第2話 幸運の猫はお気に入りの茶器を自慢する
「あなたが【幸運の猫ちゃん】で合っているかしら」
芝生に横たわりぽかぽかの日光を浴びていた猫獣人は、知らぬ間に閉じかけていた瞼をこじ開け声のした方を見やった。
光が当たると深い青みが露わになる不思議な黒髪が、秋の風に巻き上げられる。すらりとしたその体躯は小柄で華奢な猫獣人のジェマには逆立ちしても手に入らないもので、もはや羨ましいとすら思えないほど完成されていた。
「めがみさまですか……?」
「……ごめんなさい。違うわ」
若い女性にしては少し低めな淑やかな声の持ち主は、その声に劣らず大人びた美人だった。
まだ覚醒しきらないぽやぽやとした間抜け顔を晒しながら、ジェマはのんびりと起き上がる。怒ることもなく待ってくれているご令嬢のために、芝生に敷いた絨毯を整えぽすぽすと叩き着席を促した。
令嬢は未だうとうととしているジェマに苦笑して、それ以上質問を重ねることはなかった。
それを良いことに、ジェマは放置していた魔石コンロで
「これねこちゃん」
「まあ素敵ね」
ジェマの髪と同じ色のティーポットを掲げて、猫耳と尻尾の生えたお気に入りの茶器を自慢した。父と一緒に行った古市で見付けたこのアンティークのティーセットは、残念ながらカップが2組しかなかった。ゆえに誰かと2人だけでお茶会をするとき専用の特別なティーセットにしている。
「これが噂の……」
興味津々と言った様子で可愛い猫のティーセットを矯めつ眇めつ眺めているご令嬢が、初めて年相応の女の子に見えた。それがなんだかとても愛らしくて、ジェマは「んふふ」と小さく笑いを零した。それを自慢の茶器を褒めてもらえたことによる喜びだと判断した令嬢がつられてくすくすと笑う。
そうしてただ少女たちがふわふわと笑う声だけが風に流れていく。お互いに可愛い人だと思ってにこにこしていたことは神のみぞ知る。
☆ ☆ ☆
こぽこぽと水の沸騰する音にだんだん頭が覚醒してきたのを感じ、同時に先ほどの質問を思い出した。ジェマは寝つきは良いがなかなか起きられず、ぼんやりする時間が長いタイプだった。
そういえば、とスカートのご令嬢を下から見上げてしまった件についても合わせて深々と謝罪をする。令嬢のスカートはふくらはぎを覆い隠す長さがあるため、全く中は見えなかったが。
「ええと、なんでしたっけ……。ああ【幸運の猫】か。自分からそう名乗ったことはありませんが『そう呼ばれることがあるか』と問われればYESです」
「二つ名のようなものだと言うことかしら。何か特殊魔法のようなものかと思っていたのだけれど」
茶器を確認するように視線を落としていた令嬢が首を傾げた。それに合わせてさらりと流れる黒髪がなんとも美しい。
同じ仕草をしても、もふっとしたジェマの髪はふわふわと頬を撫でるだけである。ジェマはちょっぴり悔しくなった。
ジェマのお気に入りスポットは『婚約者に冤罪をかけられ裏切られた令嬢が溺れた』という曰くがある。
しかもその婚約者と不貞相手が密会場所にしていたそうだ。その噂の元となった事件については、「自分で自殺を図った」というものや「婚約者や浮気相手に突き落とされた」などと色々な説があるが、令嬢が溺れて婚約が破断になったことは事実らしい。
そのため、溺れた令嬢が女子生徒を湖に引き込む、男子生徒が近付くと不貞を疑われる、などという噂がある曰く付きスポットになってしまっていていつも
平民で恋人にも結婚にも興味がないジェマは、静かで綺麗でラッキーくらいに思ってのんびりお茶や昼寝をしているが。
しかしあるとき、そんなところにわざわざ来て泣いている女子生徒を見つけた。噂通りに湖に引きずり込まれそうなほど憔悴していた令嬢を放っておくことができなくて、ジェマは温かいお茶とおやつを分けてあげた。このお気に入りの可愛い猫のティーセットを使って。
そうしたらその後、元気になったそのご令嬢がうまいこと反撃したらしく、
『あなたのお陰よ。まるで幸運を分けてもらったみたいだわ。ありがとう、素敵な猫ちゃん』
と、お礼にと侯爵家のシェフが作ったという見た目も味も超一流なスイーツと、学用品やお下がりの私服などまで貰ってしまった。
そして気が付いたら貴族のご令嬢や友人には相談できない悩みを抱えた女子生徒が、ぽつぽつとジェマのお気に入りスポットに現れるようになった。
詳しくどういう噂になっているのかジェマは知らなかったが、みなその秘密の大きさに合わせたおやつを持ってきて、後日問題が解決するとまた金銭以外のお礼――お菓子やお下がりなどをくれる。茶器にもジェマにもそんな効果はないはずなのに、なぜかこの撫子色のティーセットで入れたお茶を飲むと幸運が舞い込むという話になっているらしかった。
これが【幸運の猫】の全貌だった。
なおジェマには『幸運を上げる』効果に関わらず、特殊魔法などは使えない。強いて言うならアニマルセラピーであると思っている。
「そうですね、わたしは特に何もしていないので。【幸運を授ける猫】だなんて過大評価ですよ」
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