催眠術 ※11/18修正
俺は昼休みに、友人を公園に呼び出した。
「頼む!五十——いや、二十でいい!」
俺は全力で土下座をし、金を貸してほしいと懇願した。
「いや、そんな、急に言われても……」
身なりの良い友人は渋る。
「頼むよっ、本当に金がないんだ!」
「その二十万、何に使う気だよ……」
「……パチンコです」
「えぇ……」
地面に額を擦り付けるが、友人は了承してくれない。
かくなる上は、と思い、俺は目の前を呑気に歩いていたダンゴムシをつまみ、顔を上げた。
「分かった——、これを食べるから貸してくれ」
俺は友人に向かって、丸くなったダンゴムシを掲げた。
「はっ!?何でそうなるんだよ!?」
「これが俺の誠意だ!」
俺は口にダンゴムシを放り込もうとする。
「待て待て!分かった!貸すから!早まるな!」
仕事終わりに、俺はパチンコ屋にいた。
三時間近く打ち続け、五万円勝った。昨夜は散々な出来事があったが、今日はパチンコで大当たりが三回出た。
昔、パチンコ屋で出会った歯の無いおじさんに「車に轢かれたら、病院より先にパチンコ屋に行け」と言われたのを思い出した。
パチンコ台には目が付いていて、可哀想な人に大当たりを出してくれるのだという。
「やっぱり台って見てるんだなぁ」
居酒屋で腹を満たし、俺は日下部の家に戻ることにした。
日下部から渡されていた合鍵を使って玄関を開けた。すると、中から女性の怒鳴り声が聞こえ、バシッと何かを叩くような音が聞こえてきた。
何だ?と考えていると、誰かが玄関に向かって歩いてくる気配がした。
俺はなぜか慌てて外に飛び出し、廊下に身体を強張らせて突っ立った。
すると、中から派手な服と化粧をした金髪の女性が出てきた。俺と一瞬目が合い、ゴミでも見るかのように睨みつけて、ズカズカとエレベーターのほうへ向かって行った。
俺は恐る恐る部屋の中に入った。
リビングへ行くと、日下部がソファに足を組んで座っていた。先ほどの女性に殴られたのか頬が赤く腫れている。イライラと眉間に皺を寄せ、貧乏ゆすりをしている。
俺は様子を窺いながら「ただいま」と言うと、返事の代わりに舌打ちが返ってきた。
他人の痴話喧嘩など微塵も興味ないし、苛立っている人間を変に刺激するべきではないというのはこの三十八年という人生で学んでいる。
そのため、俺は足音を立てないように自分の寝床へ向かった。
日下部の家に居候するようになって一週間が経ち、俺は仕事場へ行ってパチンコ屋に立ち寄り、日下部の家へ戻るというサイクルを繰り返していた。
日下部は深夜か朝方にいつも違う女を連れ込み、事に及んでいるか揉めている。俺は非常に居心地が悪く、女が出ていくまでマンションの前をウロウロするか、出勤前なら気づかれないように忍び足で家を出る。
もちろん、日下部とはあの日以来、言葉どころか顔すら合わせない。
あいつは何人の女を
そんな肩身の狭い生活をしている俺に同情しているのか、パチンコでは連日のように大勝ちするようになっていた。
今日も帰宅すると、家の中で日下部が女と口論になっていた。
早く住む場所を見つけよう。しかし、借金が一千万以上あり、カード会社や携帯会社のブラックリストに載っている俺がアパートを借りられるだろうか。いや、事故物件ならいけるか。
女が出ていくのを見計らって、俺は室内に入る。
リビングにはいつものように、苛立ちながら煙草を咥えた日下部の姿があった。
俺は気配を消しながら、寝床へ向かおうとしたが、その足を止めた。
「お前、こんなことやってたら、いつか刺されるよ」
恐る恐る言った。
一瞬沈黙が流れたのち、「女に刺されるなら本望だよ」と半笑いで返された。
ダメだこいつ。病気だ。
呆れ果てて立ち去ろうとした時、日下部が「おい」と呼び止め、キッチンへ向かった。冷蔵庫から缶ビールを二本取り出すと、一本こちらに差し出しながら「付き合え」と命令する。
ソファに二人で腰掛け、缶ビールを飲んだ。
「そう言えばさ、仕事、何してるの?」
「デイトレーダー」
「ああ、なるほど」
こんな高そうなマンションに住んでいるのはそういうことかと合点がいった。
「そっちは?」
「工場で働いてる。そんなに給料が良いところじゃないけど」
「まあ、だろうな」
俺がいつも着ている作業着を見て、日下部はそう言う。
「お前さ、いっつもこんな生活してるの?」
「こんなって?」
「……女の人連れ込んだり」
日下部はブハッと吹き出す。
「何?お前、童貞?」
「何でそうなるんだよ……」
「だってお前、彼女と全然してなかっただろ。寂しがってたぞ」
俺の脳裏には、香純の顔が
「ヤったとしても『組体操みたいだ』って文句言ってたしな」
「――ん?え?どういうこと?」
日下部は「さあ?」というふうに首を
俺は後頭部を掻き毟り、「うーん」と唸った。
「――きじゃないんだ」
「は?」
「好きじゃないんだ……、その、所謂、男女のそういうこと」
俺は両手で握りしめた缶ビールの飲み口を見つめながら絞り出した。
他人にこのことを話すのは初めてだった。酔っているからなのか、日下部相手だからなのか分からない。
「お前ゲイなの?」
「違う。俺は女性が好きだ」
「じゃあ、何で?」
「そういう奴もいるんだよ。俺も大人になってから知った」
俺が所謂セクシュアルマイノリティに該当すると知ったのは、三十手前の頃だった。
女性の裸を見ても、綺麗だと感じるが性的興奮はしない。アダルトビデオを観ても同じだし、自慰行為も義務的に月に一度やるくらいだ。
ずっと性欲があまりないだけだと思っていたが、どうやらノンセクシュアルに該当するらしかった。
それを知った時、自分のような人間が他にもいるのだと知り安堵したのと同時に、自分が普通ではないと思い知らされた。
おそらく、俺がギャンブルにハマった理由の一つがこれだと思う。
俺には性欲がほとんどないが、身体は興奮を求めているのだ。だから、脳を興奮状態にできるギャンブルが、性行為の代わりになっているのだろう。
「よく分かんねえな。お前、おっさんのくせに」
「日下部だって同い年だろ」
「ふん。お前のほうがエロそうな顔ってことだよ」
日下部の顔を見た。日下部は俺と同い年であるはずなのに、俺よりもずっと若々しくハンサムに見えた。俺に至っては、その辺に転がってそうなおじさんだ。
「じゃあ、何で女と付き合うの?しないのに……」
「えっ?いや、精神的な繋がりってあるし……、別に、キスとかハグはしたいよ。それに、向こうから誘ってくるなら断らないし――」
「何だそりゃ、女子高生かよ。理解できんな……」
日下部は一口ビールを流し込むと、「それは俺も同じか」と自虐的に言う。
「じゃあさ」と日下部は缶をテーブルの上に置くと、こちらに寄って来る。
「俺とキスした時、嬉しかった?」
日下部は俺に顔を近づけながら問いかけてきた。酒で顔が少し赤らんでおり、目も熱を帯びているように見えた。
「……酔ってるのか?」
「答えろよ」
頭がぼんやりとしていると、目の前の日下部の顔が二十年前の少女だった頃の顔と重なった。
「うれ、しかった」
そう答え終わる前に、日下部は唇を重ねてきた。
酒臭いな、なんて思っていると、日下部は舌を絡め、服を脱がしてくる。
おそらく力だけで言えば、その気になれば突き放せると思う。――しかし、できなかった。
日下部が下腹部に触れてくるので、俺も同じようにしたほうが良いと思い、手を伸ばした。すると、日下部は「止めろ」と低く拒絶した。
「ごめ――」
「……下はイジってないんだ」
そう言うと、日下部は自分のシャツを脱ぎ捨てた。日下部の胸は平らで、腹筋が少し割れていた。
俺だけが果てた後、しばらくの間、二人でソファに寝転がってキスを交わしていた。
日下部は執拗に俺の頭や身体を撫で、女のように扱ってくる。
ああ、こいつ、――俺で憂さ晴らししてるな。
そんなことを考えている俺の脳裏には、少年の自分と少女の日下部の姿が浮かんでいた。
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