第2話 あたらしい家族だよ

 車よりも牛とすれ違う道路を走った丘の中腹に、すこやかファームはあった。

 温泉地としても有名な洞爺湖のほとり。丘の向こうまで大地が耕されている光景は、容赦のない大自然にケンカでも売っているようだった。


「ここ全部ウチの敷地?」

「ここでは社長と呼びたまえ」


 離れていた四年の歳月でずいぶん偉くなったらしい。鼻につくが、慕われているのは確かなようで、作業着姿の若者が息を切らして駆け寄ってきた。目的はお出迎えという訳ではなさそうだが。


「社長! 今みんなでニンジンあげてます!」

「おいおい、ズルいぞ!? よし志穂、ついてこい! 新しい家族だ!」


 家族と言われてドキリとした。


「ちょっと待ってよ、家族って何!?」


 言ってから志穂は直感した。今まで想像もしてこなかったが、父親もそこまで老け込んだオジさんではないのだ。

 とはいえ、そういうことなら先にひと言あるはず。いくら身勝手な父親と言ってもそれくらいの根回しはしているはず。そんなことに考えを巡らせていたら、突如何かを手渡された。

 赤くて硬くて細長い。ニンジンだ。


「ほら持ってけ! 新しい家族の好物だ! 喜ぶぞ!」

「生のニンジンを!? どんな女だよそいつ!?」

「カワイイですよ〜! 志穂ちゃんも絶対気に入りますって」


 血の気がひいた。なんと恐ろしいんだ、すこやかファーム。

 ほがらかな名前のくせに、男も女も寄ってたかって新妻に生のニンジンを食わせているなんて。

 いかがわしい。いや、それどころの騒ぎじゃない。イカれてる。

 それもこれも北海道の大自然に抱かれたからだ。きっとあまりに娯楽がなさすぎて狂ってしまうのだ。


「いや、私はイカれたくない!」

「何言ってんだ? ほら、こっちだぞ!」

「いやああああああ!!!」


 引きずられていった事務所裏には、真新しい小屋が立っていた。板を適当に打ちつけたあばら家の中から、従業員たちの楽しげな声が聞こえる。

 志穂はとっさに目をつむった。


「おおー、やっぱニンジン好きなんだ?」

「何本入った?」

「これで六本目。俺こんなに入んねえよ」

「当たり前でしょ、裂けちゃうって」


 なんてことをするんだ、なぜ楽しんでいるんだ、ここの連中は。

 まぶたの向こうで、とんでもないことが起きていることはわかる。


『はあ、嬉しいけどさすがに無理よぉ……ちょっと休憩させて……』


 悲しきニンジン攻めの被害者の声が聞こえてくる。

 息づかい荒い悩ましげな声は、生のニンジンで弄ばれている証拠だ。胸が痛い。


「ペース落ちてない?」

「これじゃ足りないくらいだって聞いたけどな」

「遠慮せずにもっといいんだぞ。ほらほら」

『も、もう無理ぃ……』


 イカれてる。寄ってたかってイジメるなんて最低だ。

 第一、イジメの道具に使われたニンジン農家にも失礼極まりない。このイカれ集団と同じだなんて思われたくない。せめて自分だけでも正常でいなければ。

 志穂は大きく息を吸い込んだ。


「ヤメなよ、イヤがってんじゃ——」


 現実を直視しよう。悪事から目を背けず、正しいと思うことをしよう。

 意気込んだ両目が捉えたのはカワイイ女——かどうかすらわからなかった。

 そもそも人間ではない。茶色くて頭が長い。そして体もデカい。それがたぷたぷした唇を震わせながら、生のニンジンをバリボリ食っている。


『もう無理だけどお、やっぱり美味しいわあ、ニンジン……♪』

「は……?」


 志穂は息を飲んだ。ただ、とっさに浮かんだことだけは飲み込めなかった。

 いくらなんでもあり得ない。それこそイカれている。もしこんなこと他人に話したらニンジン攻めよりひどい目に遭うこと請け合いだ。


「こいつが新しい家族、サラブレッドのクリスだ! カワイイだろ〜?」

『ねえ、リンゴなあい? ニンジン飽きちゃったんだけどお』


 それは馬だ。しかもこの馬——喋っている。


「……ドッキリでしょ?」


 あの夢の続きを見ているのかと思ったが、これは現実だ。

 馬と言葉が通じるワケがない。頭をフル回転させて志穂は父親に詰め寄る。


「どっかでアフレコしてんでしょ能登麻美子とか早見沙織が!?」

「その通り! 志穂へのサプライズプレゼントだ!」


 父親ほか従業員たちの賑々しい歓迎に、志穂は胸を撫で下ろした。

 そういえば、北海道はサラブレッドの故郷だと聞いたことがある。もしかすると、越してきた人に馬の声を聞かせるなんて悪しきドッキリが流行っているのかもしれない。


「勘弁してよ、ビックリしたじゃん……」

『リーンーゴー食ーべーたーい〜!』

「いやもうネタばらししたでしょ。喋るのはわかったから!」

『ならリンゴ! 丸かじりじゃなくてウサギにして!』

「はいはい、あとで剥いてあげるって……」

「誰と喋ってるんだ? 志穂」


 呆れてモノも言えなかった。なんて諦めの悪いドッキリだろう。

 もうすべてのネタは上がっているというのに、皆が不思議そうに覗き込んでくる。


「あのさあ、いつまでやんのこれ。馬が喋るワケないでしょ?」

『あら、もしかして声聞こえてる? ならバナナも追加していい? あま〜いお砂糖とハチミツを垂らしたの!』

「さっきから注文多いな! 砂糖ハチミツバナナなんて人間でも食べないっての!」

「志穂……もしかしてクリスと喋ってるのか?」


 周囲の怪訝な視線に、志穂はとうとう気がついた。

 イカれてるのは周りじゃない。すこやかファームはマトモなのだ。ならばイカれているのは——馬の声が聞こえてるのに、ドッキリだと思い込んでいる人間の方だ。

 信じられなかったが、もうそれしか可能性は残されていなかった。


「ぎ、逆ドッキリだよ! 馬と喋れるかもとか思った? んなワケないじゃん、聞こえない聞こえない! ビックリした?」


 声の震えが悟られたかもしれない。恐る恐る父親ほか従業員一同に目配せする。

 すると、彼ら彼女らはいっせいに吹き出した。うまくごまかせた。「だよなー」とか「さすが社長令嬢!」なんて方向に話が転がっていく。

 これで馬と喋る変人なんてレッテルは貼られずに済んだはずだ。友好的な愛想笑いを張り付けて逃げ切りたい志穂だったが、そうは馬が——クリスが許さない。


『聞こえないなんてウソよねえ? 砂糖ハチミツバナナはあ〜?』


 ぷにぷにした生暖かい感触が背中を突いてくる。鼻先だ。鼻先で追い込んでくる。


「おっ、気に入られたみたいだな! よし、クリスは志穂に任せる!」

「待ってよ! 馬だよ!? 普通のペットとはワケが違うじゃん!?」

「ああ、繁殖牝馬だからな。元気な子を産めるように世話してやるんだぞ」

「しかもママなの!? いやいや無理無理! 絶対無理!」

「おーしみんな! 仕事に戻るぞー!」

「命に責任持てって教わんなかったの!? 勝手すぎるってーッ!」


 必死の抗議もむなしく、父親の号令で従業員たちは持ち場に消えていった。

 つくづく身勝手だとは思っていたが、いくらなんでも無茶だ。北海道に越してきたばかりの中学生にサラブレッドの——しかもお母さんの面倒を見ろだなんて荷が重すぎる。


『わかったわよう〜。ハチミツは妥協するから、せめてお砂糖かけのバナナを〜!』


 頭を抱えた。これはきっと悪い夢だ、どうにか醒めてほしい。

 小屋の壁に頭を打ちつけてみても床にうずくまってみても、感じるのは生暖かい鼻息と、人の気も知らずに脳裏に響く、のん気な馬の声だけだった。


『どうしたの? 頭痛いの?』

「アンタのせいでね!?」


 信じられないし認めたくはない。だけれど抵抗したって仕方がない。

 どんなにあり得ないことだって、聞こえるものは聞こえるのだ。


『やっぱり聞こえてるじゃなあい』

「あーあー! 馬の言葉は聞こえません! だから静かにしてください!」


 加賀屋志穂、普通の中学一年生。だが、それは今日までの話。

 明日から志穂は二年生、しかもだ。

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