炬燵の夢

大出春江

炬燵の夢

 「北海道の冬」といえば何を想像するだろう。

 きめ細やかな粉雪か。肌を刺すような寒さか。はたまた、雪に関する祭りごとや、流氷を思い浮かべる人もいるのではなかろうか。十二月中旬、師走の忙しさと年越しの活気がモザイク画のように入り乱れているころ。今年の春に越してきた私も、初めての冬の北海道を経験するまでは、それこそ、雪やら寒さやらを思い浮かべていた。


「意外と積もらないんですね」


 ストーブの前に腰掛ける。

 窓の外に浮かんだ月を見た。


「今年は雪が少ないようだね」


 そう返したのは、私の隣で暖まりながら半袖でアイスを、棒型の氷菓、アイスキャンディーを食べている彼女、新橋桜である。


「安心したまえ。今週末にはどっさりと降るようだし、一月二月ごろになれば、嫌でも見るようになる」

「嫌でも、ですか」

「覚悟をしておいたほうがいい。——あれは、秋ごろだったかな。私が「どうせ冬も使うから薄着の一つや二つ、出しておいて損はないよ」と、君に言ったが、その時と同じだ。初めての冬なのだから、助言は素直に聞くべきさ」


 北海道の冬、そう聞けば「寒さ」からは当然、逃れられないだろう。

 ……たしかに逃れられない。

 しかし、ここで道産子であるか否かの、意識の差が生まれる。

 北海道の冬は、——暑いのだ。

 日本最北の地である北海道。それ故に、寒さへの対策は凄まじい。換気の観点からみれば最悪だが、建物は大抵の場合、熱を逃がしにくい設計になっている。熱がこもる。だからこそ、暖房がこれでもかと効いた部屋では、とてもじゃないが厚着はできない。薄着の上に何枚か重ね着をすることで気温、室温の変化に対応をするだとか、そういった努力が求められる。そこまで考えが回れば、自ずと、自宅にいる時なんかは半袖でいいのである。


「その件は、大変助かりました」

「おいおい、畏まらないでくれよ?」

「無論、茶化してるんですよ?」


 そんな会話をしていた。

 夜の十九時を回ったころである。


「こんな日にはお酒でも飲みたくなるね」

「未成年ですよ?」

「私も、君もな。来年一緒に飲もう」

「あなたは五月の初め、私は三月の終わりですから、来年一緒には無理なんですがね」

「無論、茶化したのさ」


 彼女はフフっと笑った。

 その時、ふと気が付いた。


「そういえば、炬燵はないんですか?」


 ストーブで暖まり満足していたが、そういえば、炬燵がない。


「炬燵か……、そういえば考えたことがなかったな」


 そんなことがあるだろうか。


「実家にはなかったんですか?」

「なかったね。親戚の家にもなかった。——いや、もしかして、私は、炬燵に入ったことがないのか……?」


 私の知る限り、彼女、新橋桜という人間は努力の天才、究極に模範的な人物である。経験を積み重ね、知識に貪欲で、哲学という単語は彼女にこそふさわしいのではないだろうかとさえ思える。


「ある意味、あなたと出会ってから一番のギャップかもしれないですね」


 いつも冷静な彼女が珍しく頭を抱える。

 思いがけない出来事だったからか、それとも


「——頭がキンキンする」


 アイスだった。


「なるほどな。そうか、炬燵か……。これは傑作だな」


 二人して笑う。


「買う予定はないんですか?」

「難しいな。現状はストーブで足りているし、困りはしないが」

「入ってみたくは?」

「ある」


 即答だった。


「それじゃあ、私が買いましょう。ここに置いてもいいですか?」

「いいのかい?」

「趣味の少ない人間ですから。こんな時のためのバイト貯金ですよ」

「ありがとう!」


 満面の笑み。

 私の眼には、彼女というよりも、無邪気で貪欲な、好奇心を持て余した少女のように映った。思い返してみれば、彼女に一目ぼれした時も、こんな感じの顔をしていたと思う。


「明日は大学が休みですから、早速買いに行きましょう」

「あぁ、そうしよう!」


 彼女は浮足立った様子で、先程あれだけ苦しめられていたアイスを、さらにもう一本、冷凍庫から取り出してきた。


「ところで君」


 まさか、と思った。


「何でしょう?」

「炬燵の良さを教えてくれ」

「唐突ですね」

「それがいいんじゃないか。率直な意見を頼むよ」


 彼女らしい、あまりにも唐突な質問。

 正直、具体的に炬燵の何が良いのか、さっぱりわからない。

 しかし、私としても「わかりません」と引き下がることはできない。


「……そうですね。一言でいえば、距離感ですね」


 一言で、言ってしまう。

 それから、もっともらしい理由を繋げていく。

 筋道を立てるのが好きな彼女にこんな方法が通じるだろうか?

 やるしかない。


「続けたまえ」


「あらゆる面においての距離感。——まずは人と人の距離感。例えば、ストーブなんかは部屋全体を温かくするものだし、たしかに近づいて暖まるのも悪くないですが、何人もが同時に暖まっても、どこか他人行儀のような気がします。対して、炬燵というのは部屋を暖めはしない。炬燵に入ることで初めて暖まることができます。複数人で利用する際には、一つの卓を囲むという一体感も感じられる。これは重要でしょうね」


「なるほど」


 なんだこれは、面接か? 一瞬、そんな風に思った。

 しかし、彼女の顔をよく見れば、輝かしい眼で微笑んでいるではないか。

 面接がこんなにも美しいものなら、快く、何度でも受けたいと思った。


「次の距離感は、人と炬燵の距離感。まぁこれは季節の風物詩といったほうがいいかもしれませんが、なにも冬らしい、というだけではないのです。炬燵はテーブルでありながら布団が付いている。何気なくテーブルを利用するだけで、実は人間の睡眠欲に語り掛けているのではないかと、そう解釈することもできますね」


「ふむふむ」


 いや、少し苦しいか。

 ならば最後にもう一つ。


「そして最後は——炬燵越しの距離感ですかね」

「炬燵越しの?」


「桜の向こうに民衆を、陽炎の向こうに青草を、紅葉の向こうにイワシ雲を。そんな距離感で、炬燵の向こうに見える景色があるのですよ」


「具体的には?」


 具体的には?


「窓の向こうの月、ですね」

「具体的って意味、わかってるのかい?」


 彼女はにっこりと笑った。


 炬燵に潜り、ぼんやりと見る夢。

 それが、ただの夢、白昼夢であっても構わない。

 しかし、もしも見る夢を選べるのなら、私は炬燵の夢を見たい。

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