第2話

 淡い翡翠の瞳が瞬きをする。


「行ってきます。」


 荷物は首から掛けた碧い石、映録石キネマログを飾りにあしらったネックレスと旅行用カバンが一つ。メモリアは孤児院の前に立っていた。


 濃く深い赤の髪は後ろの高い位置でポニーテールに。程よく焼けた肌は艶があり、まん丸いビー玉みたいな翡翠の瞳は吊り目がち。だけど強い印象はあまり無くて愛嬌がある。


 白いフリルの付いたブラウスとモスグリーンのロングスカートをハイウエストでは着こなしたメモリアは、可愛いより美しいが似合う女性に成長していた。


 記憶が十年分溜まって、推定十六歳になった彼女はこの日、育った孤児院から巣立つ。


「気をつけてね、メモリア。」


「はい。今までありがとうございました。」


 孤児院のシスターに見送られ、ボヤける視界を誤魔化すように目を細めてニコッと笑って見せた。


「じゃあ……、行きます。」


 目指すのは孤児院のある町から駅馬車で三日移動した田舎町グレイズ。とある貴族の別荘があり、避暑地にもなっている場所。そこのメイドに雇われたのだ。


 孤児院はメルーラの隣町にあり、そこから離れる事に抵抗が無かったわけじゃない。

 この十年間、両親を諦めきれずあらゆる病院へ行き、死者名簿も見せてもらった。それでもピンとくる人物は見つからなくて。


――潮時だと、思った。


 十年だ。諦めるには十分過ぎるぐらいの時間が経っているんだから……。


――両親への想いは複雑で。


 迎えに来てくれない怒り。

 顔も名前も忘れてしまった罪悪感。

 何も思い出せない悲しみ。


 でも、確かにいたはずの存在。

 それはメモリアが肌身離さず持っているネックレスが証明している。碧い石飾り、キネマログの裏に小さく書かれている『我が愛しのメモリア』という文字。


――なんで、なんで、なんでよ……。


 何度も、何十回、何億回も思って。思わずにはいられなかった。


――愛しいのであれば、なんで迎えに来てくれないの?


 返答はいつまで経っても帰ってこないまま。

 悔しくて、悲しくて、辛くて。

 なのに諦めきれない自分に苛立って。


 こんな想いを断ち切りたくて、メモリアは遠い地でメイドとして働く決心をした。


「さようなら、故郷。さようなら、家族。」


 メモリアは小さく呟くとグレイズ行きの馬車に乗り込んだ。その横顔は花咲く乙女のように儚く、影を落とす伏し目から流れる涙はとても、美しかった……。


 田舎町グレイズは牧畜が盛んな地域だ。

 手付かず自然とそこに生きる動物達が上手く共存している。これといってなにがあるわけでもないが、空気は美味しいし、四季それぞれに全く違った自然が見られると有名でもある。


 それから乳製品が抜群に素晴らしい。搾りたてのミルクやバター、熟成させたチーズの美味しさは想像しただけで笑みとよだれが同時に溢れ落ちるほど。


 短所を上げるとすれば、一点。

 田舎特有の閉鎖的な雰囲気が漂っている事。

 聖戦終結後、この地域も多大な被害を受けていた。


 王都から大分離れている為、メルーラのような大爆炎魔法に巻き込まれる事はなかったが、食料難民や野盗が押し寄せ動物の乱獲や乳製品の窃盗が相次いで起こったのだ。

 今でこそ自警団を作り犯罪は減少しているが、グレイズに住む住人は、他から来る人間を快く迎え入れようとしない。その風当たりの強さはメモリアにも例外ではなかった。


「き、今日からお世話になります。メモリアと言います。」


「はぁ……。本当に来たのね。」


「こらこら、なんて事を言うんだ。歓迎しますよ、メモリア。」


 別荘に着いたメモリアを迎え入れたのは気の強そうなメイド長と優しく年をとった老執事。


 グレイズでは若者の牧畜離れが進んでおり、王都や大きな街へ出稼ぎに行く者が増えているそう。その為、メイドの空きが中々決まらず、他の街に応募を出したと老執事のアルドが教えてくれた。


 しかし、良心的に受け入れるかは別問題。

 実際のところ老執事のアルド以外は疑惑の目をメモリアに向けた。


「ここ、ですか……?」


「仕方ないじゃない。ヨソモノと相部屋になりたい人間なんていないのですから。」


 住み込みのメイドとして雇われたメモリアに与えられた部屋は、別荘から随分と離れた小さな納屋。

 木造でだいぶ昔に建てられたらしく、ツタやコケが無造作に巻き付いていた。


「ヨソモノにはここで十分でしょう。支度が出来たら執務室にいらっしゃい。」


「…………はい。」


 メイド長の態度は傲慢で、メモリアを軽蔑し一度も名前で呼ぼうとすらしない。

 先行き不安で仕方ないが、ここを追い出されたらいく場所なんてない。メモリアは耐えるしかなかった。メイド長にお辞儀をし、宛てがわれた納屋の扉を恐る恐る開く。


「…………。これは、ひどい。」


 思わず絶句した。

 中は想像より遥かに酷い有り様で。

 埃まみれでベッドはなく、脚の折れた椅子と藁の束があるだけ。床には石や土が入り込んでいた。とてもじゃないが、人間の住める環境ではない。


「フフフ……。これは掃除のしがいがあるわね。」


 メモリアは笑った。

 悲観的にではなく、心の底から笑ったのだ。


――こっちは両親に捨てられてんのよ。こんな事じゃ折れないわ。


 なんとも自虐的。

 けど、これは彼女の良いところ。病院で来ない両親の迎えを待っていたあの頃と比べたら、なんてとこはない。


――もっと深い悲しみを、私は知っているから。


 ドン底を知っているからこそ、彼女はこの十年で強くたくましい女性に成長していた。

 待つことしか出来なかった幼く弱い自分から脱却する為、二度と置いて行かれないように。彼女が強くあろうとした結果なのだろう。


 ひとまず旅行用カバンを置き、メイド服に着替えたメモリアは紅い髪を結い直し、頬を両手でパンっと叩き意気揚々と執務室へ向かう。


「随分と遅かったですね。着替えるだけでこんなに時間が掛かるなんて。今後からは気をつけてくださいね。」


 あんな離れた納屋を宛てがったあんたのせいだろ、と言ってやりたいのをゴクンと飲み込んで、メモリアは「すいません」と笑って謝った。


 その態度が気に入らなかったらしい。


「もうすぐ春が終わって夏が来ます。今年もお嬢様が避暑地であるこの別荘に来られる為、仕事は山積みです。まずは……。」


 別荘はそれほど大きくはないが部屋数が多い。その全ての部屋を季節ごとに模様替えするのが恒例らしく、この時期はとても多忙になる。


 メイド長は別荘をひと通り説明し終わると勤務初日からメモリアに休みなく大量の仕事を与え始めた。


 掃除と洗濯だけでも大忙し。量が多過ぎるのだ。

 それでもメモリアはテキパキと仕事をこなしていく。他のメイド達がびっくりするぐらいに。


 なにせメモリアが育った孤児院はオンボロ教会に属しており、小さい頃から掃除に洗濯、料理、下の子の面倒、やる事は無限にあった。必要とあれば、教会の補強作業も手伝う。


 二年前に起きた伝染病の蔓延した時なんかは本当に大変だった。薬なんか買うお金などある訳もなく、死と隣り合わせの生活を送ったものだ。

 幸い、伝染病の治療薬がすぐに開発された為、孤児院の子供は誰も死ぬ事なくその年の冬を越すことが出来た。


 そんな多忙に多忙を重ねた中で十年を暮らしていたメモリアにとってこのぐらい朝飯前。メイドという職業は彼女の天職とも言える。


――忙しいけど、このぐらい大丈夫。


「私、ここで戦えるわ。」


 まさか、孤児院育ちがこんなに役に立つなんて夢にも思わなかった。私の人生、捨てたもんじゃないわね。


 メモリアはフフ、とまた小さく笑った。

 元々、姉さん気質があった彼女は器量も良く社交的で。逆境でも負けない強さがあった。


 そんな彼女の姿は綺麗で、美しい。

 人々を魅了するには十分な力だ。


「それ、手伝いましょうか?」


「……えっ。ヨソモノの貴方が?」


「私はメモリア、ヨソモノじゃないわ。よろしくね。」


 真冬の氷を溶かす春の桜のように、夜の闇に太陽が優しく照らすように、別荘で働くグレイズの人々の心をほぐしていく。


「ヨソモノは信用できない。」


「そりゃ無理よ。だって〝ヨソモノ〟は物、なんでしょ?私は貴方と同じ人間よ?」


 時に茶目っ気たっぷりなユーモアをかまし。


「まだこんなにも仕事が残ってるなんて、やっぱり使えないのね。」


「恐れながらメイド長。これは執事のアルドさんからの依頼なんです。その他の仕事は全て終わっております。」


「なっ…………。」


「メイド長のお好きな紅茶も準備出来ていますよ。すぐに執務室までお届け致しますわ。」


 時に言葉の刃をスルリと交わし紅茶に変えて。

 メモリアは次第とグレイズの町に受け入れられていった。


「メモリア、本当にこんな納屋でいいの?」


「ええ。私、孤児院育ちだから一人の空間って憧れがあるの。この納屋は小さいけど綺麗にすれば全然住めるようになるわ。」


「貴方がいいなら、それでいいわ。」


「ええ。手伝ってくれてありがとう。」


 古い価値観に凝り固まったメイド長や大人連中はともかく、歳が近いメイド達はすっかりメモリアの味方だ。


 汚かった納屋は念入りに掃除して、他のメイド達が家具の手配を手伝ってくれたこともあり、徐々に改造された納屋は小さな小さな一軒家に変身した。


「何か必要なら実家から持って来るから言ってね。」


 去って行くメイド達に笑顔で手を振った。なのに心は雨模様で。それはたぶん、最後の言葉に引っかかったのだ。


――実家、か……。

――帰る家があるってどんな気持ちなんだろう?


 その日の夜。

 フカフカのベッドに寝転んだメモリアは少し感傷的になっていた。


――夜は怖い……。また捨てられてしまいそうで。


 一人になるとどうしてもあの病院で待っていた時の気持ちになる。色々と思い出してしまう。

 それでも時間は進んでいくのだから、生きていかなくては。早く慣れてしまわなくては。自分に言い聞かせる。


――もう両親を想うのは止めにすると決めたんだ。


 豊かな自然と微かに香る初夏の匂いに抱かれメモリアは眠りに着いた。


 

 それからも忙しい日々は続き、仕事にも大分慣れて更に数日がたった頃。気候も暖かいから暑いに変わり、別荘の模様替えもやっと終わりが見えてきた。そんなある夕方のこと。


 別荘の扉を叩く不思議な客人が現れた。

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