Chapter 9-6
「君には幻影の姿での僕が世話になったからね! お礼は弾んでおくよ!」
フェンリルは幾つもの氷柱を中空に発生させ、紗悠里へ向けて撃ち込んでいく。怒涛の如く落下してくる氷柱を避け、斬り払い、撃ち落としていく紗悠里の元へ、フェンリルは残った最後の氷柱を蹴り穿ち、
「シュートぉっ!」
回転を加えた渾身の一撃を放つ。大気をふるわせながら迫る氷柱を前に、先に落ちて来た氷柱に対応していた紗悠里は対応が遅れてしまう。直撃は免れないかと思われたその時、突如氷柱はピタリと動きを止めた。
「へぇ」
フェンリルが、口笛混じりに感嘆した。次の瞬間には氷柱は砕け、周囲に破片を撒き散らす。数瞬の出来事であったが、紗悠里は氷柱に数え切れないほどの苦無が突き刺さったのを見た。
更に苦無が一つ、フェンリルへと迫る。これを打ち払ったのは、横合いからフェンリルの前に現れたゴシックドレスの少女――ヘルである。苦無を叩き落とした日傘を広げ、フェンリルの隣に立つ。
「……面白いのがいる。フェン兄様、あれ、私に頂戴」
「訊かなくても好きなもの勝手に持ってっちゃうでしょ、ヘルは」
肩を竦めるフェンリルの言葉に、ヘルは僅かに口元を歪める。
「ご無事ですか、紗悠里さん」
「美里さん……! ありがとうございます。ですが、あやめ様は……」
「大丈夫です。それより、今は――」
紗悠里の隣には黒装束の少女――美里が降り立つ。彼女と言葉を交わす最中、閉じた日傘を振り被ったヘルが、美里の眼前に迫っていた。
美里はこれを両手の苦無を交差させて防ぐ。更に振り上げ、突きと間断なく繰り出される攻撃を、美里は後退しつつ捌いていく。
「美里さん!」
「こちらは大丈夫です!」
「よそ見はやめてほしいなぁ」
美里たちを目で追っていた紗悠里は、不意に耳朶を打った少年の声にハッとする。
「さて、続きを始めよう。君にはあまり力押しというのは意味がないみたいだけど、これはどうかな?」
フェンリルはそう、にこやかに笑みを浮かべてみせた。彼の背後に発生した無数の氷柱は、無尽蔵の機関銃を連想させた。
「僕はこう見えて、やられたらやり返す質なんだよね――ーさあ、君がこれぐらいで死ぬとは思わないけれど、簡単に潰れないでおくれよ?」
と、フェンリルは大きく後方へ飛び退くと、続いて上方へ飛び上がり、氷柱を殴り、蹴り付けては紗悠里へと向けて放つ。まさしく氷柱の機関銃であるそれに、紗悠里は構えを解く。――いや、解かざるを得なかった。
扇空寺流・楯の型『朧』。所謂カウンターを旨とする型を源流とし、特化した剣術として進化させたのが、紗悠里の操る玖珂式である。
いついかなる状況においても、刀さえ握っていれば対応できることを至上命題に置いたこの剣術に、構えという概念は存在しない。その状況に合わせて、最善の動きが取れる体勢を瞬時に取ることを構えと呼ぶと言っても過言ではない。
紗悠里は今、刀を無造作に下げ、更に目を閉じて視界すら遮断した。迫り来る冷気を敏感に感じ取り、オーラを纏わせた刀で次々に斬り落としていく。
「やるね! エインフェリアの力を使いこなしてるじゃないか! 余程相性のいい力だったのかな!」
自らの攻撃の悉くを受け流されながら、フェンリルは嬉々として言う。今の彼には――いや、彼ら元魔にとっては、戦いというものは楽しめるかどうかが最大の焦点なのだろう。それは美里と戦うヘルの様子からも明らかだ。
紗悠里は、フェンリル自らが幻影だと言っていた、銀狼との戦いを思い出す。かの銀狼からは、戦いに対する誇りのようなものを感じた。それを今、目の前の同一人物から感じないのはどういうことか。
戦いの享楽に身を委ねる。それが彼らの本性なのか。だとすれば、この戦い。尚更負ける訳にはいかない。
「なら、これはどうかな!」
フェンリルからのプレッシャーが跳ね上がる。これまでのものより数倍の質量を湛えた氷柱を発生させた彼は、一度着地し、再び地面を蹴る。
そして氷柱を蹴り込み、紗悠里へと吶喊して来たのだ。
対する紗悠里は、プレッシャーに呼応するかのように自身のオーラを倍増させる。意識的にできたのではない。そうしなければ――死ぬ。紗悠里の生存本能がそう判断したのだ。
巨大な氷柱の槍を、紗悠里は刀で真正面から受ける。迸るオーラが火花のように拡散しながら激突する。
「ま、だ、まだあああああああっ!!」
咆哮と共にフェンリルは、空中で回し蹴りを放つ。最後の一押しとばかりに加えられた一撃に、紗悠里はたちまち押し切られてしまう。氷柱ごと壁に叩き付けられ、砕け散る氷柱の欠片が降り注ぐ中、紗悠里の身体はずるりとその場に崩れ落ちる。
歩み寄るフェンリルは、一本の細長い氷柱を作り出し、無造作に手にして振り被る。
「――っと」
そのまま紗悠里へと向けて突き刺そうとした時、フェンリルは空いている手を翳した。するとその掌の先で、凍り付いて動きを止めた苦無があった。苦無はやがて床に落下し、砕け散る。
そして、紗悠里はそのたった一瞬の隙を見逃さなかった。
「……なるほどね。これだからエインフェリアというのは面白い」
白いオーラに自身の胸が貫かれるのを見て、フェンリルは笑みを零しながら、消えた。紗悠里はその様子に歯噛みしながら、再びその場に倒れ込む。
「紗悠里さん!」
美里の放った苦無は、確かに紗悠里の命を救った。しかし、それは同時に、
「……よそ見、しないで」
彼女の敵に対して重大な隙を見せてしまうことになった。
ヘルが撃ち込んだ突きの一閃に、美里は反応し切れない。身体を逸らしはしたが、脇腹を抉るような一撃を受けて弾き飛ばされてしまう。
立ち上がるも、脇腹を抱えるように押さえ、よろめく。とどめとばかりに飛び込んでくるヘルに対し、しかしそれでも、彼女は印を切る。
すると、美里の姿が幾重にも重なり、増えていく。ヘルを取り囲むように散開し、
「元魔調伏、灰燼に帰せ」
何人もの美里が立て続けにヘルへと斬り込む。全方位からの連続攻撃に、ヘルは堪らず上方へと跳ね上げられる。
「はああああああああっ!!」
同時に飛び上がった美里は、オーラを纏った苦無を振り被り、ヘルに向けて突き立てた。これをヘルは傘を広げて防ごうと試みる。
床に激突し、粉塵が舞う。
「……私の、勝ち」
立ち上がったのはヘルだった。倒れ臥す美里の身体からは完全にオーラが消え失せ、生気は感じられない。
ヘルは美里に背を向け、その場を離れようとした。――その時だ。
たったの一瞬、美里の身体から凄まじい熱量のオーラが放出され、彼女の身体を動かした。放たれた苦無は、何事かと反応して振り返ったヘルの、その額に突き刺さった。
苦無を覆っていたオーラが、燃え移るかのようにヘルを包み込み、消える。
ヘルは倒れ、消失した。
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