少女の姿をした鬼の話

見学彰

少女の姿をした鬼の話

 ある一人の男が女を盗み出した。男は女を背負うと、走って逃げた。女は男の背中にしがみつくと、石のように固くなって離さなかった。大そう暗い夜のことである。

 ――女を背負って走っていた男は視界の上の方に白い閃きを何度も認めたが、それが「かみなり」であることを知っていたので見向きもしなかった。しかし、ごろごろと音がしないことを少しばかり怪しんだ。女は男の背にしがみつきながら魂を抜かれたように眠っていた。そのときには、女の体はどこまでも喰い込んでいく程柔らかくなっていた。

 夜に紛れた暗雲は、己の内に白い光を蓄えていった。濁りきった池を泳ぎまわる錦鯉が時折水面に近づいて、人間にその鮮やかな背中を見せつけてくるように、白い光の筋はのっぺりとひろがった暗雲の中を自在に泳ぎ回って、時折その一部を露わにした。さあ、落ちるぞ! と思うとすぐに雲の中へと引っ込んだ。


 しばらくの間走り続けていたため、男の全身がだるくなった。男は立ち止まると慎重に両膝を折って、いつの間にか目を覚ましていた女の顔を見た。――すると男の小さな口が、筋肉の伸縮によって別の生き物のように複雑に動き始めた。その間、喉仏は吊るされたようにぴくぴくと震えた。――それらの動きが止まると、女が男の背中から降りた。男の喉と舌と口の筋肉は結託して「水を飲みたいから降りてもらえないか」という意味を含んだ言葉を女の顔に落としたのである。

 男はよろめきながら近くを流れていた川へ向かって歩いた。

 男の喉は乾ききっていた。流れの側にしゃがんだ後、水を掬い取って飲もうと思ったその瞬間、男はぎょっとした。

 川の表面をよく見てみるとそこには流水の代わりに、しらたきのような見た目をした半透明でヒモ状の細長い生物が無数にいて、それら一匹一匹が一生懸命全身をくねらせて下流の方へと邁進していたのである。

 男は川の水を諦めた。男は女に見たものを言葉にして伝えた。

 女の喉も乾ききっていた。女はふと下を見た。足元は草原だった。しかしよく見てみると、全ての葉の肉が異常に分厚かった。女は一枚――というより一つちぎって、それを二つに引き裂いた。そしてその片方を親指と人差し指で押し潰すと、断面から数匹のしらたきがにゅるにゅると出てきた。女は腰を抜かした。

 二人は水を諦めて先を急ぐことにした。再び男は女を背負った。


 男にはもう走る気力も体力も残されていなかった。そのため男はよろめきながらゆっくりと歩いていた。女はそれでも男の背中にしがみついて離れなかった。そんな状態のまましばらく進んでいくと、女は草の上にきらきらと光るものを発見した。近づいて見てみると、それは草の上に置かれた「露」だった。そのとき、女の小さな口がひらいて中から粘々にまみれた紅くて柔らかいものがべろりと出てきた。それはべろだった。べろは葉の上の「露」に迫ると、遂に触れた。「露」は女のべろに吸われて消えてしまった。


 夜も更けてきたので男は女を近くにあった倉の中へ隠すことにした。男は女を降ろすと、小さな口をもごもごと動かした。女は頷くと、倉の中へと入っていった。男は戸口に立って倉の中の女を守っていた。

 真っ暗な空は、依然として白い光を蓄えていた。

 しばらくすると、疲れて立ったまま眠っていた男の体に不吉な予感を起こさせる程冷たい風が当たった。男はすぐに目を覚まして弓を手に持った。

 緊張の中に、男はいた。

 時がゆっくりと過ぎていった。

 男は気のせいだと思って、持っていた弓を置いた。――その瞬間、夜と一つになっていた暗雲の一ヶ所がキラリと光ったかと思うと、そこから乳白色の、ヒトの神経のような形をしたかみなりがべろりと露出した。しかもそれは十秒以上の間、空中に留まり続けたのである。男は仰天して、「雷鳴」が到達するより先に建付けの悪い戸を筋肉でこじ開けた。 

――男は倉の中の有様を見て、更に驚いた。


 ――倉の中に隠したはずの女は何処にもいなかった。その代わりに「鬼」がいた。それは八歳位の少女の姿をしていた。そして、それは何も着ていないように見えた。一瞬、白い雷光が素肌を滑って小さな裸を描いた。「鬼」は男に気がつくと、小さな鈴の鳴るような声で、「なにをそんなにジロジロみておるのじゃ!」

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少女の姿をした鬼の話 見学彰 @kenngaku

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