The hole ※11/22修正
――肇、あんたはお父ちゃんみたいになるんじゃないよ。
俺はスマホのアラームで目を覚ました。
セミダブルベッドの上に横たわる俺の目の前には、まだ寝息を立てている日下部の背中があった。
日下部の家に転がり込んでから、早一か月が経とうとしていた。
相変わらず俺の寝床はカビっぽい押入れの中だが、最近は日下部とベッドの上で乳繰り合ってそのまま寝てしまうことが増えた。
基本的に行為は日下部が一方的に愛撫するだけで、俺には身体をほとんど触らせようとしない。下半身に至っては、ズボンすら脱ぎたくないらしい。おそらくコンプレックスなのだろう。
日下部は、いつも機嫌が悪い日に俺を誘ってくる。――俺から誘うことは一度もない。誘う気も一切ない。
俺は日下部を起こさないように、こっそり洗面所へ向かった。
どういうわけか日下部の家に転がり込んでから異常にツキが回ってきた。
パチンコでは毎度のように大勝するし、大穴ばかりを狙う競馬でも毎回当たる。最初は面白かったが、だんだん「どうせ勝つんだろうな」と考えるようになって興奮しなくなっている自分がいた。
ギャンブルをしていて面白いのは、「勝つかもしれない」という瞬間だ。勝つこと自体が面白いわけではない。勝敗が最初から分かっているようなギャンブルなど面白味はない。
俺はだんだんとパチンコ屋や競馬場に行くのが億劫になっていた。
「いつもありがとうな。はい、これ」
俺は貴島をいつもの居酒屋に呼び出し、三十万円が入った封筒を渡した。貴島は飲んでいたハイボールを吹き出す。
「おいおい、どうしたんだよ。お前らしくない」
貴島は恐る恐る封筒を受け取り、中身を確認する。
「いつもだったら、逆に金借りに来るだろ」
「うん。そうなんだけどな……。最近、あんまりギャンブルしなくなって……」
「ええっ!?大丈夫かよ、死ぬ気か?」
ヘラヘラ笑う貴島から視線を外し、俺は煙草を取り出して火をつける。
「いっつも、ああいうこと言うけどさぁ、俺、お前に金貸すの悪い気しないんだよね」
「――ああ、俺を見下して優越感に浸ってるもんな」
俺は思わず零れた言葉に自分で驚き、咄嗟に口を塞いだ。貴島は「ん?なんて?」とニヤけた顔で返してきた。
俺は慌てて「ごめん、用事思い出した」と噓を吐き、自分の飲み代だけをテーブルの上に置くと店を飛び出した。背後からは貴島が何かを叫んでいた。
何であんなことを漏らしてしまったのだろう。――というより、何であんなことを考えてしまったのだろう。貴島は俺にとって良い友人のはずだ。
足早に帰路を歩きながら、俺は考えていた。
ここのところ、虫の居所が悪い気がする。ギャンブルで勝った金と給料で、貴島のように金を借りていた友人たちに借金を返済し、借金は少しずつだが減っている。
俺だって、たまに借金のことを考えると気が狂いそうになることがあった。だから、借金が減れば心が落ち着くと思っていた。しかし、なぜか以前より感情の起伏が激しくなったような気がする。
なぜだ?
ふと思い出したのは、二十代の頃、毎日ギャンブルをしたいがために自分の脳から「怒り」を消し去った時のことだった。
ギャンブルで連日負けていると怒りっぽくなるが、毎日怒っているほどのエネルギーはない。そのため、感情の起伏を抑えるようになったのだ。自分で言うのはどうかと思うが、俺は結構穏やかな性格だと思う。
それがギャンブルを辞めた瞬間、怒りという感情を取り戻し始めた。
どういう皮肉だ?
日下部の家に戻ると、日下部は強引に俺の腕を引っ張って寝室に連れ込んだ。ベッドに俺を押し倒すと、無言のまま唇を貪ってきた。
「……また喧嘩したの?」
「……うるさい、黙れ」
今日も日下部は不機嫌だ。
しばらくキスを交わしていると、俺のスマホから着信音が鳴り響いた。慌ててポケットからスマホを取り出そうとする。
「――無視しろよ」
「いや、職場からかもしれないし」
俺は横たわったままスマホを取り出した。液晶画面には貴島の名前が表示されている。正直無視しても良いかもしれないが、先ほどの負い目もあるため俺は電話に出た。
「もしもし?」
「あっ、やっと出た。お前、何回も掛けたんだぞ」
「え、嘘……、ごめん」
全然気づかなかった。
「お前、定期入れ落としていったぞ」
「えっ、マジで?――ごめん、今度会う時持ってきてもらっていい?」
「え?お前んちに郵送したほうが手っ取り早くないか?」
貴島には香純と別れたことを言っていない。
「あー、いや、いいよ。直接受け取る」
説明が面倒な上、このまま日下部を放置するのも悪いと思い、何とか誤魔化して話を切り上げようとした。
すると、日下部は舌を俺の首筋に這わせてきた。俺は「ヒャッ」と情けない声をまあまあの声量で出してしまった。
上に乗っかっている日下部を睨むと、ニヤリと不敵な笑みを浮かべている。
「どうした!?」
当然貴島にも聞かれ、何事かと心配される。
「何でもな――、ご、ゴキブリが出た。まあまあデカいやつ」
気恥ずかしい気持ちを抑えながら取り繕う。
日下部は俺の首元に顔を寄せ、それがくすぐったくて声が出そうになる。俺は空いている左手で日下部を押し退けようとするが、向こうもなかなか力が強く、片手では敵わなかった。
「えぇ……、大丈夫かよ」
「ぅ、うん、……後で退治する」
これ以上電話が長引けば、日下部が何をするのか分からない。俺は何とか貴島との電話を切り上げた。
「――何すんだよ」
「お前、首ほんと弱いよな」
日下部はそう言って、再び首を舐めてくる。俺はまた情けない声を出した。
「……今の、あの貴島?度のきつい眼鏡かけてた」
どうやら日下部に、電話に出る直前のスマホの画面を見られていたようだ。
「えっ、ああ、そうだけど」
日下部が貴島のことを覚えていたのは意外だった。
「お前さ、高校の時、貴島の財布が盗まれたって、真っ先に疑われたの覚えてないのか?」
「あっ――」
高校の時、貴島の財布が無くなったと大騒ぎになった事件があった。
その時、真っ先に盗人と疑われたのがクラスで一番貧乏の俺だった。クラス全体が俺に疑いの目を向け、担任ですら犯人扱いしてきた。結局、それは貴島の勘違いで、財布は無事だった。
疑われた俺は特に誰にも謝罪されることなく、騒動は終息した。
人生でもトップクラスにキツかった出来事なのに、俺は今の今まで忘れていた。
「……何であんな貧乏だったの?」
「……親父がさ、ろくに働かずにギャンブルにハマってさ」
ろくでもない父親だった。働きもせずにパチンコと競馬に金をつぎ込み、挙句の果てには母親と俺に手を上げる奴だった。最期は酒でポックリ死にやがった。
残されたのは多額の借金で、それを返済するために母親は昼夜を問わず働き、俺も高校に入るとバイトをさせられた。
――肇、あんたはお父ちゃんみたいになるんじゃないよ。
母親から繰り返し言われた呪いの言葉。そんな母親も借金を完済した直後、急死した。俺が二十歳になったばかりの時の話だ。
「それなのに、お前もギャンブルにのめり込んだんだな」
「へへ、皮肉だろ?やっぱり、俺は親父の息子なんだよ」
日下部は子供をあやすかのように、俺の頭を撫でる。
「……今なら、親父の気持ちは分かるよ」
俺はだんだんと心が落ち着いていく。
「でも、お袋と結婚した親父と、そんなろくでなしの遺伝子を残しやがったお袋の気持ちは理解できねえよ」
日下部はジッと俺の目を見つめてくる。いつもの澄ましたような目に見えるが、どこか悲しげにも見える。
日下部はおもむろに俺を抱きしめた。抱き合っていつも思うが、やはり日下部は俺よりもずっと華奢な体格をしている。
「俺も……、親父が外に女作って帰ってこないような奴だった。――そんな親父が、大嫌いだった」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます