一週間について
「後から振り返って思い出で補正されたものが、脳内では良く変換されて自分のドラマになっていくのだと思う。」
土曜日は非常に充実していたものの、今日何をしようかなと悩み、結局YouTubeをだらっと見そうな日曜日。
1番無駄な過ごし方は、今日をどうしようか悩んで悩んで何もせず終わらせてしまうことだ。
そんな日は何度もあったのだが。(この話は以前の日記に書いたかもしれない。)
考えてみれば、人生全体を通してどのような道を辿るかのモデルケースは社会人の一週間に似ている。少なくとも現代の日本社会においては。
土 幼稚園から小学校あたり
日 中高大といった学生時代
月 社会人なりたて
火 働いて
水 働いて
木 働いて
金 スローダウンしつつも働いてリタイア
土 リタイア後の生活
日 リタイア後の生活→逝去
だからどうなんだという話なのだが、一週間をまるで人生全体のように考えて振り返ってみると、似ている気がした。
休む時間は最初(学生期間)と最後(定年退職後)に用意されていて、中間となる月~金(20~50代あたり)は継続して働く。
今週を振り返ると、こんな具合。
先週の土日はスポーツをして、言語の勉強を少しして、話題のカフェに行ってみたら予約でいっぱいで断念し、あとは色んなライブ配信や動画見たり。
月曜から金曜までは働いていて、でもその中で仕事がひと段落してうれしいことがあったり、一方で全然うまく行かずに泣きそうになったり。帰宅中にふとレストランに寄って寿司を食べたり、友人と約束があって夜9時ごろに会って少し話したり。
土日は、またスポーツをして、そしてなんだかやることなく迷ってしまったり。
これを一つの人生としてみると、なんだかおもしろい転機がなく暇なものだなと思う。でも、こんなものなのかもしれない。多くの人の人生もあっと驚くような転機なんてそうそうなくて、終わる間際になって意味付けして、この出来事はこういった意味があったな、ドラマチックだったなと付け加えるものなのかもしれない。
僕は瞬間的に自分で感じられる幻想的な出来事とかドラマのような出来事が来ないかな、と願っているけど、そんなことはそうそうなくて、後から振り返って思い出で補正されたものが、脳内では良く変換されて自分のドラマになっていくのだと思う。
でも、そんなときでも迷っていた時間はたいして残らず、ドラマにならない。考えなしとまではいかなくても、少し考えてから少なくとも行動したものが後から風景や心情としてよく残っている。
つまりは、やっぱり悩みすぎるのは、個人的には向いていないのかもしれないし、多くの人にとってももしかしたら良くないことなのかもしれない。
人生と余暇のノート ババロアババリエ @Bavaroisbavarier
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