第96話 のんびりすこやかに

「なんでプリンまで夜間放牧してんのかな〜?」

『な、なんでだろね? ボク知らなーい……』


 翌朝。放牧地を駆け回るふたりの姿に、志穂は推理するまでもなく犯人を特定した。かんぬきを外すことまで覚えるハルの賢さが嬉しい反面、よそでやられると困ったことになる。注意しようかと思った志穂だったが、隣にぴったり寄り添ったプリンを見て溜飲を下げた。


「プリンはここ慣れた?」

『……うん』

「ならいいや。朝ご飯にしよう」

『あ! ボク、シカ追い出したよ! これはニンジンもののえらさだよね!』

「脱走させたから半分だけ」

『えええええーっ!?』


 ふたりが仲良くなっているのはいいことだ。だけど脱走したのだから、罰も仲良く半分こである。不満たらたらで朝ごはんとニンジンを食べるふたりを眺めながら、少しずつ白んでいく東の空を志穂は眺めていた。


 *


 プリンのデビューに向けた準備が始まった。

 まだ馬名登録もまだではあるが、羽柴の香元厩舎に空きがあったのでとりあえずの所属は決まった。もう馬体もできているだろうから、いつ預けてもらってもいいと話をもらっている。

 とはいえ、志穂にはまだプリンを預ける気はない。まずは人馬に慣れてくれないと馴致もレースも上手くいかないのだ。

 気性難。字面から暴れ馬やへそ曲がりの印象があるが、広義にはレースや調教に素直に従わない馬のこと。特に他馬を恐れるプリンのような馬の場合、レースで力を発揮できないことも多い。「逃げ馬ならワンチャンあります」とは羽柴の話だが、それがうまくいくかは志穂にもわからなかった。


「とりあえず他の子に慣れるようにしてあげたいんだけどなあ」


 放牧地にクリスを出して三頭、触れ合わせてみる。ハルの仲介もあってプリンもクリスには慣れたようだったが、毎度ハルが隣にいるワケにはいかない。

 喫緊の課題は、見ず知らずの馬が相手でも落ち着けるようになること。

 洞爺温泉牧場にプリンを連れていけば訓練にはなるが、それはあまりにもショック療法がすぎるというもので。


「ん〜……。クリスはどう思う?」


 偽ロンシャンを駆けていくふたりを眺めるクリスを撫でながら尋ねると、のんびりとした答えが返ってきた。


『他の子が怖いなら、ゆっくり慣れるしかないわねぇ〜』

「なんか私にできることないの? イジメっ子のキンタマ捩じ切ってくるとかさ」

『そんなことしても、あの子の自信には繋がらないと思うわあ〜』

「自信ねえ……」


 プリンがイジメられていた原因は、あの目立つ月毛のせいだろう。人間が美人やイケメン、あるいは何かしらの才能を発揮して浮かび出た杭を嫉妬のハンマーで打ちたくて仕方ないように、馬も同じようなことをする。


「プリンはあの毛色のせいでイジメられてたみたい。綺麗だからやっかまれてたんだろうね」

『憧れって難しいものよねえ〜。行きすぎると嫉妬になっちゃうもの〜』

「経験あるの?」

『たくさんいたわ〜。毛色のことはわからないけれど、レースで勝った子を無視したり、負けた子だけと仲良くするような子とかね〜。そういう子って、ビリだった私と仲良くなりたがるのよねえ〜』

「人間と変わんなさすぎてげんなりするわ……」

『だったらシホでも、どうしてあげたらいいかわかるわねえ〜。大事なのは焦らないこと。のんびり、すこやかにね』

「んー」


 となればクリスの言う通り、プリンに必要なのは自信なのだろう。嫉妬されてもやっかまれても「だから何だ」と笑って流せるような屈強さだ。同じくイジメられていても自信と信念までは曲げなかった五所川原とは、そのあたりが大きく違う。

 少し考えて、志穂は行動に移すことにした。


「要はうだうだ言ってくるヤツらを実力で黙らせればいいってことね。それなら私にもできそう」

『あら〜、賢いのねえ〜。私の娘とは思えないわ〜』

「あんがとね、お母さん」


 クリスを思う存分撫でてから、志穂はすこやかファームの機材倉庫に向かった。

 大型のトラクター数台や手持ちの草刈機などが保管されているそこに、目に突き刺さるような赤とオレンジの中間色が眩しい道具が保管されている。

 バッテリー残量を確かめ、説明書を確認して持ち手を握ってスイッチを入れてみる。動作確認はよし。鈍いモーター音とともに、甲高い音を立てて刃が高速で回転し始めた。

 それは木立から樹海まで切り拓く林業家のマストアイテムにして、ゾンビやサメすら打ち破るB級映画の世界の主役。

 チェーンソーだ。


 *


 すこやかファームは放牧地と農地の二面からなる、巨大な牧場だ。ジャガイモ、ニンジン、牧草を育てる広大な敷地の中には、いまだ手つかずの森もある。父親によれば翌年にジャガイモを新たに作付けする予定地らしいが、面倒でまた切り拓いていないらしい。

 つまり、すこやかファームには自由に使っていい木材があるということ。


「全部切り刻んで木っ端微塵にしてやるよォ!」


 防備よし。そしてまた気合とテンションもよし。志穂は迷いなくチェーンソーのスイッチを入れた。

 斧やチェーンソーで巨木を切り倒す際には、いくつかポイントがある。

 まずは、前もって切り倒す方向を定める。林業で一番危険なのは、倒れてきた木の下敷きになってしまうことだ。頭の中で倒れる方向を綿密に計算することが何よりも欠かせない。

 切り倒す方向が決まったら、次は切り倒す方向とは反対の幹にチェーンソーの刃を入れることだ。


「振動すっご!」


 甲高い音を立てて、回転する鎖刃を幹に押し当てた。両手から体に伝わる振動は、重くもありくすぐったい。だが振動の割に、チェーンソーは豆腐で包丁を切るようにスムーズに幹に細い溝を掘っていく。飛び散る木くずが周囲に散らばる。

 そして木の幹の半分ほどに細い溝を掘ったところで、チェーンソーを引き抜いた。


 そう。このまま切り倒してしまわないことが伐採のポイントである。

 幹の周囲をぐるりと周り、今度は先ほどとは反対側、巨木を切り倒す側に刃を差し込む。今度は一本の細い溝ではない。切り分けたピザのような円弧の形にくり抜いておいて、志穂はチェーンソーのスイッチを切って幹から離れた。

 幹の左右から、アンバランスに掘られた溝。そんな不安定な状態では、木も立ってはいられない。その辺に落ちていた石をいくつか投げ当てると、とうとう巨木はバランスを崩して、梢のざわめきと轟音をともないながら、大きな土煙をあげて大地に倒れた。


「よっしゃー!」


 伐採成功。テレビで観た知識が生きた。

 ただ、志穂の仕事はここからだ。ここからは地味な作業が続くのである。


 まずは倒れた巨木の枝を伐っていく。取り出した丸太を運びやすい大きさに輪切りにして、倉庫に置いてあったソリに載せた。そしてハルの出番だ。


「よし、ハル。ソリ取り付けてるから、ゆっくり歩いて」

『これすっごく重いよー!?』


 これもトレーニングの一環だと説明すると、ハルは鼻息荒くソリを引いて歩き出した。

 茜音によれば、ソリを曳いてレースをする競馬もあるという。そもそも重荷を運んだり田畑をすき込んだりといった仕事も馬の役割のひとつ。農耕馬と呼ばれるものだ。ただし重機の発達で農耕馬はほとんどおらず、ソリを曳くレースの主役もという、大きいものだと1トンを超える大型の重馬種だ。軽馬種のサラブレッドを農耕馬に使うなんて話はほとんどない。志穂がイカれたホースマンだからできる話である。

 ハルだけでなくプリンも動員して、丸太の輪切りを運び終えると、今度はそれを薪ほどの大きさに形を整えていく。


「あの薪割りってヤツ、一度やってみたかったんだよねー!」


 と斧で叩き割るのが楽しかったのは最初だけで、あとはどこまでも徒労だった。結局すべて割るのは諦めて、雑草や枝葉を細かく粉砕する実家のカーテンシュレッダーの中に薪を放り込む。

 すると——


「やっとできた! ウッドチップ!」


 ——いま一番すこやかファームに必要な、馬の健康にいいカーペット。手作りウッドチップが完成した。本当はこの後、防虫効果や保存性のために燻煙する場合もあるが、とりあえずはそのままだ。

 試しにいくつか放牧地に蒔いて、ハルに上を歩いてもらう。


『わ! なんか柔らかい! プリンも歩いてみたら!?』

『……これ、懐かしい。前いたとこに似てる……』

「あそこにもウッドチップコースあったからね」


 馬のお墨付きも得られたので、これで坂路コース用のウッドチップは確保できた。もちろん坂路用のコース自体は確保している。偽ロンシャンの丘を使えば、どこのトレセンにもない急勾配の坂路を作ることができるのだ。大自然の恵みさまさまである。


「だけどこれ絶対、買った方が早い気がする……」


 伐採し、枝を伐ち、輪切りにして運んで、シュレッダーで細かく切り刻む。明らかに業者に頼んだ方が手っ取り早い。カネさえあればすぐにでも飛びつくのだが、あいにくすこやかファーム馬産部門は独立採算だ。


『この上だったら思いっきり走っていいの!?』

「そ。足に優しいらしいから」

『ならもっとたくさん作って! ボクも運ぶの手伝う!』

『……わたしも、がんばる』

「ならまあ、がんばるしかないかあ!」


 チェーンソーからの薪割りで腕の力などほとんど残っていなかったが、志穂はまた薪割り作業に戻ることにした。

 予定している坂路はとりあえず四百メートル。そこにどれだけウッドチップを敷き詰めればいいのか志穂にはまるでわからない。むしろ考えないようにして、志穂は斧を振るっては薪を作り、ウッドチップを余った袋に詰めていった。

 翌日、志穂が筋肉痛で動けなくなったのは語るまでもない。

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