第3話
「こんばんは。僕は旅をしている者です。王都行きの馬車を逃してしまいて。この辺りは宿屋もなく困っております。つきましては次の馬車がくる三日間、一部屋貸して頂けないでしょか?」
それはあまりにも不振者だった。
頭から茶色のローブをすっぽり被って、表情は何も伺えない。持ち物はボロボロの鞄が一つ。その見た目はお世辞でも良いとは言えない。分かるのは声から推察出来る男であることぐらいだ。
「……、申し訳ございません。当家は空き部屋がございませんので。どうぞ、お引き取り下さい。」
この町に商人以外の客人を来ることは珍しいらしく、メイド達は物陰に隠れ様子を伺っていた。当然、メモリアもその中の一人として参加。
老執事のアルドが冷静に対応しているを聴いていた。
「もちろんタダでとは言いません。僕は
――キネマログ……。
その言葉にメモリアはピクリと反応した。服に隠していたネックレスをギュッと握る。
「申し訳ございません。どうかお引き取り下さい。」
「私はキネマログを復元する事が出来ます。きっとお役に立てますよ?」
食い下がるローブの男を老執事は淡々と追い返し、別荘の扉は男を受け入れることなく、固く閉じられた。
――キネマログの、復元…………?
思い悩むメモリアに気が付いた老執事が声をかける。
「メモリア、どうしましたか?」
「あっ、……いえ。今の方は?」
「さぁ。旅人と言ってましたが、本当かどうか。ここらでもまだ不審者はいますからね。メモリアも気をつけて下さい。」
「でも、キネマログの復元って。」
「ああ、あれは嘘でしょうね。キネマログは魔法に反応する不思議な石です。ですが、今や価値のない石ころ。復元なんて嘘に違いありません。」
本当に復元出来るのは絶滅した魔族ぐらいでしょう。とも付け加えた。
魔力を込めると映像を記録していつでも再生出来る優れものだった。聖戦終結までは……。
子供の成長の記録を残したり、大切な人との時間や約束なんかを石の中に入れ、ネックレスなんかにして持ち歩くのが当時流行っていたと孤児院のシスターが教えてくれた。
「メモリアのネックレスにも思い出が詰まっているはずよ。だから家族を、両親を嫌わないであげてね。」
シスターは慈愛に満ちた目で何度も何度も、口にしていた。貴方は愛されていたはずだから、と。
メモリアが両親を諦めきれなかったのは、シスターのこの言葉があったからかもしれない。
だが、それも今では過去の話。
魔法が消えたこの世界では人々に愛されたそれは、ただの石ころへと姿を変えた。
――だから、嘘に決まっている。
不審者の吐いた妄言。
世迷言。あり得るはずがない。
嘘なんだ、嘘に決まってる。
――でも……、本当だったら?
そう思った時には走り出していた。脚が勝手に動いてしまって。ここで動かなければ後悔する、そんな予感があったんだ。
別荘を飛び出すと途方に暮れる男をすぐに見つける事が出来た。本当に困っているらしい彼は、辺りをキョロキョロと見渡していた。
「あのっ……!」
メモリアの言葉にローブの男が振り返った。
「あの……。本当、なんですか?」
「…………何の話でしょうか?」
「キネマログの復元の話です。」
「先ほどのお屋敷の方ですか。ええ、もちろん本当です。ご興味おありですか?」
その問いにコクリと頷いて見せる。
「一晩でも泊めて頂ければお持ちのキネマログを復元してみせますが。どうでしょう?」
「その前に、ローブを脱いで下さい。顔も見せない方と交渉出来ません。」
「はっ!? これは失礼しました。もしかしてさっき追い出された時もローブ被ったままだったのか!?」
反応からするに本当に忘れていたらしい。男は慌てて茶色のローブを脱いだ。姿を表した男はとても……。
「……ッ!?」
――綺麗……。
男の人に言うのはあまり好ましくないが、男にはその言葉がよく似合っていた。
シルバーの長髪、陶器のように透けた肌。そしてガラスみたいな透明感のある碧眼。右目の下の
ローブの男の正体は、まだ大人の階段を登りきれていない青年だった。
「はじめまして。僕はマヤ・フロストと言います。」
「えっ、えと、あの……メモリア、です。」
マヤのあまりの美しさに、見惚れてしまうメモリア。頬は夕陽と同じぐらい真っ赤に染まった。握手を求められて咄嗟に手を差し出したが、目の前の青年の立ち居振る舞いは貴族そのものだ。
もしかしてお忍びでこの地へ来られたのかも。
だとしたらお付きの従者がいるはず。
――どうしよう。粗相をしてないかしら。
思考をぐるぐるまわして見ても上手い解決策が見つからない。というか本当に貴族様だったら命がないのでは?
メモリアの思考が限界に達していた。
「僕は
彼は物腰が柔らかく、怒っている様には見えない。その態度にホッとする。
「あの、キネマログは魔力にしか反応しない石です。聖戦前ならともかく、そんなことは本当に可能なのでしょうか?」
「ええ、出来ますよ。といっても信用出来ないか……。」
そりゃもちろん、と言いたげにメモリアは大きく頷いて見せた。
「はぁー、仕方がない。この名はあまり使いなくないんですけど……。」
メモリアの直球の質問にリユと名乗る青年はボロボロの鞄の中から懐中時計を取り出した。蓋の部分を見るように促され恐る恐る覗く。
そこには黒い鳥の絵柄の家紋が。
「……ッ!!!?」
慌てて地面に膝をつき、頭を下げる。
メモリアの顔から血の気がみるみると引いていく。悪寒が止まらず、身体が勝手に震えだす。
――大変な事をしてしまった。どうしよう……。
「も、もも申し訳ございません。クローリス家の方だったとは梅雨知らず。」
「あわわ、大袈裟です。立って下さい。」
「そうはいきません。あのクローリス家の方になんと無礼を、どうかお許しください。」
この国で黒い鳥の家紋はたった一つしかなく、平民の間でこれほど知られている有名な貴族は他にいない。
クローリス家の現当主は二年前に流行った伝染病の治療薬を開発した張本人。若い当主らしいがとても聡明だともっぱらの噂である。しかし、その裏であまり良からぬ噂が絶えないのも事実。
魔族を飼っているとか、
人間の血を吸って生きているとか。
クローリス家に近づくと殺されるとか。
二年前の件で感謝されているが、その前までは残忍な噂が一人歩きし悪の貴族なんて恐れられていた。
――まさか、こんな優しそうな方がクローリス家の人だったなんて……。
「ちょっと待って下さい。僕はクローリス家の下僕ッ、ではなくて従者に近いんです。なのでそんなに頭を下げられても困ってしまいます。どうか、顔を上げてください。」
マヤは慌ててメモリアと同じように土に膝をつき、顔を上げるように口にする。
「それに、こんな状況見られたら僕は不審者みたいじゃないですか。だからお願いします。顔を上げてください。」
本気で焦るマヤの姿に不謹慎ながら笑えてきた。というか見るからに怪しい格好をしておいて不審者に見えていないと思っていたのか。
――この人は少し変わっている。
顔を上げたメモリアをマヤが優しく手を取って立ち上がらせた。
噂とは全く違う紳士的な行動は素直に嬉しいが、こういう事を咄嗟に出来てしまう辺り、相当に女慣れしているのだろう。そう考えると少し憎たらしくも思えた。
「それでどうでしょう、少しは信じてもらえました?」
「はい。クローリス家の方が言うのですから間違いはないのでしょう。」
クローリス家の現当主は医療に力を入れているが、他にも多くの分野に興味があるらしい。中でも数年に出した論文『人間は魔力を取り戻せる』は平民の間でも大きな話題になっていた。
そんな方の従者がキネマログを復元出来ると言うのだから信じてみる価値はある。
「では宿を貸して貰えるんですね。良かった〜。」
「あの、そのことなんですけど。失礼とは思いますが……、最初からその家紋を見せていれば別荘の執事が断るなんてしなかったと思いますよ。」
「……なんと、その手があったのか。いやしかし、アレの力を借りるのは僕としても不本意というか。抵抗があるというか。」
この当主、悪い噂の方が多いでしょっ、と茶目っ気たっぷりに言われた。でもそんなジョークに笑える訳もなく出来るだけ曖昧に返事を返す。
クローリス家の愚痴をそんな堂々と。
他の誰かに聞かれでもしたら命はない。打ち首の後、見せしめに生首を転がされるかも知れない。
どうかそれ以上、おかしな事を言わんでくれと願うメモリアだった。
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