第3話 面倒ごとに関わりたくない気持ち<高級タルトを食べたい欲求
「そうですね。わたしは特に何もしていないので。【幸運を授ける猫】だなんて過大評価ですよ」
そう言って困ったように笑うジェマに、令嬢はほんの少し眉を下げた。
ジェマの返答は望むものではなかったのだろう。ジェマはそれをはっきりと感じ取ったが、面倒な問題を抱えている相手に自ら深入りするほど能天気ではない。令嬢の変化に気付かなかったフリをして、注いだ紅茶を互いの前に置く。
令嬢がジェマの噂を聞いて知っていたように、ジェマもこの令嬢のことをそれなりに知っている。
入学して約半年。その間にジェマが親しくなったご令嬢方から入手した噂だけでも、この素敵なご令嬢が厄介な問題を抱えていることは間違いない。そして、まるで対となるように一緒に語られる相手のことも、ジェマはよく知っている。
「私に特別な力はありませんよ。ただ話を聞いてお茶を飲むだけで良いように変わるなんてことはありえませんし、あっても一個人が気軽に使って良いものでもないでしょう」
運命改変。それは神々の領域だ。
特殊魔法はまるで神々の力のように強力な効果を齎すものもあるが、『幸運を操作する』なんて効果が絶大すぎる。もしジェマにそんな力があったとしたら、こんなところで護衛も付けずにのんびりすることはできないだろう。
ジェマに対してリラックスして微笑む令嬢たちと、そんな彼女たちに惚れ込んだ紳士諸君が頑張ったおかげで無事カップルが成立したなんて小さな話と一緒にしてはならない。――良くも悪くももっと大事になった事件もあったようだが、貴族家同士の事情などジェマは関知していない。それは本当にジェマの
そうよね、と悲しげに微笑んだ令嬢に多少の申し訳なさを感じつつも、ジェマは紅茶を飲み込むことでつい口から出そうになった謝罪の言葉も呑み込んだ。
噂をあてにして突撃してきただけの令嬢に必要以上に謙る必要もない。「じゃあ話だけでも聞いてくれ」と頼まれれば彼女の問題に半分足を踏み入れるようなものだ。彼女には悪いがジェマは何でも屋ではない。義理もなければ仕事でもなく、明らかな地雷を踏み抜きに行く蛮勇も持ち合わせていなかった。
それにしても、とぽちゃぽちゃと角砂糖をおかわりしながら令嬢の憂い気な顔を見上げる。
その綺麗な顎にそっと添えられた指先までが優美で、そこはかとなく丸っこい自分の手にため息を堪えた。もう「ジェマはおててもちっちゃくて可愛いなぁ」とでれでれする父に騙されるほど幼くない。
ジェマは知っている。近所のジョンじぃさんはジェマの父より年上の娘さん相手に今でもでれでれしていることを。父親の可愛いを妄信してはならないのだ。
尻尾でてしんてしんとリズミカルに絨毯を叩くジェマを、黒髪の令嬢は探るような目付きで見ていた。それを敢えて意識の外に置き、ジェマは砂糖がじゃりじゃりする紅茶に眉を顰めて小さく舌を出す。紅茶に溶けきらない砂糖はただの紅茶味の砂糖だ。1人で勝手に頬を膨らませ、ティーカップを睨みつけた。
静かにジェマを観察していた令嬢は、おもむろに後ろに控える男子生徒に視線を送った。
彼は実はずっとそこにいた。ジェマもそのことには気が付いていたが、彼が令嬢の執事見習いであることも知っていたため放置していた。
伯爵令息は手に持っていたバスケットをそっと絨毯に下ろした。令嬢が少しもったいぶるように蓋を開け、中からさらに包まれた箱を取り出す。
「
「効果は保証いたしかねますよ」
「ふふ、充分よ。ありがとう」
ころっと掌を返して甘い香りを放つ箱に目が釘付けになっているジェマに、令嬢はくすくすと屈託なく笑った。
ジェマはさっとカトラリーを用意して「早くくれ!」と言わんばかりのにこにこ笑顔でスタンバイした。そんなジェマに家で飼っているペットの猫の幻視を見た令嬢は、とうとう噴き出して声をあげて笑った。
しかしもうジェマの目にはキラキラ煌めくフルーツタルトしか映っていない。
「美味しそう! 綺麗! 食べ物なのに宝石みたい!」
伯爵令息によって丁寧に切り分けられたそのスイーツは、マグワイア魔導学園のサロン限定スイーツ『マグワイアタルト』。
学園名の由来になったというマグワイアという果物は、手がかかる上に大量生産ができないため流通量が少ない。しかしこの学園では、貴族向けのサロンで数量限定ではあるが惜しみなく販売されている。けれど平民であるジェマが気軽に食べられるお値段ではない。
これは大事件である。
ぱくりと1口分ちんまりと切り分けたタルトを口に入れた。
とろけるような滑らかな舌触りと砂糖とはまた違う甘さに一瞬で虜になり、ジェマはふにゃふにゃした笑みを浮かべた。甘みを抑えたカスタードクリームと、マグワイアの果汁シロップが染み込んだしっとりしたタルト生地を一緒に口に入れるとまた違った味わいとなる。ジェマは目を閉じてその美味しさを噛み締めた。
しかしこれは「お礼」ではなく「先払いの報酬」である。
幸せな気分とこの後の面倒事を憂いた気持ちがごちゃ混ぜになって、ジェマの表情はなんとも言い難いしかめっ面になっていた。
ジェマは紅茶を飲むことすらもったいなくてカップを見つめてしばらく悩んでいた。しかし綺麗なだけの笑みを浮かべている令嬢を見て、諦めを付けるように一気に紅茶を飲み干す。
「……話を聞きましょう」
気乗りはしないが
ジェマの顔には「食べちゃったから」という不本意さがありありと現れていた。
猫はおやつを所望する~話を聞いてほしいならおやつをよこせ~ 夢路すや @yumejisuya
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