第91話 月毛色のはぐれもの
厩務員に案内され、志穂は出品を待つ馬たちを見て回っていた。
広く清潔な馬房に収まる、まだ言葉も交わせない当歳馬や無邪気な一歳馬を横目に進むと、他より体がしっかりした馬が目に留まる。厩務員も足を止めたので、お目当ての子だろう。
馬名はまだない。ハイテンプテーションの2022。
母は豪州出身。毛色は明るく黄色みの強い、月毛というかなり珍しいもの。額あたりにちょこんと乗った、生クリームのような流星が可愛らしい二歳牝馬だ。
厩務員に許可をもらって、まずは志穂が馬房に入る。騒ぐなとキツく言っておいたので、五所川原は両手で自分の口を押さえて志穂の行動を見守っていた。
「入るよ。害はない人間だから安心して」
ゆっくり近づくと、二歳馬は耳を引き絞って距離を取る。これでは触れるどころではない。普通の馬なら志穂が話しかけた途端驚いてしまうのに、言葉を返してこないほどだ。かなり警戒心が強い。
「おかしいな。私ってそんな怖い? わりと馬にナメられてる方なんだけど」
『…………』
やはり答えはない。自身のイカれ能力が消えたワケではないのにだ。
つまり、原因はこの二歳牝馬にある。
ともに見守っていた厩務員に事情を尋ねると、彼は難しそうに肩を落としていた。
「月毛だっけ? この毛色なら、もの好きな馬主が放っておかなさそうなのに」
「プリンは仔馬時代にイジメに遭っていましてね。以来、人間にも心を開いてくれないんです……」
「そういうの、馬の世界にもあるんだ……」
短い、心苦しそうな一言だったが、考えてみれば納得のいくものだった。
黄色い月毛にクリームの流星。まるでプリンア・ラ・モードみたいだから幼名はプリン。彼女の珍しい毛色が群れの中で浮いてしまうのは、簡単に想像がついた。異物を排除したがるのはどこの世界でも同じらしい。
ゆえにプリンは過去のトラウマからくる心因性の気性難。超一流牧場出身の素質ある馬でも、未来を断たれてしまうのだから競馬は難しい。
志穂は生牧草を手に、プリンにもう一度話しかけてみる。
「私たちは味方だからさ。それにウチにも馬がいるんだよ。イジメたりしない、やさしい女の子だから大丈夫」
『…………』
「お腹すいてんじゃない? 食べてみ? おいしいよ」
安全な食べ物だと示すため、志穂は生牧草を目の前で食べてみせた。五所川原も担当厩務員も唖然としていたが、馬と同じ目線に立つのは大切なことだ。口いっぱいに広がる大自然のえぐみを噛み締めてみても、効果はゼロだった。
「志穂君、水を飲みたまえ」
「あんがと」礼を言って、ミネラルウォーターで口を濯ぐ。
顔には出さないよう心がけつつも、志穂は悩んでいた。彼女は厩務員だけでなく、多くの馬主が未来を諦めた馬。そして志穂だけのイカれた特殊能力をもってしても、心を通わせることはできない。心を閉ざしてしまっている。
「なんとかしてあげたいけど、私じゃ厳しいかもな……」
そう呟いたところで、五所川原が静かに告げる。
「話は聞かせてもらった。彼女……プリンちゃんはイジめられていたそうだな?」
ハツラツとした暑苦しい男が「プリンちゃん」と呼ぶ違和感は強烈だったものの、そこは飲み込んで志穂も答える。
「ん。たぶん牧場でもできることはやったんだと思う」
「可能な限りは。ただ、イジメっ子から離してみても、今度は別の子にイジメられるという具合で……」
「やっぱ月毛の変わってる子だから標的になりやすいとか?」
「そういう面もあるかもしれません。馬と話せでもすればわかるのでしょうが」
問題は、話せたところで心を開いてくれないことだ。
耳を引き絞ったまま微動だにしないプリンを見つめながら馬房の壁にもたれていると、五所川原がゆっくりと口を開く。
「志穂君、決めたぞ。私はプリンちゃんを競り落とす」
相変わらず物言いだけは殊勝な五所川原は、新人馬主ゆえにことの大変さを理解していないようだった。
頼もしい答えではあるけれど、現状では志穂でも判断が難しい。
「苦労するよ? 思うようにいかないかも」
「苦しんでいる者を放って他に現を抜かせるほど、私は愚かではない。縁を結んでしまった以上、無視などしたら寝覚めが悪くなる。それに、思うようにいかないからこそ人生は面白いのだ」
「言えてるね」
五所川原の言葉はもっともだろう。志穂にもまた、放っておくという選択肢はない。実際、話を聞いてすぐ、どうすれば心を開いてくれるのか考えているのだから。
五所川原も馬房へ入ってきた。志穂が持っていた生牧草を手に、腰を退きながらもプリンの鼻先へ生牧草を近づけている。
「告白しよう、志穂君。実は私も、幼少のみぎりにイジメを受けていたのだ。意外な真実に驚いたかね?」
「いや全然。だろうなと思ってた」
「ハハハ。これはもう、はぐれ者の宿命だろう。だが均質化された世界に革新をもたらすのも、はぐれ者の特権だ。私はプリンちゃんが描き出す未来が見たい。志穂君と妹君のように、彼女と絆を紡いでみたいのだ」
五所川原は震えながらも、生牧草を近づけていく。プリンは馬房の隅まで後ずさるも、もうこれ以上は離れることはできない。
あまりに近づきすぎると、警戒されて噛まれたり暴れ回られる危険がある。察知した厩務員が止めに入ったが、その腕を止めて志穂は告げる。
「プリン、心配ないよ。このオッサンは出禁になりかけるくらい変人だけど、君を助けにきた人だから」
『…………』
「もし今のままいたくないなら、変わりたいと思ってるなら。牧草を食べたげて」
プリンは無言だ。もうダメかと思われたそのとき、プリンは前足をかく仕草を見せる。苛立っているときに見せることも多い、危険な兆候だ。志穂もさすがに五所川原を止めに入ったが、はぐれ者の彼はやめなかった。
「私とともに行こうプリンちゃん!」
すると、プリンは首を伸ばした。五所川原が握った牧草を恐る恐る引き抜いて、もぐもぐと噛み締める。
「プリンちゃァァァァァん!!!」
五所川原は感極まって、騒ぐなの禁も破って絶叫した。まだ会って数分、落札すらしていないというのに、牧草を食べてくれただけで滂沱の涙を流している。
とはいえ、五所川原の気持ちは志穂にもわかるのだ。まともに馬にも触れられなかった五所川原が、自身と似た境遇のプリンと縁を結べたのだから。
ひと安心した志穂は、プリンに尋ねる。
「うまくいけば、君はしばらくウチで面倒みるよ。私の家族はふたりいるけど、どっちもいい子だし、放牧地も広いからすこやかに過ごせると思う。それでいい?」
『…………』
「やっぱ答えてくれないかー」
『……なんで?』
消え入りそうな小さな声で、プリンの声が返ってきた。よく聞こえるよう近づいて——怖がられてはいるが——志穂は耳を澄ませる。
『……なんであなたは、喋れるの?』
「私もある意味、はぐれ者だからかな」
「その通り! 中学二年生の牧場長など、これ以上ないはぐれ者だろう! 私たちははぐれ者同盟だな!」
「ネーミングがダサすぎる……」
先が思いやられるネーミングセンスに、志穂は苦笑する。ただ、五所川原の感激っぷりを見ていると、いい馬を引き合わせられたと思えた。
ゆっくりと、プリンに手を伸ばす。怯えつつも志穂の手を受け入れてくれた彼女の、クリームみたいな流星のあたりを撫でながら笑ってみせる。
「ウチに来たい?」
『…………』
返事はないが、プリンは志穂の手を、そしておっかなびっくりながら五所川原の手も受け入れてくれていた。
きっと、すこやかファームに来れば慣れてくれる。そう信じて、五所川原に檄を飛ばした。
「よし。あとはアンタの出番だよ、五所川原さん」
「私の名前は長くて呼びにくいだろう! 親しみをこめてシンちゃんと呼んでくれて構わない!」
「わかった。じゃあ落札頑張って、五所川原さん」
意気込んでオークション会場に走っていった五所川原を追って、志穂も立ち去ろうとする。
だが、厩務員の男性が何かに気づいたかのように尋ねてきた。
「中学二年生の牧場長……。もしや、すこやかファームの加賀屋志穂さんですか?」
「なんで私のこと知ってんですか?」
厩務員は不意を突かれたようにキョトンとしていたが、すぐに吹き出した。
「《月刊馬事》で読みましたよ。ウチの上司も興味を持ってましてね。ちょっと来てもらえますか?」
どうやら、レインを救うために書いてもらった花村の記事がことの発端だった。なるべく悪目立ちしないようにしていた志穂だったが、業界は狭い。吹けば飛ぶようなすこやかファームすら把握している超一流牧場の情報収集能力には開いた口が塞がらなかった。
「な、なんか怒られそうだから帰る……」
踵を返そうとしたもののホースマンの強引さには勝てず、志穂は会場とは別の厩舎へ連行されてしまうのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます