ラブドール

 ――ねえ、私とキスしようよ。



 俺はベッドの上で目を覚ました。目の前には日下部の寝顔があった。

 まだ辺りは真っ暗で、サイドテーブルに置いているスマホで時間を確認すると、早朝の四時だった。

 変な時間に目を覚ましてしまったなと思いながら、もう一度目をつむる。しかし、変に目が覚めてしまい、なかなか寝付くことができない。

 俺はため息を吐きながら、目をゆっくりと開く。

 目の前には、――日下部の寝顔がある。

 こうやって日下部の顔をじっくり見ると、二十年前とあまり顔が変わっていないような気がする。若々しくて、凛としていて、――綺麗で。

 ――俺は、日下部が好きだった。

 俺は無意識のうちに日下部の頬を撫でていた。もう四十手前だというのに、スベスベしていて柔らかい。

 すると、日下部がパチッと目を開いた。

「――ごめん、起こした?」

 俺は咄嗟に手を引っ込めた。

「――何だ?こんな時間にしたいのか?」

 寝起きのしゃがれ声で問いかけてくる。まだ目がトロンとしていて、寝ぼけているように見える。

「やめてくれ。朝から仕事なんだよ」

 頭の中、それだけかよ。

 俺は呆れながら、寝返りを打って日下部に背中を向けた。

 もう一度眠りに入ろうとしていると、――腰を撫でられ、首筋を舐められた。

「イッ!?――おまっ」

「こういうの好きじゃないって言うわりに、面白い反応するよな、お前」

 日下部はそう言いながら下に手を伸ばしてくる。

「ほんと、やめろって――」

 俺は日下部の手を掴んで退かそうとした。

「お前、拒否できる立場じゃないだろ」

 日下部は耳元でそう囁く。こいつの常套じょうとう手段だ。

 俺は大人しく従うしかなかった。



 俺が日下部の言いなりになるのは、家を追い出されると困るからだ。

 しかしそれとは別に、日下部のそばにいたいというのも理由の一つだ。

 惚れた弱みというのは、こういうことか。

 日下部は、きっと俺のことなど便利な玩具としか思っていないのだろう。自分の欲望が満たせれば、女の代わりになれば十分なのだ。

 それでも良かった。

 日下部が俺をどう思おうが、どう扱おうが、俺をそばに置いてくれればそれで十分だ。

 しかし、俺は、俺の日下部に対する感情が許せない。

 俺は未だに日下部のことを二十年前の少女のままだと思っている。

 ――日下部は、男だ。

 分かっている。頭では分かっている。

 しかし、俺が愛しているのは、である日下部だ。

「――こっち向け」

 ふいに背後から日下部が命令する。

「キス、好きだろ?」

 俺は目を閉じて、ゆっくりと日下部のほうに顔を向けた。



 俺が好きなのは日下部だけど、日下部じゃない。

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