第104話 強くなるには修行!

「じゃ、みんなに挨拶してみよっか。プリン」

『う、うん……』


 そうして、プリンの精神を鍛える修行が始まった。

 洞爺温泉牧場。

 志穂とプリンを出迎えたのは、もの珍しい月毛馬を生で見ようと待ち構えていた従業員たちだった。大村はもちろん、いつもは隣の生産部門にいる翠や晴翔まで志穂が歩きで連れてきたプリンの姿に興味津々だ。


「おっと、志穂ちゃんいいのかい。その子は他に慣れてないと聞いてたが」

「慣れないままじゃレースもできないからね」


 大村の質問に軽く答えつつ、プリンをみんなの元へと近づけていく。引綱から緊張が伝わるようだったが、そこはそれ。最低でも、まずは人間が危害を加える存在じゃないことに慣れてほしい。


「ホントは私が預かった馬だから、みんなに手伝ってもらうのは悪い気もすんだけど」

「気にすんな。持ちつ持たれつ、好きに使えばいいさ。まあそのぶんしっかり志穂のお駄賃から引いとくけどね」

「ぐぬぬ」


 豪快に笑う翠がまず、プリンに手を伸ばした。プリンはやっぱり怯えているので、「大丈夫」と耳元で囁く。すると、なんとか触っても駆け出すようなことはない。翠の指先の感触を耳を畳んだまま耐えていた。

 やはり、緊張は拭えない。それでも大事なのは一歩の積み重ねだ。


「すごいじゃん。知らない人に触られても大丈夫だったし」

『シホが、だいじょうぶって言ってた……』

「そうそう。ここの人はみんな優しいよ。幸せなホースマンだから」


 洞爺温泉牧場は、大村のモットーが息づく牧場だ。

 馬のためにも日々を幸せに生きよう。そのためには自分はどうするべきか。

 常に幸せを追求して、馬ばかりか自身の幸福も高めるよう努力している彼らの姿勢が、プリンにも伝わればいい。


「ね、プリン。昔は幸せじゃなかったかもしんないけど、今は違うよ」

「…………」


 やがて大勢の人々が取り囲むと、プリンはまたしても緊張したのか返事はなかった。難しい問題だ。一朝一夕に変わるものではない。同世代の馬にイジメられたせいで、無害な人間すら恐れてしまっているのだから無理もない。


「加賀屋さんはとうとう、ウマのトラウマ治療まで始めたんですね」

「この際、ウマの精神科でも開業してみよっか?」

「需要あるかもしれないですね」


 くつくつと笑いつつ、晴翔は告げた。

 以前は毎日のように会っていたのに、最近は晴翔に会うことも減っていた。小野寺のために会うのを遠慮しているのもあるが、実のところは生徒会長の任期を満了し、かつ騎手学校の試験も近くて馬事研に姿を見せなくなったからである。おまけに晴翔の家は、志穂が毎日手伝いにくる育成部門ではないのだ。

 ゆえに、晴翔の違いがよくわかる。


「なんか痩せた? 頬こけてない?」

「だいぶ食事量を制限して、筋トレを続けてるからでしょう」

「うわキツ……」

「加賀屋さんのやってることに比べれば、俺なんて恵まれてる方ですよ」

「比べなくてよくない? どっちも頑張ってるでいいじゃん」

「競争の世界ですから。自分の努力に満足してしまったら、そこで終わってしまう気がするんで」


 言って、晴翔は乗馬を繋養する馬房へ小走りで走っていった。ちなみに彼の髪の毛はすでに短く刈り込まれて新じゃがのようにコロッと丸まっている。学校の晴翔ファンは嘆き悲しんだが「でも夢中で騎手を目指してる感も素敵」とすぐに気持ちを切り替えていた。

 そう、切り替えねばならないのは志穂も同じだ。

 人間の熱烈歓迎を受けたのち、志穂は少し離れた生産部門へ向かった。まずはやんちゃな若馬ではなく、落ち着いた母馬たちとプリンを引き合わせる。

 これはプリンの他馬慣れ修行、レベル1。


「ティナ、久しぶり〜。子どもは残念だったね」

『うまくいかないこともあるわよ。でもまた会えて嬉しいわ、命の恩人さん』


 まず会いに行ったのは真っ白な馬体の母馬、ティナ。以前、志穂が行き当たりばったりで助産した馬だ。産後すぐに発情の兆候が見られたので急いで種付けを行ったが、結果は未受胎。今年はゆっくり骨を休めて来年に備えることとなっている。ちなみにあの時生まれた当歳馬は、乳離れをして元気に集団放牧中だ。

 そんなティナにプリンを引き合わせてみる。ティナは大人しい母馬だ。志穂の読み通り、プリンもそこまで耳を引き絞ることはなく、馬同士の挨拶を行っていた。

 臭いで確かめて、やおらティナが口を開く。


『ずいぶん悲しい目に遭ったのね』

『…………』

『気持ちはわかるわ。たしかに珍しいと目立ってしまうものだから』


 プリンの月毛ほどではないが、ティナの白さも珍しい。分類上は芦毛なのだが、ティナは生まれた瞬間から白馬だ。人々の羨望を集める白い毛は、馬社会でも目立つもの。ティナもまた、似たような悩みを抱えていたのだろう。


「ティナは平気だったん?」

『ノリと勢いで乗り切ったわ!』

『…………』

「参考になんないね、行こ。プリン」

『えーっ!?』


 何度か話してみて分かってはいたが、ティナはかなり陽気だ。そしり、やっかみをうまく笑いに変えて「イジられキャラ」を確立してきたタイプなのだろう。その器用さはプリンにはなかなか真似できない。


『ノリって、難しい……』

「向き不向きがあるから気にしなくていいよ。ほら、次も挨拶」

『こ、こんにちは……』


 そうして各馬房を巡り歩きながら、志穂を介してプリンは挨拶を交わしていく。いずれの母馬も個性は強いけれど、みんなプリンには優しかった。

 「イジメを受けた」と知るやプリンの代わりに激怒して暴れるアツい者や、自身も過去に加害者側だったことを反省する者。十頭に聞けば十頭答えが違う人生論ならぬ馬生論を、プリンは黙って聞いていた。


「次で最後。疲れてない?」

『ちょっと、疲れたけど……。みんな優しいから、大丈夫。がんばれる』

「えらいえらい」


 プリンもようやく挨拶回りに慣れてきたようで、ぺたんと畳まれていた耳はまっすぐ伸びていた。着実な一歩が踏み出せている気がする。

 そして、最後の馬房。クリュサーオルの母、フィオナの前で志穂とプリンは足を止めた。


『来たわね!? ねえ、うちの子はどうだったの!? あの女の娘より優秀なんでしょ!? 話しなさいよ!』

『ひっ……!?』

「圧がすごい……」


 フィオナの勢いに気圧されて、プリンの耳はすぐに引き絞られてしまったのだった。

 とりあえずここ最近のクリュサーオルの戦績について話すと、フィオナは一気にご機嫌になっていた。世代最強のダービー馬の二着になった後、G2レースで勝ったのだ。次はいよいよあの女ことクリスの娘、プレミエトワールとの戦いを控えていると教えると、フィオナは自慢げに鼻をフンフン鳴らしていた。


『フフン、うちの子が絶対に勝つわ! あの子を臆病だとバカにしてたヤツら全員、見返してやればいいのよ!』

「火力が高いなあ……」

『そっちの綺麗な子もそうしなさい。バカにされたなら強くなって目にモノ見せる! 簡単でしょ! そのために頑張ればいいのよ!』


 あの子あってこの母あり。クリュサーオルに負けん気の強さを伝えたフィオナはとにかく闘争に飢えていた。負けっぱなしが許せない、そんな性分なのだろう。

 これこそ参考にならない。適当に話を切ろうとした志穂だったが、黙っていたプリンがおずおずと口を開く。


『どうやって、頑張ればいい……?』

『いいわ、名案がある! よく聞きなさい』

『うん……』

『貴女が強くなる方法! 教えてあげるわ——』


 フィオナは鼻息荒く、鼻先で志穂を指していた。


『——シホがね!』

「丸投げかよ!? なんかいいこと言いそうな雰囲気だったじゃん!」

『しょうがないでしょ。人間のほうが、私たちより私たちのこと詳しいんだから』


 それもそうだが、とは思いつつ納得いかない志穂を無視して、フィオナはプリンに告げていた。


『強さっていうのはね、体の大きさや速さじゃないの。どんな相手でも毅然と立ち向かう姿勢。自分の正しさを信じて、間違ってるヤツに「間違ってる!」って言ってやることよ』

『……それが、強さ?』

『そう! 一番の強さね!』

「いいこと言うじゃん」


 『伊達に母親やってないわよ!』とフィオナは上機嫌だった。話を聞かせてくれたお礼のニンジンを全員に与えて、お宅訪問は無事に終わった。

 きらめくプリンの馬体を志穂は見つめる。陽の光で燦々と輝く月毛は綺麗に輝いていた。当初は怯えたフクロウのように萎んでいた毛も、ほんのりとふっくらしてきたように志穂は感じる。

 もしかすると、いい刺激になったのかもしれない。


「どう? イジメるような馬はいなかったでしょ」

『……うん、みんな優しかった。だけど……』


 少し元気になったように感じたものの、プリンは再び項垂れる。


『シホがいなかったら、どうなるかわからない……』

「んー……」


 志穂には言葉が見当たらなかった。仲介に入ったからこそ、母馬たちが味方してくれたのかもしれないからだ。他馬に慣れることはできたものの、まだひとりで関係を築けた訳ではないのだ。心を開くのは難しい。


『……でも、頑張りたい。最後のお母さんが言ってたから』

「フィオナ?」

『うん……。わたし、いじめっ子たちに「間違ってる」って言えるようになりたい……』

「そっか」


 それでもプリンは、なりたい自身の理想像を描き始めていた。

 本人が願うなら、志穂も叶えてあげたい。そのためには何ができるだろう。

 考えたところで、志穂は閃いた。


「なら、合宿しよう」

『それは、なに……?』


 志穂は一歳馬たちが群れている広大な放牧地を指差して言った。


「友達作るまで帰れまテン!」


 *


 翌日。志穂は洞爺温泉牧場の放牧地の隅っこに、テントのペグを打っていた。説明書と動画を見ながらどうにかこうにかポールを立てて、一人用の仮住まいを作り上げる。

 もの珍しそうに見ているのは、志穂と行動を共にするプリンだけではない。集団で夜間放牧を行う一歳馬たちも『シホがなんかやってる〜』としげしげ眺めていた。もちろん、それは人間もである。


「志穂ちゃん、洞爺の夜は冷えるぞ? 泊まり込みにしても、テントじゃなくて晴翔くんの家や空いてる宿舎もあるんだが……」

「大丈夫。着替えもカイロもいっぱい持ってきた。あとしてみたかったんだよね、キャンプ」

「現代っ子とは思えないなあ」


 大村は心配そうだったものの、こうと決めたらテコでも動かない志穂の意志の硬さを知って説得を諦めていた。代わりに「万が一のため」の空き宿舎の鍵を渡し、日が落ちかけた放牧地を後にする。

 用意したキャンプギアはテントにターフ、椅子、机。その他もろもろ。火気厳禁なので火の類はないが、魔法瓶にはスープと熱湯を入れてある。カップラーメンくらいなら食べられるだろう。


『ホントに、やるの……?』

「そのつもり。今回は私は手を貸さないから、自分の力で頑張って」

『でも……』

「強くなりたいんでしょ?」


 努力を強要するような物言いは志穂もしたくなかったが、今だけは心を鬼にする。必要なのは、プリンが自分の力で勝ち取った成功体験だ。

 知らない一歳馬十数頭の中に放り込まれても、怯えずきちんと打ち解けられるか。この修行をクリアできれば、プリンはきっと他馬に慣れて、自身のトラウマとも向き合えるようになる気がする。


『……無理かもしれないけど、頑張る』

「うん、頑張れ」


 プリンをひと撫でして、志穂はテントの出入り口をマジックテープとファスナーで止めた。

 そして、ずいぶん読めていなかったマンガの新刊を何冊も積んで、読み始める。


「ひさびさにだらだらしよーっと」


 実は修行は建前。本音は少し休みたかっただけだった。

 ひとり用テントで過ごす、贅沢な堕落。だが、それを許さない者がいた。


 この日の夜、洞爺は記録的な寒気に見舞われたのである——

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