天使のような雇用主
ライラの雇用主候補は、アルトゥールという十代の少年だった。金の髪に緑の目、白皙の頬、まるで天使のように美しく愛らしい。
「親の遺産をひとりで受け継ぐことになったんだ。あと、投資で色々と」
「そう、ですか」
ライラの目に宿る疑問に気付いたのか、アルトゥールはごく端的に教えた。彫刻が生命を持ったかのように整った笑顔だった。
「『夜の惑星』は静かで良いかと思って移住したんだけど、かといって静かすぎるのも寂しくて──できればしばらくいてくれると嬉しいな」
「私としては条件に不満はないです」
良いご身分だな、と思わないでもなかった。けれど、提示された給料は申し分ない。何より、革張りの高そうなソファに腰を沈める少年は小さく儚げで、ひとりきりは気の毒だった。
「ありがとう。──最後の条件も?」
「はい。あの、私、普通の星に移住するための費用を貯めたいんで」
太陽が好きな方、とかいう一文のことだ。
今のラートリーにいる人間は、「夜の星」の神秘性や退廃的な人工の輝きに惹かれているか、少なくとも受け入れている者ばかり。だから、アルトゥールはあえて確認したのだろう。
「太陽の巡りと共に生きる生活か──とても、良いと思う」
ライラの事情を深くは聞かず、美しい少年は
アルトゥールは奇妙に老成した眼差しで窓の外を眺めた。そこに見えるのは空ではなく、分厚いドームの内側だ。そこでは人類が馴染んだ二十四時間の周期で日々が巡り、イベントの一環で雲や虹が彩ることもある。けれど、人工の空に太陽が昇ることは決してない。少なくとも、あと二百年は。
試用期間を経て、ライラは正式に採用された。豪邸とはいえ住民はふたりだけ、さらには主人に食事を作る義務はないのだから、仕事は楽なものだった。アルトゥールの話し相手も業務の一環、なのだけど──
「いつも何を飲んでいるの?」
「トマト味の栄養ドリンク。日によっては
「ふうん?」
赤い液体を注いだワイングラスを傾ける少年に、ライラは疑いを込めて目を細めた。健康上の理由で彼は液体しか受け付けず、パック状のドリンクによって必要な栄養を補給しているのだとか。それも二、三日に一度程度で良いらしい。アルトゥールは、最近の医学はすごいのだと
「……あちこちお片付けしてたの。書斎もオーディオルームもすごいね」
「そうだね」
住み込みを始めてすぐに、アルトゥールはかしこまった言葉遣いは不要、とライラに告げていた。雇用主の意向だし、一度身近に接すると、年下に見える少年に敬語を使うのは難しかった。
「あれって、前の持ち主のコレクション? 本は、まあインテリアかもしれないけど、映像の
ライラがまくし立てるのを、アルトゥールは優雅にグラスを傾けながら聞き入っている。彼女が探りを入れているのに気付いているだろうに。彫刻のように美しい少年は行儀も良くて、形良い唇から
「あれは、僕の趣味。たまに見たくなるんだ」
「渋い趣味だね。俳優さんとかも、百年前の人たちでしょう?」
実のところ、試用期間のうちから屋敷とその主人の怪しさには気付いていた。それでも契約したのは金のためだ。でも、目を瞑るのにも限界がある。
屋敷のコレクションは、やけに古い時代のものが多かった。インテリアだと信じるには使用感がたっぷりで、百年前の人の部屋がそのまま残っていると考えるのが、一番しっくり来てしまうのだ。
「今度、一緒に見てみる? 徹夜で上映会とか。名作もあるし、B級だってそれはそれで」
天使の微笑を浮かべたアルトゥールは、グラスをテーブルに置いた。グラスにわずかに残ったドリンクは、やけに粘りがあるような。残念ながらライラはその赤い色にもどろりとした質感にも見覚えがあった。
「夜更かしは良くないよ」
ライラの疑問が思い過ごしなんかではなかったとしたら──どうなるのだろう。
でも、屋敷の中に棺桶がないか気にしたり、自分の食事に
「子供、なのに」
不安と期待に揺れながら、ライラは鎌をかけた。アルトゥールが見た目通りの子供なら、あっさり頷くはず。それか、子供扱いに頬を膨らませるか。それすらも演技ではないかと疑い続けることになるのかもしれないけれど、でも、それなら結論を先延ばしにはできる。
けれどアルトゥールは、例の妙に老成した眼差しで密やかに微笑んだ。
「これでも三百年は生きてるから、子供ではないね」
予想はしていても衝撃的な答えに、ライラは悲鳴を上げかけ──雇用主への礼儀を思い出して必死に呑み込み、溜息として吐き出した。
「
「今どきの方が暮らしやすいよ。宇宙船の中には太陽の光も届かないし、冷凍睡眠機器は棺桶より安心だし」
ライラのコメントこそ時代遅れだとでも言うかのように、アルトゥールは声を立てて笑った。初めて口を開けて笑う彼の姿に、ライラは見入る。形の良い唇の陰に、小さな牙がちらりと光ったのも些細なこと。屈託なく笑うアルトゥールはやっと見た目相応の闊達さを見せていた。その笑顔が、あまりに眩しかったのだ。
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