4月12日
【調査委員会による注釈】
魔術の応用として、かつては魔術符と呼ばれる木片が使用されていたようです。
これは専門の訓練を受けた魔術士が、その者の魔術の力の一部を呪文を書いた木片に込めることで、その木片が破損しない限り半永久的にその力を発揮し続けるというものです。人はその木片を持ち歩くことで特定の魔術の力を得続けることができます。また、普通の魔術と違い魔術符の力の元では「痕跡」の確認はできません。人々は魔術符を服に縫い付けたり、首から下げたりして使用していたようです。
ただし、ごく簡単な魔術しか込めることが出来ないため、通常の魔術では可能な傷の治癒や攻撃は不可能です。夜の灯りや、野生動物除けなどの用途として使用されることが一般的だったようです。
—以下、古文書本文—
4月12日
今日は馬に乗って王子と一緒に王都トイヴォの郊外の森へと出かけた。護衛としてキルカス大佐とイスパハルの高名な剣士であるというシズ・アトレイド中佐も一緒だ。
王子は一緒に馬に乗るかと聞かれたけど、私は絶対に一人で乗る方が好きだから断った。
イスパハルは国土の大半を森が占める。それ故に古来から森自体が信仰の対象となっている大切な存在だから、王子はぜひそれを見せたいとのこと。
王子達とそっと踏み入れた春の森は小さな草花や木々の生命力に溢れていて、人間だけでなくて植物も動物も小さな虫たちも、全部が全部春を迎えられた嬉しさを放っていた。
アイデリアはここよりもっと寒いし、小さな島だからこんなに大きな森は無いんだ。
白い幹の木は白樺と言って、これが普通らしい。白いから凍っているのかと思って私がそっと幹に触れると王子は笑っていた。
こんなに優しい力に満ちた森に来たのは生まれて初めてだった。
正直「森を信仰する」というのが一体どういうことなのかピンと来てなかったけれど、何だか少しだけ分かった気がする。柔らかな新芽をかざす木漏れ日に包まれると暖かくて、誰かが優しく抱きしめてくれてるみたいだった。
以下に王子に聞いた、信仰の話を書いておく。
イスパハルでは新たな生命は森から生まれ、死して森へ還っていくという考え方から、森からの恵みは全て神や先祖からの贈り物であるされている。それ故、過度に森から採集しない、森では非道徳的な行いをすべきでないという考え方が人々に根付いている。
森に棲むと考えられている三人の姉妹の女神クルタ←金、ターティ←星、ウニ←夢が具象的な信仰対象として存在しており、女神がそれぞれ過去、現代、未来を司るとされている。
また、世界の多くの信仰形態では男女の神両方が存在するのに対し、イスパハルでの信仰には女神のみが存在している。これは森自体が男性的な神の暗喩であるかららしい。
また、その信仰ゆえにイスパハルでは墓地は必ず森の中に作られる。教会も古くは深い森の中に建てられることが多かったが、近年は利便性を重視されて都市部に作られることが多いらしい。
魔術士が少ないこともあり、イスパハルでは魔術符は生活必需品として使われている。主な用途は森への採集の際の野生動物除け。
魔術符には狩のためとして動物をおびき寄せる術も込められるけど、イスパハルでは動物や森の神に対して公平ではないとして殆ど使われないらしい。
アイデリアでは狩猟で動物を呼ぶのに魔術符は絶対使うから、考え方がすごく違う。私はつい王子にその事を話して、言った直後に私はすごく後悔した。だってそれはイスパハルではほぼ禁忌なのだから、ここで王子の機嫌を損ねたらそれこそ外交問題になってしまう。
私が慌てて謝ったけど、王子は別に何も気にしていないみたいににこにこしていた。なぜ怒らないのか理由を聞くと、王子は魔術の勉強をするために魔術で有名なタイカ王国に暫く留学していたらしい。タイカには世界中からいろんな国から来た人がいたから色んな考え方の人がいることに慣れてるんだって。「それってすごい。私もそんな風に考えられるようになりたい」と言ったら、王子は恥ずかしそうにはにかんで、女王として頑張ってるアリンの方がずっとすごいよ、と言った。そんなこと言われたのは初めてで、何て返したらいいか分からなくて、私は唇を噛んで黙ってしまった。
褒めてもらったんだから何か言えば良かったのに。何で。ものすごく後悔している。
王子が話の途中で、「アリンの背中の弓は普段使うの?」と失礼な事を聞いてきたので、私は黙って弓を構えて矢を放ち、五本連続で白樺の木の幹の同じ位置を射抜いてやった。王子は子供みたいに手を叩いて、すごい!と騒いだ。王子が教えて欲しいというので手ほどきした。初めて弓を触った割には筋はいいけど流石に今日だけじゃ上手くなるのは無理だ。
だって私はメア姉さんやイリンシとは違って長所が全然無いから、弓だけはすごくすごく練習したのだ。これだけはアイデリアで一番だ。私はその話をすると、アリンは本当に頑張ってる。すごくかっこいいよと言った。私はまた黙るしか出来なかった。
その後王子から留学中に見たものや聞いたもののことをずっと話してもらっていて、気がついたら日が暮れ始めていた。キルカス大佐とアトレイド中佐にすごく申し訳なさそうにたしなめられて王都に戻ることになった。
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