第10話 5-2.かえるからね
コロナ流行前は毎週やっていた個別外出レクリエーションを復活させることにした。
少し早いのでは、もう少し様子をみては、とのスタッフの声、特に看護師からの声はあったが、この機会を逃すと今度はいつ再開できるか分からないし、コロナ流行二年半で思いを強くしたのは、高齢者が見ている世界、過ごしている時間というのは、現役世代のそれとは異なり、コロナ収束を待っている間にも気力や体力が衰え、死が近付いてくる。
リスク管理を取るか、老人の生きがいを取るかで、リスク管理ばかりを取ってきた気もする。
橋田さんは以前から神社へ行きたがっていた。
行きましょう、と声を掛け、僕が運転して、ベトナムから数ヶ月前に来たばかりの介護人材のフォン君と三人で出掛けることになった。
フォン君も日本へ来てから職場への往復ばかりでどこへも行っていない、と言う。
神社がどういう所なのかよく分かっていないようだったが、行けば分かる、と声を掛けた。
施設から近い神社はかなり歴史が古く、ヤマタノオロチとかスサノオノミコトとかの時代からあると言われているから、学校の歴史で習う事柄を突き抜けている。
戦時中はこうした神話の時代と呼ばれる本当か嘘か分からない時代の出来事をさも事実であったかのように教えていたと言うから驚きだが、橋田さんもそうした教育を受けた世代で、紀元節の日には学校でおまんじゅうをもらった、などの貴重な話を聴かせてくれたことがある。
大きな太い木が何本か生えているのも、神社の古さを再確認させてくれる。
橋田さんは車椅子から大木を見上げたり、木製の鳥居を見つめてため息をついたり、普段とは違ううっとりとした表情をしていたかと思うと、鳥居の木目に話し掛け始めた。
もうすぐ行くからね。かえるからね。
フォン君は、家へ帰る?と問う。
橋田さんはこたえず、鳥居をじっと見ている。
僕はそれ以上尋ねることなく、橋田さんと一緒になって、鳥居の木目を見つめた。
かえるからね 松ヶ崎稲草 @sharm
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