第20話 修学旅行で腹こわす
「なんで修学旅行先が東京なの……京都とかにしてよ……」
馬事研部室。
再来週にせまった修学旅行のしおりに目を通して、志穂はがっくりと項垂れた。
今でこそ北海道の田舎娘感が板についてきた志穂だが、行き先である東京は生まれ育った故郷である。主要な観光地は課外学習や、叔母に連れられてだいたい経験済み。そもそも東京なんてそのうちいくらでも行ける、なんのありがたみのない場所だ。
だが、クラスメイトたちの喜びように志穂は東京のブランド力を思い知った。あんなに東京を毛嫌いしていた古谷先生ですら大喜びしていたから余計にだ。
「行くなら京都がいい……鹿と喋ってみたい……」
「それは奈良ですし喋れません」
飛んできた晴翔からのツッコミを無視して、隣のソファに座る茜音の太ももを枕にして寝転んだ。視界の端で、うらやましそうに生唾を飲み込む晴翔の姿が見える。恋する男の子をからかうのは楽しい。いい気味だ。
「志穂ちゃん東京出身だもんね。どこ住んでたん?」
「品川……」
「大井競馬場あるじゃん! いいなー!」
茜音にとっては競馬場があるかどうかがすべての基準なのだろう。実際、しおりに書いてあるような退屈極まりない予定に従って観光するくらいなら、サボって競馬場巡りでもしていたほうがはるかにマシだ。
「浅草寺参りからの動物園に美術館。自由行動はソラマチなりアメ横なりアキバなりで班行動なんてド定番すぎる……しかも日曜日って……」
なんせもれなく行ったことのある場所である。おまけに日曜だから混むだけだ。
同じ旅のしおりをめくりながら、晴翔も言う。
「今年は古谷先生が日程を決めたという話ですね」
「それがこの三学年合同修学旅行ってことね……」
町立中学の全校生徒は四十数名。これだけ生徒数が少ないと、三学年まとめて旅行させたほうが何かと安上がりらしい。そして今年は三年に一度の修学旅行の年。二年の志穂だけでなく、一年坊主も三年もみんな仲良く東京行きだ。どうせなら京都か奈良へ行きたかったのに。
頭の中で古谷先生のダメ仕事ぶりを呪っていると、しおりに目を通した茜音が声を上げた。
「てか、なーんで府中のホテル予約してんだろね。いくら貸切バスで移動するって言ってもずいぶん距離あると思うんだけどなー」
「それよ」
茜音の指摘通りだ。
上野周辺は俗にいう東京の東側である。いっぽうホテルのある府中は西と真逆。電車で移動しても小一時間はかかる距離だ。
しかも団体客向けのホテルなんて、わざわざ府中まで足を伸ばさずとも途中にいくらでもある。それこそ北へ行けば埼玉、東へ行けば千葉とどう考えたって都内に泊まるより安上がりだ。
要するに、ないのだ。わざわざ府中でなければならない理由が——。
「そういうことか……」
「でしょうね」
「だねー」
古谷先生が修学旅行先を選んだ理由。それに三名同時に思い当たって、顔を見合わせ大きく頷いた。
五月下旬の日曜、東京。とても古谷先生らしい職権濫用もいいところである。
「やあやあみんな! 修学旅行の準備はできているかな! 楽しみだねえ東京観光!」
噂をすればと、古谷先生はくわえスルメで部室へ入ってきた。慣れた手つきで地方競馬のレーシングプログラムを印刷してタブレットでレースを見始め、慣れた手つきで予想を外して晴翔がもらってきたヨギボーに沈み込んでいた。
分かりきったことだとは思いつつ、志穂は念のため尋ねてみることにした。
「古谷先生。修学旅行サボる気ですよね?」
「げほッ!? がはッ!?」
もはや答えだと認めているような反応だった。
志穂を始め全員の冷ややかな視線が古谷先生に降り注ぐ。
「な、何を言ってるのよ加賀屋さん? 私には引率という大事な仕事がだね?」
「じゃあ先生、私の班と周りましょう。江戸東京博物館で歴史のお勉強です」
「い、いいよ〜? でもほら、先生ちょっとお腹ゆるいトコあるじゃない?」
「初耳ですね……」
呆れた口調で晴翔が追い込むも、古谷先生はまだ認めない。
「水が変わるとダメなんだよね〜? だから最悪、部屋で寝てるかも〜?」
「ホントに部屋に居るん?」
「いるよ?」
続いて茜音が追い込んでも、犯人は自供しなかった。ただ両目はマグロもかくやという勢いで泳いでいた。
仕方がない。志穂は最後の証拠を突きつけることにした。
「あれれ〜? おっかしーぞ〜? 泊まるホテルの近くに競馬場がある〜。しかもレースのある日だ〜?」
「い、いやあ偶然ってすごいわよね! ごめん仕事忘れてたからまた後でね!」
脱兎のごとく逃げ去った反応からして、古谷先生の当日の動きは想像がつく。
あとは適当に仮病でも使って人を払ったあと、先生に無理矢理着いていけばいい。
「……これで少しは楽しみな修学旅行になりそうかな」
「俺は何も聞いてませんからね」
立場上、聞かなかったフリを決め込んでいた晴翔だったが、見ていたのは旅のしおりではなく修学旅行当日のレーシングプログラムだった。やはりそこはホースマンである。
令和六年、五月。第四日曜日。
この日のメインレースは三歳クラシック戦線第二章。
牡馬に先駆けて開催される、歴史と伝統に裏打ちされた中長距離の女王決定戦。
第85回優駿牝馬——またの名を《オークス》。
出走表には、プレミエトワールの名が燦然と輝いていた。
「会長も見たいなら仮病使えばいいじゃん」
「まあ、急な体調不良はどうしようもありませんからね。モタの出るレースもこの日みたいですし」
「え? マジで?」
決まった。あとは当日、馬事研メンバー総出でお腹を壊すだけである。
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