第2話

 俺は、矢吹真太郎やぶきしんたろう。ヤブなのか、真なのかと謎の名前だ。

 こうなったのも、元々は生まれたときは佐々木真太郎という名前だったから。

 それが、嫁姑問題やら相続問題やらいろんな問題が悪化した末に両親が離婚。俺は当時小6であり次男だったため、あのクソみたいな長男教なジジババとは別れを告げて、母親の旧姓を名乗ってる次第だ。

 ちなみに、当時長男である中ニの兄はジジババに染め上げられてしまい、学校の成績だけは良い傍若無人の鬼であり、勿論のごとくあの糞な家に残っていた。

 

 母親はなんとか養育費と、パートで俺を育て上げ、どうにかこうにか高校生まで育ててくれた。

 しかし、育ててもらって申し訳ないが、正直この母親も少し問題があったが。

 

 そんな俺は最終的に、新しい家族を作った母親から逃げるように家を出て、金無し貧乏フリーター生活。郊外にある来たねぇ共同トイレのボロアパートとその近くの激安チェーン居酒屋を行き来する生活。まあ、金を使う趣味はないのに、シフトと拘束時間だけは増えたせいか、ばかすか貯金だけは増えているけれど、それを元手になにかする気持ちはない。前例があるし。

 

 貯まる一方の金を眺めて、これをどうしようか悩んでいたそんな時だった。本部の連中からの命令で、客層悪くて汚い居酒屋に大きなテレビを付けることになった。うちの店の近くにサービスが売りの競合他社の店が出来たからだろう。安さはうちが上ではあるが、少し小金持ちの客なら、こんな安いだけの店より少しでもサービスがいい店に行くだろう。

 しかも、再開発でなにかでかいショッピングモールと住宅街もできると噂だ。

 今のうちにできる対策はしたくて、まずは単純にテレビを付けることにしたらしい。

 

 それよりも、飯のクオリティあげるか、店の中綺麗にするか、役立たずの店長の首切れと思うが、現場平日ど真ん中のアイドリングタイムにちらっとやってきた本部の人間が考えることはこれくらいなのだろう。

 店長は何も考えず、テレビ付けるのだけ立ち会って、今日もまた忙しいと裏にこもるだけだろうし。知ってるぞ、てめぇがよくわからん携帯ゲームに嵌ってること。Flashゲームとかわけわからんもんやってる場合じゃねぇんだよ。

 と、思いはするが、必死に飲み込んで、ヘコヘコ仕事する。この当たりじゃ、賄い付き950円は高い時給だ。

 やはり自分の時間に値段を付けるならば、高い方が良い。

 

 ぐだぐだとそんなことを考えながら、今日もまた当てもなくテレビを付ける。どのチャンネルがいいかは、その日のバイトリーダーと客次第。俺はだるいから適当につけたままのチャンネルを流すけども。

 

 その日は、なにかが違かった。十二月半ばの日曜日。バイトリーダーの俺に、夕方シフトの新人バイトである女子大生の田中さんが「今日はテンちゃんにしません?」とお願いしてきた。俺は客席を見渡し、誰もテレビを気にしていないのを確認すると、天道テレビ(テンちゃん)を見るためにリモコンの10のボタンを押下する。

 

 すると、有名な芸人が畏まったタキシードを来ているCMが流れた。

 

「千両漫才2001、決戦の日が訪れました。今日千両漫才師が誕生します。泣いて笑って漫才師の真剣勝負。現代の千両、一千万を手にするのは誰だ! チャンネルはそのままで」

 

 千両漫才師。初めて聞く単語だ。

 不思議そうにそのテレビ画面を眺めていると、一緒に見ていた田中さんが「サクラザカ出るらしくて気になってたんです〜」と言い始めた。

 

「サクラザカ?」

「はい! 私の大好きな漫才コンビなんです〜最近ちょこちょこテレビ出てますよ矢吹さん見ないんですか?」

「見ないかな、テレビ家ないし」

「まじですか!! やば!!」

 

 楽しそうに笑う田中さんは、仕事しつつもテレビをちらちらと見ている。こりゃ、チャンネル替えないほうが良かったか? と後悔したが、すでにテレビを気にしているため替えることはできそうにない。

 客のオーダーを聞きつつ、カウンターで調理をしていると、田中さんが話しかけてきた。

 

「サクラザカ、あの人たちです。片方イケメンじゃないですか?」

 

 テレビを指差す姿に呆れつつ、目を向ければ、そこにはスーツを着た少し軽そうな茶髪のイケメン風と小太りの男が映っている。最近人気な女優から質問され、小太りのほうが真っ先に答えた。

 

「ええ、まあこの日のためにカンタチキンでこの腹ビッグに育てましたわ! 優勝せんくても、CMお待ちしてます!」

「アホッ、胡麻摺り逆効果すぎる!」

 

 楽しそうに腹を撫でる小太りに、イケメン風がすぐさま言葉を返した。

 

「カタチキゴマシェイク発売中」

「もうええねん!! サクラザカ、優勝目指して頑張ります」

 

 台本にあったのだろうかと思うほど軽快な二人。マイクを向けていた女優さんは「はい、サクラザカのお二人でした〜優勝したらCM決定ですからね、頑張ってください」と変わらない笑顔で返すと、サクラザカのとなりに移動する。

「隣りにいるバグパッチの二人はどうですか?」

 視界に促されるようにカメラに映ったサクラザカの隣りに座っていたコンビは、見た目はうだつの上がらなそうなサラリーマン二人組のように見える。その眼鏡をかけている方にマイクを向ければ、その飄々とした雰囲気のまま口を開いた。

 

「テレビ初めてで、緊張でここがどこだか忘れました」

「忘れるなよ! テレビだぞ!」

「とりあえず、頑張って炒飯作ります」

「いやなんの番組だよ!」

 

 先程のパワープレイとは違い、飄々とした雰囲気のままのフザケタコトを言う事に対して、軽快にそれに対して反応する。そのやり取りは自分にとって新鮮なものだった。

 

「ハハハッ!」

 

 ふと気づけば、お店の誰もかもがテレビを気にして、そちらに目を向ける。客の何人かが楽しそうに声を堪えて、声を出して、声を漏らして笑っている。

 

「サクラザカ、トップバッターなんですよ。あと今出てるバグパッチは芸歴一年のニューカマーで、ああ、このあと楽しみ! 百合山根は今回唯一の男女コンビ!」

 

 田中さんは興奮気味に語り、説明してくれる。今まで熱狂的なものに遭遇したことのなかった俺にとっては、なんだかとても新鮮な気持だった。サッカーや野球、格闘技、色々なものを流したけれど、興味なく、正直見てもない。

 けれど、今日だけは違う今日だけは何かが違う。

 

 テレビから目が離せない。なんとかオーダーは熟すが、いつもなら合間に明日の仕込み等をするのに、そんなことは夜に残って善意でやればいいと放棄して。

 

 テレビから流れる漫才というものに目が釘付けになる。

 

 サクラザカは、イケメン風の日常会話を、その横で小太りが茶化し続ける。

 

「女の子が声かけてくるんですよ、お兄さん」

「芋けんぴついてますよ! きらっ!」

「やめい! 芋けんぴどうやって着けんねん!」

「そしたら、大学芋にしとく?」

「余計わからんわ!!!」

 

 どっと湧く店内。いつもなら疎らでちょい飲みで出ていくカウンターの頑固爺も、ちびちびと酒を飲みながらテレビを見て笑ってる。

 

 百合山根は、交互にふざけ合うような形である。

 

「男は、赤フン草履で外出れるやろ!!! こっちは顔にも粉つけなあかんねん!!!」

「メイクって言え! そして、男でも赤フン草履は捕まるわ! せめて、ブラつけさせてくれ!」

「いや、赤フンブラとかもっと通報もんやろ!」

 

 次のバグパッチは、どういう漫才だ。競り上がりからワクワクしながら待つ。BGMとともに四角いマイクの前へと歩く二人を待つ。

 

「どうもバグパッチの、パッチ担当雀宮です。こちらはバグ担当の場口ですよろしくおねがいします」

「いや、意味わからん。どうもバグパッチですよろしくおねがいします」

 

「インサイダー取引って知ってます?」

「ああ、知ってる知ってる」

「おお、じゃあ教えてくれます? 僕知らないんで」

「え」

「え?」

「こういうのは君が知ってる流れじゃないの?」

「その……思い込みは損しますよ」

「いやなんでよ。思い込んでも仕方ないだろ」

 

 すごい、すごい。

 面白い。

 

 面白いだけではなく、一つ一つの漫才というものがガツっとくる。そして、審査員と呼ばれる有名な芸人やエンターテイナーたちが、この漫才に審査員一人百両までで値段をつける。

 

 俺はその一人一人、見覚えがあった。

 

 この人はCMでよく見た。この人は昼の番組の司会をしてる。この人は祖父が大好きな番組の初代司会者だったはず。

 

 採点もまた面白い。

 

「ハマらなかったですね、会場に爆発がなかった」

「天丼は飽きますね、もっと飽きさせない工夫が必要」

 

 キツイ言葉。けれど、そのキツさがこの勝負に拍車をかけている。

 

 目を見開き、ただただ初めての面白さに前のめりで食らいつく。

 

 気付ば、あっという間に終わっていた。

 

 テレビ画面いっぱいに小判が舞い、その中で千両漫才師が肩を抱き合い泣いている。

 

 初代千両漫才師は、サクラザカ。

 

 バグパッチは最終決戦で破れたが、一つ一つのネタの鋭さは鋭角で、記憶に残ったのはそっちだと俺は思っている。心のなかでいろんな言葉が溢れる。いつもはしないオーダーミスの凡ミスもしてしまうほどに、自分の意識は全てテレビへと向けられていた。

 

 ああ、人生で初めて、だった。テレビがこんなにも彩り溢れているものだと思ったのは。そして、初めて渇望した。自分もあの舞台で、漫才できたらどんなに楽しいのか。つまらない俺でも、笑ってもらえるのだろうか。閉店後も居座っていた最後の客をなんとか叩き出したあと、箸袋に箸を入れながらそんなことをずっとぐるぐると考える。

 

「矢吹さん、こっちのセット終わりました。あと、なにか残ってますか?」

 

「なあ、田中さん」

「矢吹さん、どうしました。そんな改まって」

 

「芸人って、どうやってなるの?」

 

「え?」

 

 田中さんが素っ頓狂な顔でこちらを見る。自分も何を言ってるんだろうかと思った。

 でも、心から溢れた何かは既に自分から正気を失わせていた。

 多分、俺が今求めてる答えは、田中さんが一番知ってるはずだから。だから、この質問を彼女にするのは正しいはず。

 

 田中さんは少し戸惑った後、口を開いた。

 

「芸人の、養成所じゃないですかね? とりあえず」

 

 芸人の養成所。今まで、俺の中になかった言葉が、酷く脳に焼き付いた瞬間だった。

 

 

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