第2話


【どこか】


「ううっ……」


 ベッドの上の少女がびくっと動く。

 ぼんやりと薄目を開け、右手が行く手を迷いながらゆっくりと天井に向かって伸び始める。


「――わっ」


 光のまぶしさに手で目を隠す。

 その姿を彼らは、そばで何も干渉せず眺めていた。

 おそるおそる手をのけて、少しずつ部屋の光に慣れていく。


 手を伸ばす。光を掴もうとする。だけれど照明ははるか遠く、天井に。

 掴もうとして、手を伸ばすもつかめない。えいっ、えいっと何度も何度も手を伸ばす。

 顔を上げ、体を持ち上げ、全身で光を掴もうとする。

 そこで初めて彼女は、自分に体があるという事を知った。


「――」


 困惑しながら、首をかしげながら、自分の手を眺める。

 手のひらをにぎにぎ、ぐーぱーぐぱーと開け閉めして、それが自分の思い通りに動くと知る。

 それから、手が二つあることに気づいて右手で左手を触り始める。

 指を絡ませ、手のひらを合わせ、手首をつかんで、たどって、胸に手を当てる。

 どくどく、と音が聞こえる。

 それは、彼女が生きている証拠だった。

 体を持ち、心臓が動き、この世界を自由の生きられる、何よりのあかしだった――

 辺りを見回す。そうやって生を受けたのを見守っていた人たちが、ほっと胸をなでおろしていたのを見た。


「――?」


 男は、彼女と目が合った瞬間、両手を伸ばし、彼女の手を掴んだ。


「……良かった」


 その目は、掴まれた両手を見ていた。


「生きて――本当に良かった」


 少年の両手は、とてもやさしかった。


「――」


 ぽつりと、涙が手に落ちる。


「どうして――泣いているんですか?」

「――生きることは――尊い事だからだ」


 少年と少女の目が合う。


「あなたが――私の声を聞いてくれた、人ですか?」

「違うよ」


 景滝は彼女の目を見る。

 そして、端的にこういった。


「君が呼んだんだ」


 ムサシは、目をぱちくりさせる。

 そうして唖然としたまま、口をあんぐりと開けたまま、少し考えて、首をひねって、そうして絞り出した言葉が一つ。


「意味わかんないです」


 冷静に言われたその一言に景滝は顔を真っ青にした後真っ赤にして急いで手を離した。


【病室】


「……やっちゃい、ました」

「……何が? どうしてそう思ったの?」


 そばに、ゴシックロリータの服を着た女性のお医者さんがいる。彼女はメアリーさん、というらしかった。


「だって、あの人の言うとおりだったんです」


 彼女はそっと下を向いて、少し落ち込みながら言う。


「だって、呼んだのは私で、答えてくれたのはあの人だったんですから」

「……わかんないなあ、君の言ってることも」

「そ、そうですか?」

「君が呼んだ? どうやって? 疑問に思わなかったのかい? 脳みそだけだった君の声がどうして彼に届いたのかさ」

「……そうですね。確かに、どうして私の居場所が分かったんですか?」


 ガチャリ、と扉が開く。入ってきたのは、スーツ姿の長身の男だった。


「その当たりの詳しい話は……わたくしにさせてもらおうか」

「り、理事長!? わざわざこんなところに……申し訳ありませんすぐ出てきます」

「ああ、主治医の君も聞いていてもかまわないよ。わたくしは右も左もわからない少女に未来の話をしに来たのだから」

「未来……?」

「まだわからないだろう、君には。なにせ今まで過去も、今も意識していなかった君には想像がつかなかったに違いない」


 ムサシは首をかしげる。


「私はハーフマン。セブン財団の理事長を務めている。仕事は――脳髄犯罪の被害者に、未来を与えることだ」

「脳髄犯罪……?」

「クローン人間・アンドロイド・ホムンクルス……命を作り出す罪ともいうがね。とりわけ人間の体・意識を持った人間を製造し、その生命を弄ぶことへ反対している」

「???」

 

 難しい言葉が並んでいる。

 少女の疑問は、一層増えていくだけだった。


「わからなくていい。今はまだね。君の場合……脳みそを培養して作った生体コンピュータが命、意識を持ってしまったのだが……それを作った側が認めなかったわけだな。君は今までカンパニーアテナに囚われていた。そこを我々が救出させてもらった、という訳だ」

「ええと、私は……作られた命だってことですか?」

「その通りだ。話が速い。さすが生体コンピューターと言うべきか……おっと申し訳ない。君はもうモノではない。一人の人間になったんだ」

「人間……」

「我々は君が一人の人間になるまで支援をさせてもらう。ああ、お金はいらないよ。寄付もあるし……ああでも、少し脳みそを調べさせてもらってデータを取ってもらうかもしれない。研究対象という訳だね」

「何もしなくていいんですか?」

「違うね。君自身が一人の人間として個を手に入れ、やりたい何か――アイデンティティ、生きる目的を見つけ出す。それが君の仕事だ」


【リハビリ室】


 よく、わからなかった。


「リハビリを担当するマイといいます、よろしくお願いしますね、ムサシさん……ムサシさん?どうしました?」

「……あっいえ考え事を……あんまりその名前っていう物に慣れてなくって」

「ああ、なるほど……少しずつ慣れていくしかないと思いますよ。まだ名前が気に入らないとかそういうのとかなら変えることも出来ますし」

「いえ、変えたいとかそういうのじゃなくて、慣れないことが多いから、ただでさえ考え事が多いのに……」

「あら、誰かに色々言われました?」

「実は……」


 ムサシは理事長とやらに言われたことを話した。

 生きる目的を見つけ出す。それが仕事だと。


「大事な事ですよ。自分とは何かを考えることは。とは言ってもすぐに見つけられるものではないから、じっくりじっくり考えていきましょうね」

「はい……」


 それからずっとエミさんと心配事、相談事を話していたら今日のリハビリの時間が終わってしまった。


「すっすいません夢中になって……」


「いいんですよ、少しずつ、少しずつ。何もする必要はありません。だって、人生は長いんですから……」


【病室】


 布団に横たわりながら、ずっと考えていた。

 今までは夢中だった。ただ人に助けてと願い続ける事しかできなかった。

 そこに、明日なんてものはなかった。今この瞬間すらも想像することが出来なかったのだから。

 それがどこからか未来と言うものが転がり込んでしまった。それを頑張って生きろと言われても、困る。


「それでいい。僕みたいに強烈な自我なんてものはそう簡単に出て来るもんじゃないよ。一生を苦しみ、悩み、考え続け、その果てに見えてくるのが自分なのさ」


 メアリーさんは足を広げ、ワンピースの中身が見えている。


「あの……」

「おっと、普段人に見せないもんだから失念していた。不味いね、こういうのはちゃんと見た目に合わせておしとやかにしておかないといけないのに」

「……あの、メアリーさんは男、何ですよね。どうしてそんな……」


 後から聞いた話だけれども、見た目の女性のような姿とは違って彼女は男らしかった。

 ……彼女というのはおかしいかもしれないけれども。


「趣味。……それでいいだろ?」


 あっけらかんと言ってかわいらしく笑う。


「……まあ、まだわからないよ。他人を知るにはまずたくさんの人間を見なければだめだ。同じような人間に見えてそれぞれの個性。みな違う人間のように見えて同じようなものを持っていたり……そもそも、他人にあなた自身とはなんですかなんて聞くもんじゃない。僕だって、自分の事なんて大してわからないんだからね」

「でも私、自分を見つけろって……」

「無茶言うよね。実際、自分を見つけるというのは一生かけた大仕事だ。生きてる人はほとんどみな自分の事なんてわかっちゃいないのが本当なのさ……まあでもこれは僕の考えだ。君は君なりに考えた上で結論を出せばいいのさ……」


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