Chapter 9-4

 剣戟の重なる音は、鈍く、重い。


「……貴様か」

「覚えていてくださり、光栄です」


 鍔迫り合いながら、シロッコと綾瀬は互いを睨む。剣と拳を交錯させるゲイルと空の元へ向かおうとしたシロッコの前に、綾瀬が立ち塞がったのだ。


「雪さん、私も」

「いえ、美里さんはあやめ様を頼みます。ここは私が」


 綾瀬はシロッコに辛酸を舐めさせられたばかりだ。その借りもあり、綾瀬はこの好機を逃すまいとする意志を強く見せていた。


 これに美里は頷き、あやめの元へ向かう。


「……貴様、一人で戦うつもりか」

「何か、問題でも?」

「……いや。その志に免じて、容赦なく捩じ伏せるまで」

「結構です!」


 二撃目。大剣と長剣という違いこそあれど、両者ともに両手剣である。その見た目の質量に違わぬ衝撃が、一撃毎に互いの腕に響き、筋肉を、組織を、細胞を震わせる。


 が、それを微塵も感じさせない力強さを持って、両者は競り合う。譲る気は欠片もない。


「剣の重さが段違いだ。何が貴様を変えた?」

「答えたところで、貴方に分かるとは思えませんね!」


 気合いとともに、綾瀬は剣を振り抜く。瞬間、綾瀬の纏うオーラが剣に集中し、爆ぜた。強い光を伴う炸裂に、シロッコは黒翼を展開。後方へ飛びずさりながら回避を選択する。


 攻め時と見た綾瀬は間髪置かずして肉薄。横薙ぎの一閃を放つ。しかしこれは必殺の一撃とはならなかった。シロッコは後退を止めず、剣の刀身を合わせて受け流し、防御に徹する。綾瀬もこれで終わるとは思っていない。鈍い衝撃音を繰り返し響かせながら、綾瀬はシロッコを窓際まで追い詰めていく。


 階下を一望できる巨大な窓ガラスを背に、シロッコは立ち止まらざるを得ない。ここだ、とばかりに綾瀬は会心の袈裟懸けを放つ。


「甘い」


 が、その一撃は、このシロッコという男が相手とあっては、必勝足り得なかった。

 シロッコの身体から、黒く禍々しいオーラが放たれる。この闇の奔流は土石流の如く瞬く間に綾瀬を飲み込み、困惑という名の一瞬の隙を作る。


 それそのものは、単なる煙幕のようなもので目くらまし以上の効果はなかった。が、シロッコにとってはこの一瞬の隙こそが肝要だった。


 オーラを放つとほぼ同時に背の翼をはためかせ、緊急回避を試みる。制動が完全には効かず、錐揉み回転しつつもシロッコは綾瀬の剣を回避。彼女の剣はそのまま窓ガラスを直撃し、破砕音を響かせる。


 シロッコは空中でボディバランスを取り戻すと、剣を振り下ろし切ったばかりの綾瀬の背に蹴脚を見舞う。これをまともに喰らってしまった綾瀬は、割れた窓から外へとその身を放り出されてしまう。


 無論、綾瀬はは空中で自由に動く事ができない。重力に引き摺られるままに地上に落下した綾瀬は、そこに集っていた魔の群れの中へと飲み込まれてしまう。


 綾瀬を追ってか、ツインタワーの麓へシロッコはゆっくりと降り立つ。


「……ほう」


 そんなシロッコの前で、綾瀬の落下した地点に群がった魔どもが、弾け飛び霧散した。

 姿を現した綾瀬の身体は、先程までよりも遥かに力強い輝きを放つオーラに包まれていた。


「『ガラティーン・レプリカ』!」


 シロッコは長剣を掲げた。その刀身に黒いオーラを纏わせると、號と煌めく焔と化す。


「黒翼機関がエキスパート、『暁』のシロッコ。この剣の煌めきを以って、貴公を討つ」

「四条あやめがエインフェリア、綾瀬雪。行きます」


 綾瀬のオーラが、彼女の剣を包む。

 踏み出したのは同時だ。間合いも同等。振り抜いた剣が、放出されたオーラの煌めきが、互いの身体を飲み込み――。


「……見事」


 先に倒れたのはシロッコだった。長剣が地面を転がり、鈍い金属音を立てる。


 しかし、綾瀬もその場に膝を付く。剣を立てて支えにするが、その身を包むオーラが最早微弱にしか残っていない彼女の身体は、悲鳴を上げて動かない。


 やがて、綾瀬も剣を立てたまま意識を失ってしまった。


     ※     ※     ※


「行きます」


 宣言し、空はゲイルへと肉薄する。両腕に纏った水流はドリルのように回天し、うねりを上げて必殺の威力を高めていく。


「まさか、あんたがここまで出て来るとはね! なんだい、人間じゃなくされたお礼でもしようってのかい!?」

「それもやりたいとは思いますけど、ねッ!」


 拳を避け、剣を受ける。狂気的なまでの攻撃の応酬を、これまた狂気的なまでに受け流し合いつつも言葉を重ねる。


「あたしは、貴方を止めたいんです!」

「は!? 殺し合いだよ!? どっちが死ぬまで、終わりなんて来ないんだよ!!」

「そうやって気が狂ったフリするの、止めませんか!? 本当は戦いたくなんてないんでしょ!? だから薬なんて飲んで、無理矢理気が狂ったフリばかりして!!」

「分かったような口を!!」

「分かってなんてないですよ! 分かんないけど、あたしはもう、無理して戦ってる人なんて見たくない!!」

「そりゃ、人間としてのあんたの答えかい!?」

「分かんないってば!!」


 空は大きく後退し、ゲイルの側に水柱を二つ発生させた。これが彼女の両腕に両足を縛る拘束具となった。そして空は自分の身体を水化させ、全身をドリルのように回天させつつゲイルへと突貫する。


「舐めるなァッ!!」


 指を弾く音とともに、ゲイルの姿が消える。

 ゲイルがいた地点に空が激突し、床を穿つ。その衝撃で弾けた水飛沫が瞬時に集合して空の姿を取り戻していく。


 その、僅かな時間が確かな隙を作ってしまった。


「『マスカレイド・レプリカ』ァァァァァァッ!!」


 空が硬直したその隙を突いて、ゲイルは空の背後に出現、細剣を大剣に変え、斬り掛かる。空はまだ、液状化した自分の肉体を復元できていない。物理攻撃を完全に無効化できる空の力の、弱点を確実にゲイルは見抜いていた。


 液体から肉体に戻るまでの間は、再び液状化する事ができないのだ。更に、僅かでも離れた場所に液体が飛び散ってしまっている場合、肉体の復元が止まってしまう。


 肉体は中途半端ではあるが、復元を始めている。つまり、物理攻撃は通用してしまう――。


「――ァァァァァァァァァァァッ!」


 ゲイルの斬撃は、空の右腕を肩から切断する。血飛沫を巻き上げながら、右腕は宙を舞って床を転がる。空は声にならない悲鳴を上げてのたうち回る。


「分かったろう? あんたみたいなのが、アタシの相手になる訳がない! 痛いだろう!? 今まであんたが知らなかった痛みだ! あんたがのうのうと平凡な日常を過ごしている間、扇空寺の坊っちゃんたちが受けていた痛みだよ!! そのままじゃ痛くて痛くてしょうがないだろう!? 安心しな、さっさと殺してあげるからさぁ!!」


 ゲイルは再び大剣を振り被る。とどめの一撃。なんの情け容赦もなく、型やその後の動作などは何も考慮されていない、極々単純であるからこそ明快に、そして確実に空の息の根を止める剣戟。


 これまでの人生で受けた事のない痛みに呻き、悲鳴を上げる空には、これを回避する術などない。振り下ろされた刀身が、刃が、空の身体を両断する――その寸前である。


「はああああああああああああああっ!!」


 空の絶叫の性質が変わった。抗えない痛みに震える声ではない。それは明らかに、力を振り絞る為の咆哮だった。


 瞬間、空の身体を包んでいたオーラが炸裂した。光の奔流はゲイルの目を眩ませ、更に物理的な圧力を以ってゲイルを弾き飛ばす。


「チィッ! っの……ッ!?」


 悪態を吐きつつテレポートで体勢を整えようとしたゲイルだが、彼女の身体はその場で動きを止めた。


 空から放たれたオーラが、ゲイルの身体を縛り上げていた。先程のような水柱での拘束とは違う。ゲイルは確実にその動きを封じられていた。


「……なーんか、皮肉だなぁ……。止めたい、と思ってて、使えるようになったのが……こんな力なんて、ね」


 空は背に翼を展開する。大きく広がった黒翼から光が弾け、その色を眩いばかりの純白に変えた。

 白翼を羽ばたかせて身体を持ち上がらせると、空はオーラを紐のように伸ばし、飛び散った水飛沫を引き寄せて、身体に結合させた。斬り落とされた右腕も、元通りに復元する。しかしその機能までは取り戻すことはできなかったようで、空が次に動かしたのは左腕だった。


「……確かに、あたしは、ずっと守ってもらってきたよ……。守られるばかりで、何もできなかったし、してこなかった……!」

「……だから? だから、なんだって言うんだい!? 何もできなきゃ、弱ければ守ってもらえたのかい! とんだ――」

「そうだよ! 弱かったからっ……!! 弱かったから、ずっと守ってくれてた。みんな優しいから、あたしはその優しさに縋って、今までのうのうと生きてきたの!」


 だらりと掲げた左手に力が篭る。その掌に、同じくらいの大きさをした水球が形成される。


「答えは、簡単だよ。弱ければ、ただの人間なら、守ってもらえるんだよ。京太も、水輝も朔羅ちゃんも、なぎさ先輩も、棗さんも紗悠里さんも……みんな優しいから、こんなあたしを守ってくれた……!!」


 空が、普通の人間が、京太たちに守られているのは何故だと、ゲイルは問うた。答えは、大切な人を守りたかったからだ。大切な人を、その人がいるからこその自分の世界を守りたかった、ただそれだけだ。


 ゲイルはそれに気が付いた。いや、既に気付いていたのだ。ゲイルはーー未奈美はずっと守られたかった。誰にも守ってもらえなかった過去がある彼女は、深層意識の中ではずっと守って欲しかった。愛されたかった。


 だから、気付いてみれば至極当たり前で、呆れるほど単純だった。そしてそれに気付かないフリをして、空に向けた感情の意味が、他愛のない嫉妬に過ぎなかったのだとようやく自覚して、未奈美は憑き物が落ちたかのように、小さく笑みを湛えた。


 ――バカだね。アタシも、自分を卑下してばっかりのこの子も。


 未奈美は目を閉じる。あの水球が飛んで来れば、直撃は免れないし、避けるつもりもない。空に未奈美を殺すつもりはないだろうが、まともに受ければ気絶するだろう。


 しかし、未奈美を包んだのは弱々しい衝撃だった。


「何の――」


 つもりだと言いかけた言葉が途切れる。未奈美の拘束が解かれ、空に抱きつかれた衝撃のままに背中から倒れたからだ。


「あたしがあなたを守るから……。だから、泣かないで」


 自分の頬を伝う雫に、唖然としていた未奈美だったが、やがて嘆息してぼやく。


「……全く、余計なお節介だよ」

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