おまけ ……目が覚めたら、義兄はいなかった。

「……お目覚めですか?」


 朝方まで起きていたため、ぐっすり眠ってしまったらしい。目を覚ましたら、太陽は真上より少し傾いているようだ。


「おはよう。お義兄様は、もうお戻りかしら?」


 私の問いかけに、侍女は首を横に振り、まだ帰ってきていていないという。朝から父と出かけると言っていたから、そろそろ帰ってくる頃だろうと思っていたが、当てが外れたようだった。


「目が覚めたから、お菓子でも作ろうかしら? お義兄様もお父様も昨夜からずっと私のために動いてくださっているのですもの」

「それはいいですね! 喜ばれます。私もお手伝いします」


 侍女が厨房で話をつけてくれるというので、私もメイドに手伝ってもらい着替え厨房へと急いだ。

 廊下を歩いていたとき、ふんわり香る薔薇の匂いが、とても心を落ち着かせてくれる。


「お義兄様にいただいた香油、とてもいい香りなのですけど……」


 体から香る薔薇の匂いに頬をほんのり赤らめ、恥ずかしくなった。


 ……お義兄様が、昔くださったとても香りのいい薔薇から作られているのよね。お義兄様に初めて抱きしめられた記憶と香りが結びついているのを知っていて、わざとプレゼントしてくださったのかしら?


 義兄へ恨めしい気持ちになりながら、厨房に足を運べば、お菓子作りの準備は整っていた。クッキーを作るようで、料理長も手が空いているからと一緒に作るようだ。甘いクッキーをたくさん焼き終わったころ、玄関に馬車のついた音が聞こえてきた。私は急いで、義兄に渡すクッキーを小さなカゴに入れて、玄関へ迎えに行く。


「おかえりなさい! お父様。お義兄様はどこですか?」


 玄関へ着いてから、執事に話をしていた父。その傍らにいるはずの義兄の姿がなく、思わず父に尋ねる。一緒に出掛けたはずなのに、どうしたのだろうか? と思っていたら、父は執事との話を切り上げた。執務室へ来るように言われ、父の後を追うようについていく。


「座りなさい。少し、今日の顛末の話をしよう」


「お願いします」と言えば、父は頷いた。いつもと雰囲気が違うように感じたのは、城へ行っていたからだろうか。神妙な面持ちの父の次の言葉を待った。


「今朝方まで書いていたレオナルドへの慰謝料や迷惑料の件だが、方がついたからもう安心だ。ジャスのおかげで、こちらの思うように話も進んだことは、大変喜ばしい」

「そうでしたか。さすがお義兄様です!」


 父から義兄への褒め言葉を聞いて、国王に勝ち誇ったような表情の義兄を思い浮かべた。


 お義兄様なら、うまく私の要望を叶えてくださるはずだもの。


 今までの義兄が私のために動いてくれたことは、両の手では数え切れないほどある。王太子との婚約をしていても変わらず、私を陰日向から支えてくれていた。


「ところで、ずっと気になっていたのですが、お義兄様はどこでしょう? お礼をいいたく……」

「ジャスはしばらく、帰ってこない。この屋敷を出禁にした。別宅で暮らすことになる」

「……しばらくって、どれくらいですか? 出禁だなんて……! 私、お義兄様とお話ししたいことがたくさんあります」

「……どれくらいか。そうだな。次に会うのは、しばらく先。いろいろなことが済んだあととなるから、早くても、レオナルドとアリーの婚約破棄が成立した日になるだろう」

「そんなの嫌です! お義兄様は、別宅にいるのですね!」


 私は立ち上がり、部屋を出ようとしたところで、「アルメリア」と名を呼ばれた。いつもと違う父の声音に振り返ると、なんとも形容しがたい表情が浮かんでいた。


 ……お父様とお義兄様に何があったの? 私が、眠っているあいだに。お義兄様と離れないといけないだなんて!


 止める父を睨み、ドアノブに手をかける。


「アルメリア、しばらくは、自重しなさい。話しておかないといけないことがあるから、戻るんだ!」


 普段の父からは想像できないほどの強い言葉に、一瞬、従おうと振り向きかけたが、帰ってこない義兄のことを想うといてもたってもいられなかった。


「お父様、見損ないました! お義兄様を追い出すだなんて、ひどいではありませんか!」


 今朝まで一緒にいたはずの義兄と急に離されたことが不安でもあり、父への不満も溢れてしまった。再度、呼び止められたが振り返らず、勢いよくドアを開け、足早に玄関に向かう。途中で、メイドに会ったので、馬車の手配を頼むと父が城から帰ってきたときに乗っていた馬車を用意された。馬車の中は、義兄がくれた薔薇の香油の香りがふわっとして、今しがたまで、ここに義兄が乗っていたのではないだろうかと想像する。


 ……お父様、どうしてお義兄様を。


 馬車に別宅へ向かうよう伝えると、侍女が慌てて焼いたばかりのクッキーを持たせてくれる。


 待っていてくださいね! 今度は、私が、お父様になんと言われようとも、お義兄様を連れ戻してみせますから。


 クッキーの入ったバスケットを握りしめ、別宅までの道のりをまだかまだかと焦る気持ちを抑えていた。



 別宅へ行くと、義兄の従者であるグレンが出迎えてくれた。困ったような表情で、「通すわけにはいかない」と頑なに玄関で止められてしまう。


「どうしてダメなの? お義兄様に会うだけなのに」

「公爵様に、ジャスティス様との面会は禁止されませんでしたか?」

「それは……」


 眉尻を下げて私を見つめるグレンは、家を飛び出してきたことをわかっているのだろう。


 いつもはお義兄様がとんできてくれていたのに……。


 真っ直ぐ前を見ていられず、項垂れる。昨日の今日で、義兄と離れ離れになるだなんて思ってもみなかったのだ。

 頭の上から、それはそれは盛大なため息が降ってきた。グレンの呟きは、従者としてもっともだろう。


「あのジャスティス様あってのアルメリアお嬢様……似なくていいところを本当に……」

「……えっと、あの!」


 俯いていた顔を上げる。グレンの小言は、特別にと言っているようで、伺うように見上げた。


「ジャスティス様は、徹夜明けで今はお休みしています。夕方には目を覚ますと思いますが、それまでに目を覚まさなければ、お帰りいただけますか?」

「えぇ、もちろん!」


 グレンの許しが出て、ジャスティスの元へ向かった。昨日までとは違い、別宅の廊下を歩いていると、義兄とは別の人に会いに行くようで、急に緊張しバスケットを持つ手が微かに震える。


「大丈夫ですか?」

「えぇ、大丈夫。お義兄様は、これからここで生活することになるの?」

「公爵様からは、そのように。婚約破棄をされるアルメリアお嬢様とは、血のつながらない方ですから、ご一緒にいれば、お互い外聞も良くないですから」

「……気にしないのに」

「それでは、ダメなのですよ。あなたは聖女ですから、もっと、ご自身の立場をお考えください。それに、今は話せませんが、ジャスティス様にも事情があります。今日は特別に通しますが、次回はないと思いください」


 ピシャリと言い切ったグレンの背中を恨めしく睨む。


 お義兄様とやっと一緒にいられるようになるのに、どうして、お父様もグレンも側にいてはダメだと言うの?

 他人なら、なおのこと。婚約破棄をされたのだから、私は、公爵家から出るつもりはないのだけど……。


 寝室のドアを開けられ中に入ると、規則正しい寝息が聞こえてくる。近くに行って覗き込んでも、疲れているからか義兄は目を覚まさなかった。

 こちらにと置いてくれた椅子にかけ、義兄の顔をマジマジと見た。


 お義兄様。


 口には出さず、そっと頬に触れると、猫のように擦り寄ってくる。グレンは、気を利かせてくれたのか、外に出て行った。


 こんな日が来るとは思いもしませんでした。お義兄様が私の側を離れるなんて。

 ……寂しい。


 義兄の頬から手を離すと、部屋を見渡す。ここは、公爵家の義兄の部屋と同じ配置に家具がなっている。

 いつからこの部屋は、整えられていたのだろうか? まるで、義兄だけが揃っていなかったと言わんばかりの部屋。

 本棚に近づけば、よく目にしていた本ばかり。気に入っていると、何度も読み直していた本を手にして戻った。

 勧められて読んだ本。目で文章を追っていくが、滑っていくだけだ。不安だけが大きくなって、怖くなってきた。



 義兄が目を覚ました。私がきてからも長い時間、眠っていたのに、ぼんやりと開かれた金色の瞳に見つめられると、先ほどまであった大きな不安は飛んでいく。


 とても驚いた顔をしながら、微妙な表情をする。私の知らないことを父と話し合ったのだろうことは、表情を見ればわかった。

 「今すぐ帰るよう」に言われ、「屋敷には来ないで欲しい」と言われれば、いよいよ胸が苦しくなるだろう。

 惨めに抵抗してみても、困った表情をするだろう義兄。


 お義兄様のことをとても大切に想っているのに、困らせてしまうかしら。幼かったあの日から、胸の奥深くに隠してきた。

 でも、今更、一人の女の子として見てとは言えないわ。私、レオナルド様に婚約破棄されたのですもの。お義兄様の足枷には、なりたくないな。


 義兄の顔を真っ直ぐ見返すのが怖くなる。拒絶されてしまうことが、何よりも辛かった。

 寝室に入る前、グレンが「本調子ではない」と言っていたが、ふらつく義兄を見て嘘ではなかったのだろう。

 疲れているのであろう義兄が、子どもぽいことをする私を嗜めてくれるのかと思ったが違った。私への恋慕を口にする義兄に驚く。


 ……そんなそぶり。だから、みなが、お義兄様と会うことを許さなかったの?

 そんなっ! そんなことって……!


 義兄の想いを聞いて、嬉しい反面、戸惑った。私も1人の女の子としてみてほしかったはずなのに、政治の駒として扱われることの多い令嬢。婚約破棄をされた私は、私を公爵令嬢たらしめるもの全てに傷を負っている。それなのに、今度は義兄から『特別』だと言われ、胸は高鳴った。

 ただ、整理ができず、言葉にはならなかった。


 やっと、想いが通じたと思ったのに、屋敷に帰るように言われる。帰ってしまったら、グレンは、今度は屋敷に私を入れてくれないとはっきり言われていた。抵抗することも考えたが、表情からして芳しくない義兄の体調をこれ以上悪くするわけにもいかず、引き下がるしかないのかもしれない。


 お義兄様の側にいたいのに!


 何もできない悔しさで唇を噛んだ。愛おしそうにこちらを見て、手首を掴まれ抱き寄せられる。

 今まで、こんなことをされたことがなかったので、ドキドキと胸が早鐘をうつ。

 そっと優しく唇を親指で撫でられると、目を瞑った。義兄からはいつもの香水ではなく、私と同じ薔薇の香油の香りがする。

 優しく触れる初めてのキス。


 ……お義兄様。


 目を開けた瞬間から、私の中で義兄としての支え続けてくれたジャスティスとさよならをした。

 今度は、1人の淑女として、ジャスティスの隣に並び立たなくてはいけない。可愛い義妹は、卒業するときなのだと悟る。


「お義兄様、いままで、ありがとうございました。私の我儘もたくさん聞いてくださり、支えてくださいました。次、会うときは、別の形で、お義兄様と。ごきげんよう、さようなら……お義兄様」

「あぁ、さようなら」


 私の言葉は伝わったのだろうか? 義兄の言葉は、やけに胸に刺さる棘のようだ。


 屋敷帰る馬車の中、辛い気持ちを全部出してしまおう。

 私はおに……、ジャスティス様の隣に相応しい女性になりたいわ。迎えにきてくださる日まで。


 暮れゆく馬車の外を眺め、思い出を大切にしまう。


 約束はしていないけど、ジャスティス様なら、必ず迎えにきてくれる。私の大切な方は、今までもそうだったから。


 屋敷に着いたあと、グレンに送ってくれた礼を言い、義兄のことを頼むとお願いした。


「私のするべきことは、まずは、勝手をしたことへの謝罪ね。お父様、怒っているかしら?」


 重い足取りのまま、父の執務室へと向かう。私の顔を見た瞬間、父は呆れたような表情ののちため息をついた。席にかけるよう言われるので、かしこまって座る。


「クッキー、美味かったよ。ジャスもうまいと言っていただろう?」


 叱られると思っていたにもかかわらず、見透かされていたようで、とても恥ずかしい。

「あの、お父様……」と勇気をもって切りだした。義兄ジャスティスとは、別れてきたのだから。


「アルメリアの気持ちは、もう、決まっているかい?」


 そんな決意を父は微笑み、私とジャスティスの今後の話をしてくれた。それは、幼いころ、夢にまでみたジャスティスとの未来の話であった。

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乙女ゲームに転生したモブの僕は最悪ルート(ハピエン)に爆進した悪役令嬢の義理の兄になったので、可愛い義妹を溺愛したい! 悠月 星花 @reimns0804

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