、夜の街の帝王。なんとなくクリーンな方法とは限らない気もするが、オトナの世界の戦いはオトナに任せておくに限る。

 だが、石崎は折れようとしなかった。


「小娘にカネなど払わん! 脅迫罪で訴える! 子どもだろうと容赦はしない!」

「好きにしたら?」


 結局、五百万どころか喫茶店の飲食費すら払わずに、石崎と秘書は喫茶店を後にした。お高いコーヒー代に財布が痛い志穂だったが、しっかり領収書をもらって保存しておく。そのときがきたら、これも追加で請求してやるためだ。


「ずいぶん面倒な馬主に目をつけられたようだな。大丈夫かね、志穂君」

「平気。腹立ってるだけだから」


 五所川原も面倒な馬主ではあるが、石崎と比べればかわいいものだ。

 志穂の吐き捨てた言葉に、撮影していたディレクターも「そうですね」と静かに頷いていた。ちなみに彼の中では、すでにドキュメンタリーの演出のプランが出来上がっている。


 女子中学生ながらも懸命に努力する加賀屋志穂。その奮闘を認める者がいる一方で、いっさい認めない者と対立することもある。志穂の前に聳え立つのは、子どもに馬産など務まるはずがないという偏見の壁だ。その壁を前に志穂がどう行動するかが鍵になる。

 ディレクターが欲しい映像は、志穂にもわかる。石崎を黙らせる実績だ。

 もちろん自分の勝利のために、馬を酷使するようなことがあってはいけない。やれる限りのことを無理せず続けるほかないのだ。


「……ナメられてたまるか」


 志穂は立ち上がる。そして迎えに来た財前らとともに、送迎車に乗り込んだ。

 向かう先は、パーティー会場。秘書の関口によれば、ささやかなホームパーティーを用意してくれるという話だったが、到着したところで志穂はやはり馬主の財力に開いた口が塞がらなかった。

 通されたのはホテルの大広間。垂れ幕には『加賀屋志穂、上京祝賀パーティー』と流麗な達筆で書かれている。立食パーティー形式の会場は百名余りの人々で埋め尽くされ、会場に到着した志穂を見るや拍手喝采を浴びせていた。


「今日は小娘の歓迎会だ。大いに飲んで食うがいい!」

「やりすぎでしょ!? アンタバカか!?」

「これぞだ! カカカッ!!!」


 志穂の気疲れなど考えもせず、財前は高笑いしていたのだった。

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