君の日記と僕から生まれたもう1人のキミ。

百日紅

第1話 二人のテオ

11月某日。

 夜になると僕は決まって古びた机に向かい書き物をする。日記、もしくは何か創作のための手慰みだ。几帳面で少々神経質な性質を持つ僕に比べ、ベッドに寝転んでじっと天井を見つめているアーサーは、うっすらと骨の浮かぶ貧弱な僕の背面や美しい細工の施された真新しい卓上ランプ、ペン先からこぼれる微弱な音にまるで興味を向けず、特にこの時間は互いに声を掛け会話を楽しむということもない。狭い部屋が持つ自閉的な休息空間としての価値が見失われることはなく、彼の無関心という厚い緞帳によって二人は完全に遮断され、僕のプライバシーはしっかりと守られていた。


 『二人の共同生活が存外快適だったのは、気ままに日々を楽しんで見える彼の唯一の趣味が「物思いに耽ること」であり、それを知っているのは「僕だけ」だということ。』


 僕は日課のように目を通している日記帳を閉じた。繰り返し読んだ表現も多い。多くのページは既に暗唱できるほどだ。


 『僕はこの男を愛しているのだろうか』


 手慰みの脚本を執筆するために机上に束ねられた粗悪な紙に乱暴な筆跡でそう走り書きすると、僕はアーサーに気取られないよう小さく息を吐いた。半月前の穏やかで暖かな、秋晴れの光が差す静かな午後の記憶に思いを巡らせながら、ノートやスケッチブックを引き出しへとしまう。

 

 あれは10月上旬の日曜日だった。僕は緊張していた。

 「初めまして。アパートメントの家主さんからこの部屋のルームシェアを提案されたテオと言います。昨日はあなたに突然ご連絡を……。」

 「ああ、もちろんあなたのことは聞いていますよ。今日から同室になる青年というのが君ですか。僕はアーサーといいます。夜逃げじみた契約破棄の結果、正直困っていました。早々にあなたが来てくれてよかった。助かりますよ。

 家賃は折半、互いの客人はこの部屋に入れない。それがこの部屋のルールです。しかし同居人に逃げられてしまったということは私に何か悪習があったのでしょうね。見咎める点があったとしても、そこはどうか心穏やかにお願いしますよ。」


 明朗な声で話す端正な容姿の男だと思い、同時に洗練された振る舞いに僕は心地良く打ち解け、彼の社交性と言動に対する美意識に感嘆すら覚えた。羨望とも憧憬とも判別の付かない、感傷的ですらある感情の出どころに少々困惑しながら、僕は部屋から出て行くアーサーの線の細い後ろ姿を見送る。とはいえ行き先を伝えず、備え付けられた家具使用への許可や説明を僕に与えようともしない。実際は飄々とした男なのだろう、と思いながら僕はガタガタと耳障りな音を立てる古い机の引き出しを開けた。

 先住者の持ち物など残っていないという先入観を持っていたため、引き出しに残された日記を見て思わずこぼれた僕の声が、部屋に降り注ぐ光の中を静かに漂い、飾り気のないカーテンを揺らす微かな風に溶けて消えていった。


 僕はアーサーの不在を念入りに確認し、日記帳をそっと手に取った。

 美しい装丁の、まだ使われて日の浅い日記帳だ。背表紙から繋がる紺色のリボンに僕が気づくと同時に、ページがパラパラと静かに捲れた。


 中表紙となる上質なページにはこう記されている。


 『君が好きです。ですからもう、この部屋にはいられません。

 今までありがとう。君との思い出に愛と感謝をさようならを込めて。テオ』


 体温が急激に失われたような悪寒を感じながら部屋をぐるりと見渡してみる。古びた印象の、どちらかといえば殺風景で簡素な部屋だ。しかし僕の心臓が何かを思い出し始めているかのように、温かい心音を体が優しく感じている。


 『僕はここにいた』

 『そしてアーサーを愛していた』


 夜風の冷たさを感じて、僕は日差し溢れる記憶から突如我に帰った。再びページに目を落とす。


 『この日記を見つけて以来、僕が僕ではなくなってしまっている。僕の身体にもう一人の僕の存在を感じる。しかし僕は決してこの日記の持ち主ではない。そんな夢物語は起きない。恐らく日記に込められた「もう一人のテオ」の想念が魂となって、僕の身体に宿ったんだ』

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君の日記と僕から生まれたもう1人のキミ。 百日紅 @mochimochi0508

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