第103話 希望を背負う強さを
『ねーシホ、プリンのお願いは叶えられないの?』
「すぐには無理。結果が出るまでだいぶかかるから」
馬房を掃除していると、プリンを脇に控えさせたハルが鼻先スピアとともに尋ねてきた。志穂としても打てそうな手は打ったものの、かなり気の長い方法である。
志穂の思いついた妙案は、入厩する二歳馬に「月毛の悪魔」の噂を吹き込んで、それぞれのトレセンで流してもらうこと。内容は以下である。
世の中には、普通とは違う月毛の馬がいる。
それは呪われし馬であり、夜な夜な悪魔に変身して、自身に危害をくわえた者を食べてしまう。食べられたくなければこれまでの行いを悔いて、悪魔の使者とされる人間に詫びを入れると救われるというものだ。
どんな噂を流したのか教えても、ハルとプリンは小首を傾げて疑問符を撒き散らしていた。説明しようとしたところで、レインが『なるほど』と声を上げる。
『プリンさんに危害をくわえた者は、シホさんに謝りたくて仕方がなくなる。それで最後まで謝らなかったのが探してるお友達なんですね?』
「レインは賢いね」
レインが語った通り、噂は犯人を炙り出す消去法だ。よしよしと頭を撫でてあげると、レインはくすぐったそうに体を寄せてくる。かわいいのでしばらく続けていると、ヤキモチでも妬いたのかハルがむくれていた。
『おにーちゃんばっかズルい! それにうまくいくとは限らないよね!?』
「そうね、欠点もある。噂を信じなかったり、そもそも反省しないヤツには効かないんだよ」
『やっぱり! じゃあボクも賢い!』
「はいはい」
ついでに甘えたい放題のハルも撫で回しつつ、志穂はさらなる方法に頭を巡らせる。
この噂は消去法のついでにイジメっ子に復讐もできる方法だ。なんせ悪魔の使いこと志穂は、ほとんど競馬場に現れない。ゆえにどれだけ己の過去を悔いても、謝って終わりにはできないのだ。ほぼ一生、過去の罪を背負って生きていくことになる。
「ま、思うとこはある方法なんだけどね」
『どゆことー?』
「プリンの馬主は、復讐とか恨みを晴らすことに興味ないんだよ」
五所川原もプリンと同じ、イジメサバイバーだ。だけれど彼の辞書には復讐の文字はない。もしかしたら成功することこそが復讐なのかもしれないが、直接、相手を攻撃することに意味を感じてはいないのだろう。
「うるさくてしつこいんだけど、あれは強い生き方だよね。私だったらボコボコにしてる。肉体じゃなくて精神に二度と癒えないトラウマを植えつけて……」
『シホ悪い顔してるー!』
『怖いですよ……』
プリンが受けたイジメを思えば、あんな牧歌的な怖い話ではなく、もっと強烈なものを流してやるべきだったかもしれない。国語の授業、古谷先生仕込みの想像の余地を残した作文であれば、きっと追い詰められるのだ。
だが、プリンの考えは志穂とは違っていた。
『わたしも、あの人みたいに強くなれる……?』
「五所川原さんみたいになりたいの?」
プリンはこくりと頭を動かした。
レイン以上に臆病でビクビクしているプリンが、豪快な高笑いとともにゴール板を通過する姿は、まるで想像ができなかった。というかアレは志穂の思考の斜め上を行く存在だ。あの鋼のメンタルになる方法もわからなければ、そもそもなれるかも怪しい。ある意味才能である。
「でも強くなるって言ったって、強さってなんなん?」
『それは……わからない……』
「ならま、直接聞いてみるしかないかな……」
志穂は五所川原に連絡を入れた。何度かけても通話中だったので、普段のようにメールにプリンの写真を添付して元気でやってることを伝えておく。
そして志穂たちは、普段の日課に戻る。坂路を少しずつ伸ばしては木を切ってウッドチップを量産し、坂路を駆け上がってと施工業者なんだか調教師なんだかわからない仕事を続けていた。
数日後、五所川原がすこやかファームにやってきた。
定期連絡のたびに「プリンちゃんに会いたい!!!」とメールで電話で結んでいた彼は、とうとう辛抱たまらなくなったのか丁寧にアポと土産を携えて遥か洞爺の地を訪れたのだ。
しかも今回はひとりではない。
「ああ、志穂君! 紹介しよう! こちらは私の幼馴染、晴海寧々さんだ!」
「慎二くんから話は聞いています。よろしく、加賀屋さん」
柔らかい笑顔が印象的な美人、それが寧々の第一印象だ。ついでに、五所川原の友人でいられる、とんでもない心の広さが寧々の第二印象である。よく疲れないものだ。
今さら呼び名や敬語を使われるのも面倒だったので、「志穂でいいよ」と軽く告げてプリンの馬房まで案内しようとすると、彼女はずいぶんゆっくり歩き始めていた。五所川原も隣で支えている。
「どしたん? 立ちくらみ?」
尋ねると、五所川原は苦笑して語る。
「以前、私が客と競馬観戦したと話しただろう。それが彼女なのだよ。触ってみたまえ」
言われて志穂は歩み寄った。寧々の了承を得て右足を触ると、異常に硬い。軽くノックすると、コンコンと金属音がする。義足だ。
はじめて義足の人間を見た志穂は、なんとも言えない気持ちに襲われた。
かわいそうという思いと、そんな風に同情などかけてほしくないのではないかという個人的な共感。一方的に同情を寄せられると人は疲れてしまう。かわいそうだなんてレッテルを貼られたくないのだ。
「ごめんね。舗装路はいつもみたいに歩けるんだけど、それ以外の場所はコツがいるから」
「焦ることはない。何事も一歩ずつ慣らしていけばいいのだ」
五所川原は義足のセンサ情報を読み取るタブレットを片手に、寧々を見守っている。
技師と客の、一風変わった二人三脚。うるさくてしつこいながら真摯に向き合う五所川原と、自らの障がいにも負けず立ち向かう寧々の姿は、二人には悪いがどこか美しくもあった。
「なんかエモいね。あの五所川原さんがマジメに仕事してるトコとか」
「ハハハ! 私はいつもクソがつくほどマジメだぞ! 皆の希望になると誓ったからな!」
「自分で言ってたら意味ないでしょ、それ」
寧々が茶化し、五所川原もトボけたように笑う。妙に雰囲気がいい。
ふたりの関係を女の勘みたいなものでぼんやりと悟って、志穂はニヤケそうになる頬を抑えながらゆっくりと放牧地へ歩いて行った。
「会いたかった! 会いたかったぞ、プリンちゃん!!! しかも妹君となかよしになったのだな!?」
「「うるさい」」
志穂と寧々が口を合わせて注意しても、五所川原は聞く耳持たずで号泣していた。
まずは人懐っこいハルが駆け寄ってきて、それに続くように月毛の馬体もおずおずと近づいてくる。五所川原は相変わらず動物が怖いのかへっぴり腰だったが、それはプリンも同じ。お互いに触れたくても触れられない、絶妙な距離感で間合いを探ろうと互いにぐるぐる回りあっている。
その様子を見ながら、ハルが笑う。
『プリンとあのうるさい人、ちょっと似てる!』
「こういうトコだけはね」
一方、志穂は寧々を馬房近くのキャンピングチェアに案内した。ついでにリハビリ中だったレインと、馬房で食っちゃ寝していたクリスを触らせてあげる。ニンジンの餌やり体験まで楽しんだ寧々は感激したようで、ほうっと熱っぽい息を吐いて呟く。
「……これも全部、慎二くんのおかげなの。彼の作る義足はほとんど疲れないから、億劫な遠出もしたくなってね」
「東京を出たのは修学旅行以来」と気持ちよさそうに伸びをして、寧々はプリンとある意味で格闘する五所川原を見つめていた。
「義足だけが理由?」
少しイジワルな質問をすると、寧々は照れくさそうに笑った。
「欠点はあるけど、とても真面目で素敵な人。私にはもったいないくらい」
「そんなことないでしょ。すごくお似合いだった」
寧々はしばらく沈黙する。草原をかける風の音。偽ロンシャンを攻めに行ったハルの足音と、クリスがニンジンをボリボリと咀嚼する音が間を埋める。
「……彼は私の希望なの。希望だからこそ、これ以上迷惑をかけられない」
「迷惑だなんて思わない気がするけど……」
遠くで、ようやくプリンに触れた五所川原が感激して大地にくずおれていた。怒号のような声をあげて号泣している。相変わらず大げさだ。
「人の希望も期待も批判すらも、なんでも背負っちゃう人だから」
五所川原がプリンの購入を決めて財前と競り合ったのも、「プリンを救う」というバカみたいな理由だ。義足の値段に悩んでいたことといい、困っている者がいたら手を差し伸べずにはいられない。マンガの登場人物みたいな人間なのだろうと志穂は思う。
寧々は何も嵌まっていない左手の薬指を弄んでいた。もちろん、五所川原の指にも指輪はない。
「希望を背負う……」
なんとなく、五所川原の強さの正体がわかった。
どんな苦境でも挫けなかったのは、確固たる目標があったからだ。
困った人を救う。ただそれだけのために五所川原は真摯に取り組んでいる。
「プリンもそんな存在になったら、強くなれるのかもね」
ようやくプリンにしてやれることが見つかったかもしれない。
志穂はプリンの名を呼んで、寧々とも触れ合わせてあげた。
世にも珍しい月毛馬。そんな彼女が自信を持って生きるには、寧々と同じように一歩ずつの鍛錬が欠かせないのだ。
幸いにして、彼女と二人三脚ができる相手はたくさんいる。
「クリス、明日から忙しくなりそうだよ」
『ふふ。シホがやる気になってるわねえ〜。なら私もがんばらないと〜』
考えうる方法はスパルタだ。だがようやく慣れてくれたプリンなら、きっと立ち向かえるだろう。
求めるは強さ。五所川原のような確固たる意志と鋼のメンタルだ。
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