第3話

【リハビリ室】


 次の日こそはちゃんとリハビリを始めた。

 結局なんのリハビリをするのか昨日は聞いていなかった。


「ちゃんと歩けるようになるための訓練ですよ、ほらこちらに……」


 車椅子に載せられ、少し広い場所に出る。

 壁に着いた手すりを持って、立ち上がろうとするも上手く立てない。


「不思議ですね、二足歩行ってバランスを取るのも難しいのに……どうして人はその道を選んだと思います?」

「えっと、私の知識によれば……物を運ぶときに便利だとか、高いところに手が届くとか……色んな説はあるけれども、生きるのに便利だったんじゃないでしょうか?」


 驚いた顔をしていた。割と真面目に返されたのがそんなに意外だったのか。


「へえ、そうなんだ……物知りね。でも、モノを運ぶのも、高い所の物を取るのも、モノを使ったり機械を使ったり……今の時代、二足歩行に頼る理由もなかったりして」

「ありていにいっちゃえばみんながそうしてるから……だったり?」

「私の知見で言わせてもらえばね、仕事の関係上体を機械にとっかえて人の体から外れちゃう人は結構いるのよ。機械で二足歩行って効率悪いって言われてるし。そういう人が人の体を取り戻す時のリハビリとかもよくやってるんだけど……そのうち、人はみな人型をすてちゃうのかもね」


 私の体は少し前まで存在すらしていなかった。人は人の体を持たなくても、生きられるほどの技術を手にしてしまったのだ。人の形にこだわる理由はもはやない。

 あれ、でもそしたら……

 あの人、名前は景滝さん、というらしいけれども――彼が使ってたあのロボットは、どうして人型だったんだろうか?


【病室】


「それはね、彼が人でありたいからだ」


 そんな疑問をメアリーさんに投げつけると、そういった。


「彼の体は昔事故で失われてしまった。でも人の体をとどめるために、移植した脳みそを入れたロボットを人型にしたんだ」

「え、体がないって……でも」

「彼が普段生活している姿はね、ああいうアンドロイドなんだよ。本体の巨大ロボットから指令を受けて動いている。あれは空っぽなんだよね」

「そんな、事情が……」


 意外な話を聞いてしまった。

 人にはいろんな事情がある。生きるには、いろいろな事情を持つ。

 生きる事を考える暇もなく、月日だけがたっていく。

 私のお金は大丈夫なのかとか(財団が出してくれているらしいけど)、退院した後どうなるのかとか悩みは尽きない。

 ご飯を食べて、主治医のメアリーさんやリハビリ担当のマイさんと話して、リハビリをして、その繰り返し。

 周りの物を見てこれが何かとかアレが何かとか聞いてみる。実際に見て感じて手で触れてみると大分感覚が違う。


 ピーマンは嫌いだ。苦いから。

 トマトは嫌いだ。グチョっとする感覚が嫌いだから。

 でも、食べられるようにしないとってマイさんは言う。


「栄養バランスは大事ですよ。自分自身の体は自分で調整しなければならないんですから」

「僕は別にいいと思うけどね。別に一つや二つ、まあ十個くらいはあるかもしれないけれども今の時代いくらでも栄養の取り方はある。食べられる物で栄養を補充すればいいじゃないか」

「先生、駄目ですよ。さすがに栄養サプリは健康に悪いです」

「僕でもそんな非人間的な食事は好きじゃないね。ピーマンが嫌いならパプリカを食べればいい。トマトが嫌いならソースにしてスパゲッティにかけて食べればいい。そういう事だよ」

「でも、食べられるものは増やした方がおいしいものを食べられる機会が増えるでしょ?」

「今は無理でもそのうち食べられるものは増えていくさ。少しずつ増やしていけばいい。それに……嫌いなものを嫌いと感じられるのも幸せな事だ」

「なんやらかんやら言って、甘やかすのはだめですよ」

「だって僕もトマトが嫌いだからね。ピーマンは食べられるようになったが好きじゃない」


 そうやってメアリーさんはマイさんの皿にミニトマトを放り込んだ。


「メッ!」

「いいじゃないかー少しくらいー」

「先生も甘やかしませんからね」


 体が小さいからかマイさんのメアリーさんに対する態度は目上に対するものではない。

 そんな矛盾を抱えながら話す二人を私は笑ってみていた。

 最近は、絵本を読むようになった。昔は脳に直接データを流し込んでいるだけだったから、ずいぶん感覚が違う。特に絵が付いていると。

 漫画と言う物も教えてもらったがまだ読み方がわからない。でもそのうち読んでみたいとは思っている。


 ベッドの横の窓から外が見える。

 庭には入院患者と思わしき人でにぎわっていた。

 ベンチにずっと座っている老人、軒先で楽しそうに会話をするお姉さんと少年、楽しく遊ぶ子供達。

 そんな中に混じった、一人の少年が目についた。

 時折庭先に現れては、木の軒先に座り、じっと何かを考え込んでいる。


 あれは――確か。

 私が初めて目覚めた日にいたあの人——

 推定、私の声を聞いてくれたあの少年ではなかったか――

 あの日あんまり話も出来なかったし今まで出会う機会はなかった。

 願うならば、もう一度話をしてみたい。

 でも、何を話したらいいかわからない。

 あったら、その時に。

 そうやって少しずつ世界に触れながら私は生きている。

 まだ、自分自身に触れる余裕はない。


【庭への扉】


 長い時間が立って、自分で歩けるようになった。

 そうして私は庭先に出ることを許されるようになった。

 思えばずっと、病院の中にいた。

 狭くはなかったけど、天井と壁に遮られ世界の広さを感じ取った事はないかもしれない。

 少しずつ、少しずつでいいから触れられる世界を増やしていく。

 これはその一歩なのだろう。

 薄暗い廊下を通って、その先の扉を開く。

 ばっとまぶしい光に照らされて、左腕で目を覆った。

 恐る恐る手をずらして目を開いてみる――


「わぁ……!」


 その先には、光が待っていた。

 青い空、緑の芝生。

 そして何よりも、そこには開かれた空間があった。

 風が検診衣を揺らし、ばさばさと音を立てている。

 軽く呼吸をして、新しい空気をすう。

 私は大きな開放感を感じていた。

 その時すぐ横を誰かが通ったのを感じて、我に返る。ざわざわ、と今まで気づかなかった人の声が感じられる。


 そう、庭にはまばらにだが人がいた。患者が好きに庭を散歩し、思い思いの行動をしている。

 その時、ふと先ほど何かはっと感じた事に気づいた。

 辺りを見回りし、人を見て、木を見て、ベンチに座り何か考え事をしている人の背後が見えた。

 茶髪に白い半袖のシャツと、黒い学生服のズボン。

 何か、見たことがあったはずだった。

 私が既視感を感じる人は少ないはずだ。

 男の人と女の人。私が初めて目覚めた時に迎えに来てくれた人。

 その中で男の人で、若い人で……

 私は、走り始めていた。

 走り方も知らないのに――


「あっ」


 体のバランスを崩し、地面に倒れこもうとしたその時。

 体を一本の手が受け止めていた。


「君は――」

「あなたは――!」


 私が顔を上げると、彼の顔が目に映る。

 まさに、あの時の彼であった。

 その名前は確か――


「景滝、さんですか?」

「君は――ムサシさんか?」


 彼は私の背を優しく支え、そっと崩れた態勢を立て直してくれた。

 そうして、二人は立ったまま向かい合った。


「ご、ごめんなさい!」

「ごめん!」


 二人は同時に謝った。


「え?」

「あーハッピーアイスクリーム……なんでもない。お先にどうぞ」

「あっはい? えっと……あの、意味わかんないとか言ってごめんなさい、ひどいこと言いました」

「いいよ。俺もほんとわけわかんない事言ったしごめん……でも、本当にうれしかったんだ、生きてくれて」

「そ、そこまで言われてもちょっと困るというか」

「困るよな、申し訳ない」


 景滝さんは微笑するとそばにあったベンチに雪崩かかるように座った。


「座りなさいな、立って話すのも大変だ」

「お言葉に甘えて……まだ、リハビリ始めたばかりですし」


 そっと景滝さんの隣に座る。

 その体は私より大きく、頼もしく見えた。


「どうだい、目覚めてから」

「どう、と言われますと」

「何か思い出深い事があっただとか、何かに気づいた事があっただとか。嬉しい事楽しい事、なんかあったかい」

「……そうですね、景滝さんにまた会えたのは、良かったことだと思ってます」

「ええ……うん、まあ、そっか」


 一瞬困惑していた様子だったが、納得したのか何回か頷き始める。

 私は、もう一度深く頭を下げる。


「ありがとうございました。あの日、私は景滝さんに助けられました……」

「おう……感謝されるのはわるくないけどさ」


 恥ずかしそうにしながら少し顔をそらす。


「あの、景滝さんは、さっきそこで何を考えていたんですか」

「何って……いろいろな事さ。たとえば――人間って何かとかさ」

「人間とは何か――」


 彼のその体は人ではない。何か、思うところがあるのだろう。

 それから少し考えてから立ち上がった。


「すこし、出かけようか。歩けるか?」

「少しなら……何かに捕まりながらならまだ」

「なら俺の体につかまってきな」


 そうして二人は歩いていく。

 いつまでも、これからも――人とは何かを、探しながら。


 〈終〉

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リビングファントム 秋津幻 @sorudo

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