第3話

 俺はこの熱に浮かされた勢いのまま、花丸芸能社が主催する芸能養成所「花丸塾」のパンフレットを取り寄せし、その次の春にはその門を叩いた。ばかすか貯まっていた貯金から崩した40万円と共に。

 

 ただ、入るには面接が必要で、そこでまさか面白いことやれと無茶振りされると思わず、しどろもどろに漫談をしてみる。

 どうにか自分のつまらない人生から切り取った面白かった事を話した。

 

 面接官は「君はツッコミ向きかもね」とぽつりと言ったあと、後日結果を郵送するとその日は終わり、どうにか合格はした。

 田中さんに合格した話をすると、「そりゃ即金60万用意出来るカモを逃さないから」と肩をすくめられた。

 

 そして、待ちに待った入塾する日。

 

 花丸芸能社が持っている劇場の一つである「東京春爛漫ホール」に俺はいた。学校は何でもいいと聞いていたので、随分前にイベントの仕事をするために買った草臥れたスーツを着ている。

 

 まだ若々しい子達や少し年上やいろんな人種がいる中、草臥れたスーツの俺の隣りに座った男が、小松七緒こまつななおという男だった。

 髪の毛をオールバックにし、ガチガチのポマードで固め、きっちりとしたスリーピースのスーツ。随分高そうだが、えらくカッチリしすぎている。そして、なによりも、男の風貌がやばかった。ちらりと隣を盗み見る。目は黒く淀んで死んだようで鋭い眼光、少しコケた頬、なによりもキツイタバコの匂い。そして、細身なのに確実に自分よりでけぇ背と肩幅。

 絶対、カタギじゃないだろ。

 

 残念なことに彼の隣はすぐ通路で、俺だけが彼の隣に座っている。席は決められてるため動くこともできない。おいおいどうすんだよ。緊張しないと思ったのに、引き攣りそうになる気持ちをこらえて、縮こまっていると、ふいに彼がこちらを見た気がした。

 

「すみません」

 

 関西弁の独特なイントネーション。思ったよりも優しげな声に思わず振り返ると、彼はにっこりと笑ってた。

 

「隣同士なんで、よければ話しませんか? 俺こっち来たばっかで、友達いないんですよ」

 

 少し辿々しい標準語。多分だが、俺に配慮してくれてるのかもしれない。そして、コミュ障気味の俺もまた友達はほとんどいないので、なんだかその心細さもわかる気がした。

 

「ああ、俺で良ければ。俺、矢吹真太郎って言います。しんは真実の真です」

「矢吹真太郎さんですね、小松七緒って言います。女みたいな名前でしょ? 七つの情緒って漢字は覚えてください」

「いやいや、俺なんてヤブなんか真なんかわからんって言われるんですよ」

「ああ、それは上手いこと言いますねぇ。お互い名前にインパクトあるのは芸人としては特ですねぇ」

「確かに、七緒なんて同じ響きの女優さん居ますしね」

「そうなんですよ、テレビ出た次の日はいじられいじられ……」

 

 思ったよりも、イイヤツかも。話しやすくて、見た目に反した柔らかいボイス、なによりも話のテンポがとても良い。息するように話が続くこの時間が、とても楽しい。

 入塾式が始まれば、一度会話は止まるが、休憩の時も、その後のお昼も、結局俺たちは二人で過ごしていた。

 

 そこから、漫才コンビを組むまでも早かった。七緒もまた、千両漫才を見て、芸人になろうと思ったらしい。気づいたら、ブラック会社退職して、入塾の面接行ったと言っていた。

 

 なんかやるかと、この見た目生かしてインテリヤクザ一発ネタやったら、受かったと言っていた。

 

「よく見るVシネ、真似したら意外とウケたんですよ〜」

「そうなんですね、今度見せてくださいよ」

 

 そんな軽口を叩けるくらいに仲良くなっていたら、初めてのネタ見せ日を言われた。ネタ見せかあ、ちらりと隣りに座った七緒を見ると、七緒は「このあとコーヒーしばきません?」と言われて、気付いたら隣駅の喫茶店に入っていた。

 

「俺と、コンビ組みましょう」

 

 席についてそうそう、コーヒーを頼む前に、七緒は俺を誘ってきた。今でも覚えてる。あいつが余裕を無くした少ない場面の一つだ。

 

「俺も、そう思ってたところです。宜しくお願いします」

 

 俺は勿論即答でその提案を受け入れた。なにより、俺も言おうと思ってた言葉だったからだ。期待通りだっただろう返事に七緒は心底ほっとしたのか、「良かったわぁ」とつぶやくと、はっとした顔でウエイトレスを呼んだ。

 

「すんません、冷コー一つ。あ、矢吹さん何します?」

「あ、アイスミルクで」

「アイスミルク……?」

「カフェイン、胃荒れるんで」

「赤ちゃんですか?」

「赤ちゃんじゃねぇよ」

 

 おもわず突っ込めば、七緒は嬉しそうに微笑んだ。そして、これが俺たちの苦しい可笑しい地獄の始まりだったんだと思う。

 

 翌日コンビを組んだことを塾の担任のような教師に報告する。教師が、「一回お互いのネタ見てから決めたほうがいい」とは言われた。

 

 それでもだ、クサいセリフかもしれないけど、これは運命だと俺は思ってしまった。

 

 実はコンビ名は決めていた。あの喫茶店で二人が食ったやつ。まさか、メニュー見て、お互いナポリタンを選ぶとは思わず、「これは運命だ」と俺がコンビ名にゴリ推ししたのだ。

 

 そんな折で、最初のネタ見せの授業は散々だった。

 

 誰も笑わない空間で漫才をした結果、言われた言葉はたった一つ。

 

「出落ちのコンビ名付けんな」

 

 ネタではなく、そこかよ。出鼻挫かれた気持ちだ。あまりにも恥ずかしい指摘に俺はただ俯向いて、元のいた場所に戻る。よく周りを見れば、少しばかり嘲笑ったような顔で俺たちを見ていた。

 

 しかも、この授業の後、先生の手伝いという名目で来てる今年卒業した一期上の先輩に捕まる羽目になった。

 

「早まったな、まだ芸人にも成れてないのにコンビ名付けるとか頭おかしいわ。しかもナポリタンって、自分ら鏡見たか? そんなポップな面ちゃうやろ。ネタもおもろないし、しっかりしろや」

 

 あまりの言いように言葉を詰まらせた俺と、即座に「すみません、作法がわからんもんで、もっと精進します」と返せる七緒。アイツはこの頃から肝が座っていた。そんな俺、七緒の言葉を聞いて、自分もなんとか眼の前の先輩に頭を下げる程度の男だった。それでもモヤモヤした気持ちは残った。

 

 この人のネタ見たことないのに、なんでこんな偉そうに。

 

 満足したように去っていく先輩の背中を、ただ恨めしく睨むしかできない俺は、本当に小さい人間だった。

 

 次の日から、コンビ名を名乗るのは辞めた。

 寝て目覚めて、たしかに俺らナポリタンって顔じゃないわ、って朝一番に反省した。

 七緒にもそう謝れば、「まあ他にいいの無かったらそれにしような」と大人の対応を食らわされた。正直、こいつが俺と同じ二十歳だなんて、信じたくない。

 

 それからもネタ見せでは基本ダメ出しされ、他の授業はそこそこ、大喜利も七緒は尖りすぎで、自分は平凡過ぎで怒られ、気付いたらそこそこの落ちこぼれとなっていた。

 そんな面白くない俺達に、近づいてくるやつは殆ど居らず、他の優等生たちの周りには人集りが出来ていた。あいつらはコントが面白い、あいつは人気漫画での一発ネタがやばい、あいつはスピーディーな漫才で既にテレビに出る予定。

 

 華やかな連中たちとは違い、浮いてる自分らは基本二人行動。喫煙所でタバコを吸う七緒の横に居座り、ただ駄弁ってることしかできない。

 

「なあ、うちの親やばいって話したっけ?」

「そうなん?」

「やばいのよ、なんか生き神様つーの? に生活費まで使って、しかも土日は近所に布教。俺が中二の時にいきなり入信したもんだから、中二病の俺にはきつかったわ〜。しかも、元締めがやばい奴ららしくてさ、今は高校卒業とともに家出たから関係ないけど」

「へえ、まあ、俺も親やばいねん。なんちゅーか言葉より先に手とかなんやブツとか飛んでくるしなあ。命足りんかもと思って、家と金だけ貰って出てったわ」

「いえ、凄! 土地持ち?」

「小さなマンションやけどな」

 

 タバコの灰を灰皿にたんたんと落とす。ギリギリまで短くなった煙草をまた口に運ぶ姿を見るに、そこまで金はあるわけではないのだろう。

 

 そんな感じで、毎日を不真面目に過ごしてきた俺たちは、気づけば落ちこぼれのまま、塾を卒業することになってしまった。

 勿論、優秀な生徒しか上がれない卒業ライブは上がれるわけもなく、静かに観客側で見ていることしか出来なかった。

 

 

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