『ハートの傷に良く効く軟膏』 下


 『お薬を見ても良いですか?』


 その人が尋ねました。


 『はい。もちろん。少しお待ちください。大切にしまっておりますから。』


 お店の女性は、壁の一角にある、……特別に分厚い扉が作られて、なんと、鍵まで掛かっている、まあ、言わば金庫のような場所なのでありましょう、……秘密の収納場所、というべき棚から、大切そうに、小さな、たぶん、桐の箱を出してきたのです。


 『この中です。湿気を嫌うので、乾燥剤を入れてあります。』


 まず、うやうやしくも、綺麗なその箱の蓋を外します。


 すると、絹のような、高級らしき包みに被われた、一段小さな箱を取り出したのです。


 入れ子、という感じです。


 『この中にあります。』


 そこから、取り出されたのは、真っ白な焼き物らしき小さな容器です。


 『これは、大変に貴重なお薬です。どこから採るかというと、お池の底にある、ほんの小さな特別な地層からなのです。怪しい感じがするかもしれませんが、呪術とかというのとは違いまして、その物質から抽出される、純度の高い、薬物です。』


 『麻薬。とか?』


 『あなた様のおっしゃいます、癖になったり、禁断症状が出たり、頭を破壊したりするようなことなどは、確認されません。それに、これは、一回塗るだけです。それだけで、すぐに、効きます。』


 『ほんとに? すごいな。事実ならば。』


 『事実なのです。では、こうしましょう。特別扱いです。塗ってみて、効果がなければ、お代は要りません。お池に入るかどうかは、お任せします。しかし、効果があれば、先のお約束のように致します。』


 『効果がなければ、まだ、何かを探して生き続ける。あれば、爽やかに自決する。ですか。』


 『それは、多少翻訳しすぎかと。あなたは、安らぎを求めていらっしゃったのならば、やるべきは、変わらないのでは?』


 『ああ。確かにそうですね。未練がましいですね。』


 『いえいえ。とんでもない。これは、あなたの人生の一大事。簡単な話ではありません。』


 その人は、覚悟を決めたようでした。


 『わかりました。では、塗りましょう。気が変わらないうちに。』


 『かしこまりました。では、こちらに、座ってください。稀に、ふらふらすることがあります。はい。そうです。では、お薬を、額に塗ります。この、器の中の全てです。』


 彼女は、器の中の軟膏をへらで取り出して、彼の額に塗りました。


 『はあ。なんだか、こどもの頃に、捻挫したりしたときに塗った、痛みどめ軟膏みたいですね。』


 『はい。たしかに、それと理屈は似たようなものです。心のキズを塞ぐのですから。』


 『ひあ。そうれすか。なんか、気分、軽くなったような。』


 『そうでしょう。速効性です。効果は、長く続きます。』


 『失礼ながら、あなた、お名前は? ぼくは、しんやま、と、いいます。』


 『あたくしは、みやこ、です。』


 『どちらかで、お目にかかりましたか?』


 『さて、どうでしょう。人と申しますものは、大概、どこかで、会っているものと、聞きます。』


 『そうですね。では、お支払をいたします。手伝ってくれるのですか?』


 『手伝うと、罪になります。これは、お池の中に降りても、苦しまないお薬です。これは、おまけです。見ていて差し上げますよ。』


 しんやまは、むかしのような、おくすり包みにくるまれた粉を、差し出されたお水で飲みました。


 とても、美味しいお水でした。


 『では、いざ。お支払に。』


 しんやまは、立ち上がり、お辞儀をしてから、店を出ました。


 すると、店の前から、お池の中にまで続く、道がつけられておりました。


 出口で、もう一回、お辞儀をして、あとは、振り向かずに、お池の中に歩いて入りました。


 後ろに、みやこさん。もしかしたら、おみやさん、が、じっと立っているのは分かりました。




  .。o○  .。o○  .。o○



 気がつくと、しんやまは、あの、秘密の地下工場の入口前で、寝ていたのです。


 『あらま。夢だったのかしら。』


 森には、朝が訪れていました。


 小鳥たちが、何が嬉しいのか、やたらに鳴きながら飛び回ります。


 ふと、見れば、手のなかには、何かの紙があります。


 『ありま。なんだろ。』



    『領収証』


 と、書いてありまして、内訳として、『心の痛み用痛み止、一式。』とありました。さらに、料金は、『この先の生涯』となっていて、『上記正に受領いたしました。毎度ありがとうございます。』


 となっています。


 発行人は、『おみやげ池薬店』。


 日付は、『おみやげ池歴 1655年10月11日』とされております。


 さらに、次のようなメモがありました。


 『次回に、ここに来ますのは、おみやげ池歴、1715年11月11日です。是非おいでください。』


 しんやまは、それ以上、お池は探さずに、山を降りて行きました。



            おしまい


 


 


 



 


 


 

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『ハートの傷に良く効く軟膏』 やましん(テンパー) @yamashin-2

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る