ふたりの日々

 アルトゥールの言葉通り、百年前の映像作品もなかなか味があった。良い物語は時代を越えるものだとライラは知った。

 過去の俳優たちの演技をBGMに、ライラは吸血鬼ヴァンパイアの少年に語り掛けた。


「隠す気なかったよね? 私が通報したらどうしてたの? 寝てる隙に心臓に杭を打たれたりとか」


 馬鹿げた発想なのは、自分で言った端から気付いた。警察に対して吸血鬼ヴァンパイアなんて素面しらふで口にできないし、人の心臓に杭を打ち込むのはもっと無理だ。でも──


「最悪、寝込みを襲われても良いとは思ってたよ」


 例の老いた目で呟く少年──の姿をした存在を、ライラは凝視した。見た目通りに若い彼女が絶句する間に、数百年を生きたという彼は静かに笑う。


「『夜の惑星』って言っても今生きている人間にとっての話でしょ? 永遠に吸血鬼ぼくらにとっての楽園って訳じゃない。二百年後にはまた日が昇る……」

「余所から来たんでしょ? また他のとこに行けば……」


 無言で微笑むアルトゥールの青い目に、古い時代の俳優たちが映っている。ストーリーは盛り上がっているはずなのに、彼の目は全く動いていない。


 彼の意識は、これまで過ごした歳月をさまよっているのだろうか。カウチに並んで座っても、ふたりの距離は限りなく遠い。乾いた表情のアルトゥールを可哀想だと思うのに、ライラの声も手も届かない。


「何年かごとに全てをリセットするのに疲れたんだ。ラートリーは、『夜』の間は隠れ処にはもってこいだ。ここで二百年も隠遁して──そうしたら、『夜明け』が来る頃にはもう良いと思えるかな、って」


 彼の目は、遥かな夜明けを見ていたのだ。


 ライラが太陽を見送ったのはほんの数か月前でも、彼にとっては何百年も昔のこと。しかも、物語で描かれる吸血鬼ヴァンパイアの特性が真実だとしたら、次の夜明けは自らの命と引き換えでなければ見ることはできないのだ。

 夜の世界で生きる、息が詰まりそうな暗さと苦しさを、アルトゥールはずっとひとりで耐えてきたのだ。その年月を思って、ライラの声は掠れた。


「どうして私を雇ったの」

「話し相手が欲しかった。この星で太陽が好きな人なら価値観も合うかと思って」


 彼はまだ生きることを思い切れていないのだ。倦みかかっている癖に、人恋しくて寂しくてならないのが、見える。堪らず、ライラは声を上げていた。


「初めから、言ってよ……!」


 正体を匂わせて、心臓を貫かれても良いだなんて仄めかすのではなくて。ライラは、アルトゥールの声にならない願いを確かに聞いた。

 この少年は、最後の時間をひとりで過ごすのが嫌だったのだ。三百年とは言わずとも、家族なしの生活の味気なさはライラも良く知っている。だから──


「私がいる限り、そんな顔はさせないんだから」


 ライラはアルトゥールの肩をしっかりと掴み、その目を真っ直ぐに覗き込んだ。彼女が触れてくるなど考えてもいなかったのだろう、大きく見開かれた青い目を。

 人間ではない存在に触れるのに、確かにまったく躊躇いがない訳ではなかった。でも、掌に伝わった彼の身体は細く、ただの寂しがり屋の子供でしかなかった。だからライラの顔には自然と笑みが浮かび──やがて、アルトゥールもそれに応えて口元を緩ませた。




 その後の数年を、ふたりは姉弟のように過ごした。遥かに年下のライラだっただけど、役割としてはやはり姉だった。ひとり暮らしが長いアルトゥールは、自堕落な生活に慣れ切っていたから。たとえ太陽は昇らずとも、朝にはベッドから追い出し、決まった時間に食事をする。面倒なんかじゃない、ふたりともが誰かと一緒の食事に餓えていた。


「──輸血用パック?」

「そう。ちょっと記録を誤魔化して、ね」

「なんだか大変そう」

「そうかな。昔の人たちはもっと大変だっただろう」


 いくら整った容姿とはいえ、少年が食通さながらの手つきでワイングラスを傾けるのも、昔、なんて口にするのも不思議だった。でも、この奇妙なズレが屋敷の日常だった。例えば、ヴァンパイアに料理を手伝わせる光景とか。


「僕は食べられないのに……」

「でも、楽しくない?」

「……楽しい」


 トマトを薄切りにするアルトゥールが見た目相応の愛らしい微笑を浮かべるのを見て、ライラは安心したものだ。料理ごっこで、家族ごっこ。ままごとのような日々ではあっても、確かに楽しかったから。彼女だけではなく、相手もそうなのだと思うことができたから。

 自炊の必要がないアルトゥールにとっては、簡単な家庭料理や菓子作りも新鮮な経験らしかった。弟が姉を手伝うように、ふたりはサンドイッチやクッキーやスコーンをこしらえて──そして、ピクニックに向かうのだ。

 屋敷の庭を手入れして。郊外のドームの際まで出かけて、夜の星ラートリーにわずかながら根付いた草花を眺めながら。人工の空の下、時間も場所も気ままに、ふたりはあちこちを散策した。享楽的な夜の街に群がる観光客を余所に、広大な自然を満喫して。弁当代わりに輸血パックに直接口をつけるのは、アルトゥールにとっては遠足気分だっただろうか。美しい少年の頬は白いままでも、その目は興奮に輝いて、ライラを和ませた。


ここラートリーに来て良かったと、改めて思う……!」

「一応は『昼』なのにね? アルトゥールの身体って、よく分からない」

「人工光なら大丈夫みたいだね。太陽からは、何か科学的じゃない物質でも出てるのかな」


 屈託なく晴れやかに笑うアルトゥールは、少なくともその時だけはを考えてはいなかっただろう。彼も、そしてライラも。焦がれたのは太陽ではなく、きっと家族だったのだ。


 幸せな日々の中で、ライラは確実にアルトゥールを置いて少女から女性へと成熟していった。けれどふたりとも、長くそれに気づかない振りをしていた。

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