第4話
別荘に戻った二人は老執事のアルドに懐中時計の家紋を見せ、事情を説明し三日間の宿を手に入れた。
「あの、その機械はなんですか?」
その晩、早速自身の家に招き入れたメモリア。
マヤが自身の鞄からいくつかの部品を取り出し組み立ているのを横から眺めていた。
マヤは着ていた服を着替えおり、見た目は貴族そのものだ。服は老執事のアルドが見繕った物らしいがマヤの良さを存分に活かされていた。
月夜に照らされたシルバーの髪は赤いリボンを使って低い位置で纏められ、紺色のハイネックと白いパンツ、その上から薄いブラウンのオーバーコートを纏っていた。それから露わになった耳元には変わった形のピアスが。
昼間は青年色が強く、今は大人の男の色気も感じる。右目の下の黒子がやけに色っぽく見えるのは部屋を照らす灯りが二つしかないからだ。きっとそうに違いない。
メモリアは邪念を捨ててマヤとの会話に集中し直した。
「これは
本来、キネマログは手の上で魔力を込めながら観るのが一般的だった。映像こそ小さいが立体的に人物や背景が映し出される。しかし、今現在はそんな事出来るはずもなく考え出されたのがこのキネマログスコープ。
部屋の大きさから機械の位置を調節する事で、本来と同様に立体的な映像を映し出す事ができる、らしい。
「これはニ代目なんです。一代目は人がレンズを覗いて機械の中に映し出された映像を観る形だったんですが。うちの当主様が腰が痛いだの片目で疲れるだの。散々文句付けて、この形に落ち着きました。」
「あははー。す、凄いですね。」
「そうなんです。文句言いながらもこんな機械をあっという間に作れてしまう辺り、ムカつくけど天才なんでしょうね、彼は。あ、この機械の原理も知りたいですか?」
この従者は主人を尊敬しているのか、バカにしているのか。なんとも反応に困る。
マヤは早口で機械の原理を教えてくれたが、メモリアにはサッパリ理解出来なかった。とりあえず分かった風に相槌だけ打って話を合わせることで難を凌いだ。
「つまり要約すると。この穴にキネマログを入れて、後ろから幾つものライトで照らします。するとキネマログの中を通った光が屈折を繰り返し、手前のレンズから映像が流れて壁に映し出されるという仕組みです。」
「ほ、ほう。なるほど、でふ。」
マヤの興奮気味の説明にメモリアは圧倒されるばかり。ただ、この機械に対する熱量はヒシヒシと伝わってくる。
「ただ……。」
「どうしたんですか?」
「僕はまだこの機械の操作に不慣れでして、映像を平面的に映す事しかできないんです。騙した様になってしまって申し訳ないです。」
「そ、そんな事ないですよ。修復出来るだけでも凄い事です。」
「そう言って貰えると助かります。」
マヤの本当に申し訳なさそうに頭まで下げて謝る姿に、メモリアはびっくりして顔の隣で両手をぶんぶんと振ってみせた。
「あいつなら完璧に修復できるのに。」
頭を下げているマヤが小声で呟いた言葉はメモリアには届かず、何か言いましたか?と問うとなんでもありませんと爽やかな笑顔が返ってきた。
この青年は行動一つを取っても絵になる。
今の笑顔だって彼の周りにだけ星がキラキラと光って見えるほど。こんな美青年を見た事がないメモリアは夜だというのに眩しくて目が痛くなってきていた。
「それで復元したいキネマログはどこですか?」
メモリアは服の下に隠していたネックレスを取り出す。
「…………なんだか浮かない顔、ですね。」
「あの、ここまで準備してもらって申し訳ないのですが……、このキネマログに映像が入っているのか私自身、分からないんです。」
「……と言いますと?」
「私は、メルーラ出身なんです。」
「…………。」
その言葉にマヤが反応する。彼女があの大爆炎魔法に巻き込まれた被害者だと理解したのだろう。
「私は、記憶が戻らなかったんです。居たはずの両親は聖戦終結の後、迎えに来ては来れませんでした。」
捨てられたんだって分かってる。
分かっているけど、諦められなかった。
もしかしたら、をずっと夢見てた。
このキネマログを復元出来たらと考えない日はなかった。でも逆に恐ろしくもあった。
もしも、映像なんて何も入っていなかったら?
もしも、愛されていない子供の映像だったら?
そして、映像を観ても何も思い出せなかったら?
――私は立ち直れるだろうか…………?
いざ目の前に裏返された答えを置かれて、怖くなってしまった。
――このまま知らない方が幸せなのでは?
この十年を無駄だったと結論付けてしまったら私は、そんな現実を受け止めきれる自信が、ない。
「あの、やっぱり……。」
「僕と一緒ですね。」
「…………え?」
「僕もなんです。僕の場合は一年前以前の記憶がないんですけど。」
思わぬ返事にメモリアは驚きを隠せなかった。
「もどかしい、ですよね……。記憶がないというのは。」
蝋燭に照らされたマヤの横顔は切なくて、悲しくて、消えてしまいそうな危うさがあった。どうしてか彼からは目を離してはいけない気がする。
「あのっ、怖くはないのですか?」
彼を現世に繋ぎ止めるように、会話が途切れないようにメモリアは声を掛けた。
「怖い? 何がです?」
「だって、自分の過去が思っていたものじゃないかも知れないんですよ。私なら絶望してしまう。」
「……うーん。でもまだ未来は残ってますから。」
「……え。」
「過去はもう変えられないけど、変えられる未来は持ってます。それで十分です。だから過去でした失敗を未来でしないように、絶望的な過去を幸せな未来にする為に。僕は自分の過去を知りたいのです。過去の利用価値なんてそのぐらいですよ。」
「…………。」
マヤは淡々と言う。
虚栄心や見栄で言った言葉ではなく、ただ本心を口にしているんだと伝わってくる。その言葉に胸が鳴る。
――過去の記憶をそんなふうに考えた事はなかった。
利用価値だなんて……。
そうかも知れない。でも…………。
「そう、かも知れませんが……私は、そんなに割り切れ、ません。」
忘れた記憶の中には、私の想いや意思や感情が確かにあって。それをただ未来に進むためだけの利用する道具だなんて言い切れない。割り切れない。私は、そんなに強くなれない。
「申し訳ないのですが……、少し考えさせて下さい。」
自身の想いの整理がつかず、マヤを家から追い返す形になってしまった。一人きりになった部屋のベッドに蹲る。
怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
でも、知りたい……。
矛盾する感情が身体を駆け回り、心臓が速くなる。
手を伸ばせば、答えが掴めるのに。十年求めた答えがあるかも知れない。でも、それを知ってしまったら、もう戻れない。
「怖いよ……。分からない、よ……。」
胸が苦して、自分がどうしたらいいのか分からなくて、どうしようもなく泣けてきた。
その晩、声を押し殺し、力ない拳で意味もなく枕を殴りながらメモリアは涙を流し続けた。
「うわっ、メモリア大丈夫!?」
「ええ……、大丈夫、よ。」
翌日、目を腫らしたメモリアを見た同い年のメイドが慌てて駆け寄ってきた。未だ、気持ちの整理のつかないメモリアに笑みはなく、どう見ても大丈夫ではなかったけれど、別荘の中はメモリアに構っている余裕はなく慌てていた。
「この騒ぎはなに?」
別荘の玄関に大勢の従業員が何かを取り囲んで騒いでいた。
「実は別荘の玄関を掃除しようとしたら人が倒れてらしいの。ここらじゃ見慣れない黒髪ですって。」
「黒髪………。」
昔から黒は魔族の色。この国ではあまり歓迎されない色だ。好き好んで黒を取り入れるなんて悪評名高いクローリス家ぐらいなもの。
「……もしかして!?」
「そうなの、彼もクローリス家の紋章も持っていたらしいのよ。」
なるほど、だからあんなにも騒がしいのね。
クローリス家の方が別荘の前で死なれたとなればこの村全体が被害に遭いかねない。何をしでかすか分からないのがクローリス家。ひいてはこの別荘の持ち主にも被害を被る事になる。それだけは絶対に避けないといけない。
「ふわぁ〜。」
焦るメイド達の背で、起きたてに大きな欠伸を吐きながら部屋から出てきた彫刻みたく美しい青年が一人。
「皆さん、おはようございます。朝からどうされたのですか?」
何も知らないマヤがキョトンと首を傾げて皆の方に視線をやり、何か見つけてしまったようだ。あからさまに嫌な顔をして見せた。
「チッ……、もう追いついてきたのか。」
その表情は彼の印象をガラリと変えた。昨日までの物腰柔らかな好青年は何処へやら。クローリス家の名に恥じぬ悪役顔。犬歯に似た八重歯で男を威嚇している大型犬みたいにも見える。
「ヌハ、ヌハハハハッ!!」
不気味な笑い方は聞き慣れない男の声が別荘の玄関ホールに響き渡る。小鳥のような綺麗な高音でもなく、大地に響く低音でもないその声は、聴いている人間を丁度良く不快にさせる嫌な力を持っていた。
「マヤよ、考えが甘かったな! この程度の放置プレイにこの僕がっ、満足出来る訳ないだろうっっ!」
急に立ち上がった男の発言に皆の思考が停止し、マヤは心の底から嫌悪した表情を浮かべ、大きな舌打ちをした。
「のたれ死ねばよかったのに……。」
「ヌハハハハ。身ぐるみ全部剥がして砂漠に放置プレイなんて、マヤにしては興奮させてくれる。」
「本当に、死ねばいいのに……。」
「だが、次からはもっと上手く足跡を消してくれ。あれでは靴先の向きで方角が分かってしまう。そこからマヤの思考パターンを千通り予測。体力と疲労具合、荷物の量を計算に当てはめると簡単に居場所が分かってしまうではないかっ!」
「はぁーーー。朝から最悪の気分だ。」
男の容姿は特徴的だった。
肩まで伸びた癖っ毛の黒髪、何故か右上がりにパツンと切られた前髪、真っ黒のコートで首から足首までをすっぽりと隠し、黒の編み上げブーツはヒール付き。おまけに爪まで黒く塗られている。とにかく全てが黒い。
黒以外の色があるのは、猫目な薄紫の瞳とシルバーの片眼用眼鏡だけ。身長はマヤと同じぐらいだろうか。ブーツを履いている分だけ少し男の方が高い気もする。
「ヌハハハハッ! 天才が過ぎるこの僕に、そんなに嫉妬しないでくれたまえ。」
「……お前と会話が成り立つ気がしない。」
この二人は一体何者なんだ。
周りの従業員は皆同じ事を思ったに違いない。銃弾みたいなスピードで話す二人に一介のメイドが割り込める筈もなく、メモリアもその場に棒立ちになっていた。
「一体、何事ですか?」
混沌する場を制したのは、老執事アルドだった。
「おい、ジジイ。王都行きの馬車が来るまで世話になるぞ。この屋敷で一番豪華な部屋を貸せ。」
マヤが男の物言いに怒鳴っている一方、老執事アルドは至って落ち着いていた。流石はこの別荘を取り仕切る長と言ったところか。表情一つ変えず男に臆する事もなかった。
「失礼ですが、貴方は?」
「ヌハハハハ、よく聞いた! 我が名はっ、」
「カルルです。彼の名はカルル、ただのカルル。」
マヤがカルルと名乗る男を遮って代わりに答えた。
「お前はもうなにも喋るな。」
「ヌハハ、今度は窒息プレイか。よいぞ、良いではないか!」
カルルが口角を上げて笑ったかと思えば、口と鼻を自身で塞いで大人しくなった。
「カルル様、マヤ様。あなた方は本当にクローリス家の従者の方なのでしょうか?」
老執事アルドの発言に場は一気に温度が下がっていった。
「僭越にも私、王都でクローリス家の方をお見かけした事があります。とても厳かな方でした。無駄口を好むような方にはとても。そのような人があなた方を連れ歩く姿は、想像出来ないのです。」
「……なにが、言いたいのです?」
背筋をまっすぐに伸ばして立つ老執事は年季が違う。別荘を守る番人の風格に、マヤは少し気押された。
「その紋章が盗んだ物ではないと証明してくださいまし。クローリス家の従者なればキネマログを治すぐらい簡単なことでしょう。」
「ヌハハ、ヌハハハハッ! 息するよりも簡単でつまらないが、そのやっっすい挑発に乗ってやる。」
カルルは窒息プレイに飽きたらしい。水を得た魚の様に高笑いする。その行動がクローリス家の従者として気品がないと疑われているとも知らず……。
「では、私めのキネマログでお願い致します。」
「うむ。なんともちっさいな。」
アルドが胸元から取り出したのキネマログは荒削りでカフスほどの小さな代物だった。
「十五年前に出て行った妻が残した物です。」
「ほう……。」
「中身は恐らく、私への罵詈雑言の数々です。」
アルドは少し寂しく諦めたような表情をした。
「騒ぎはここまでです。皆は仕事に、お二人は私と共に。ここではなんですから場所を変えましょう。」
パンッと手を叩いたアルドの合図で従業員は後ろ髪引かれならがらも仕事へと向かう中、腕を組み首を傾けるカルルは真剣な表情で左眼に掛けた眼鏡をかけ直した。
「おい、ジジイ。」
「……はい、なんでしょう?」
「妻が罵詈雑言を言ってる姿を見せろなんて。変態なのか?」
カルルは真剣。マヤは青ざめ、従業員は足を止めた。今日一番の冷気がその場を駆け巡る。
「……皆さん、仕事に戻りなさい。」
アルドの笑っていない笑顔に皆は、全力で走って逃げていった。
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