Chapter 9-3
「さて……この辺にブッ飛ばしたと思うんだがなァ」
棗を上階へと弾き飛ばしたヨルムンガンドは、天井に開いた穴から上へ登ると、瓦礫と粉塵に埋もれた廊下を見渡した。階下のエントランスに比べれば遥かに狭い廊下である。明かりもなく、視界は最悪であったが、しかしヨルムンガンドには特に気にした素振りはない。
だが、それでも瓦礫の山に隠れているのか、それとも下敷きになったか――いや、それはないとヨルムンガンドは感じていた。気配こそ消しているが、こちらを狙い澄ました殺意はこの空間中に満ちていた。
ヨルムンガンドは頬を歪めた。以前の戦いは幻影の姿でだった。久方振りに本体で戦える、その相手が実に骨のある者とくれば嬉しくないはずがない。
「隠れてねェで、さっさと出て来やが――」
棗を炙り出す為に、両腕を振り上げ床に叩き付けようとした瞬間だった。
ヨルムンガンドの横合いから、瓦礫が一つ投擲されたのだ。
「しゃらくせェ!」
これをヨルムンガンドは蹴脚で迎撃する。身体全体を回転させつつ跳び上がり、回し蹴りを放つ。インパクトの瞬間に魔力を放出し、破壊力を高める。破砕音と共にバラバラになった瓦礫の破片が周囲へ飛び散る中、その向こう側には棗の姿と、ヨルムンガンドの眼前にまで迫った槍の矛先があった。互いの視線が交錯する刹那にも、棗が両手で構えて放たれていた刺突はヨルムンガンドの額を狙い穿とうとしていた。
「――っとォ!!」
だがこれを、予想していたのか、それとも瞬時に察知し反応したのか、ヨルムンガンドは寸での所で頭を逸らして躱した。すかさず棗は両足で蹴りを放つ。追撃ではなく、一度距離を取って体勢を立て直す為のものだ。両腕を交差させて蹴りを受けるヨルムンガンドのそれを、足場代わりにするかのように跳躍、離れた位置に着地する。
腰を低く据え、両手で槍を持ち、尚も刺突の構えを取る。背面から天井に激突したダメージは決して小さくはない。身体は傷だらけで、口許からは血が流れている。
「その面ァ、今ので決まるとは欠片も思ってねェなァ!?」
「……どうだかな」
「思ったよか存外冷静じゃァねェか! トチ狂って玉砕覚悟に見えたのは、ありゃあ半分以上演技ってかァ!?」
確かに、考えなしに突貫したつもりはない。棗の槍は、正確にロキの急所を狙い穿つ一撃だった。一気に玉を詰めようとする一手に対し、当然相手は受けの手を放つ。それが今回はヨルムンガンドだった。彼奴との一対一の状況を作り出せたのは、棗にとっては想定以上の収穫だと言えた。
実力が五分かどうかは怪しい。ギリギリ以上の厳しい戦いを強いられるだろう。だがそれでも、相手の最強の一角を引きずり出せたのは大きい。負けるつもりは更々ないが、棗が彼奴を食い止めている間、下の戦いが少しでも楽になれば御の字だ。
「だがよォ、ウチの親父様に矛先向けた代償は高く付くぜェ、槍の兄ちゃんよォ!」
棗はハッ、と口の中の血を吐き捨てる。
「あんたの相手が俺一人で済めば、安いもんだ」
「言ってくれんじゃねェか!」
ヨルムンガンドは両手を合わせて振り上げた。
同時に棗も踏み込む。自身の間合いに於いて最長の地点に到達した瞬間に刺突を放つ。無論、ヨルムンガンドの間合いではない。当然、防御か回避を選択するしかない彼奴は、しかし掲げた腕をそのまま振り下ろした。轟と空気を震わせるそれはまさに鉄槌の如し。槍の矛先を捉え、叩き落とさんとしたその寸前でである。棗は後ろ足を軸に旋回。槍を回転させて持ち手を換え、空振りした腕で床を叩くに終わったヨルムンガンドの顔面を石突きで殴り付けようとした――が、ヨルムンガンドが叩いた床はその地点から振動。破砕し、瓦礫を迫り上げて棗を襲わんとする。
棗は堪らず上方へ跳躍し、これを回避した。が、ヨルムンガンドは槍の柄を掴み、追撃の蹴脚を放った。不安定な体勢で跳び上がった棗に躱す手段はなく、腹部に蹴りを受けて壁に叩き付けられる。壁は破壊され、棗の身体は壁の向こう側の一室へと飛ばされ、部屋の床を転がって止まった。
「獲物を手放しちゃァ、もうどうしようもねェな?」
槍はヨルムンガンドの手中にあった。彼奴は膝でこれをへし折り、廊下に捨てて空いた穴から室内へと足を踏み入れる。
「立てよ。まだやれんだろォが」
ヨルムンガンドは立ち止まり、棗を見下ろす。対して棗は、両手を床に突きながら、震えてまともに動かない身体をゆっくりと立ち上がらせる。途中、ぐらりと身体が揺れたが、壁に手を突いて支える。満身創痍。傷と血に塗れ、肩で息をする棗はしかし、ヨルムンガンドに対し微塵も薄れていない戦意を示した。
その拳は、固く、強く、握り締められていた。その瞳には一切の恐怖も、絶望も、諦めもなく、真っ直ぐにヨルムンガンドを睥睨していた。
ヨルムンガンドは喜色の笑みを零す。死ぬまで戦いを止めない輩は大好物だ。かつての雷神のように、骨の髄まで喰らい尽くしてやろう。
両者は深く腰を落とす。先に動いたのは棗だ。ゆっくりと構えながらも構えを取った瞬間にヨルムンガンドの懐へと踏み込んだ。槍がない棗には、先程まであった間合いの利はなくなってしまった。徒手で戦うしかない今、体格差を考えればこの利はヨルムンガンドに傾いたと言える。加えて棗の身体の状態は満身創痍も甚だしい。
ならば。棗が選択したのは捨て身の速攻だった。間合いなど関係ないインファイトで、先手を打って倒し切る。それができなければ最早、棗に勝機は残されていない。
ヨルムンガンドの懐に入り込んだ棗は、その勢いのまま、振り被った拳を撃ち出した。脚は支点だ。加速の威力を、急停止の反動によるエネルギーを、渾身の力を込めて叩き付ける為に床を踏み締める。敢えて彼奴が自らの懐に招き入れた事など承知の上だ。この、戦いが楽しくて堪らないと言わんばかりの表情を見せる元魔は、真正面から棗の拳を受け切り、叩き折るつもりだ。
「おおおおおおおおおおおお――!!」
しかしそれでも、棗はこの一撃――一攻防に賭けるしかなかった。一度でも防ぎ切られれば、終わる。
そしてヨルムンガンドもまた、己が拳を振り抜かんとしていた。大気が断末魔を上げながら震える。衝撃音。棗は顔をしかめ、ヨルムンガンドは歓喜の笑みと共に雄叫びを上げた。互いに互いの姿が揺れるような錯覚。
拳を引くのは同時だった。膝、肘。都合三度、両者は同時にそれらを繰り出し、競り合った。互いの散らした火花のように、激突面からは血が流れる。床を汚す。
そして四たびの激突。振り被った頭部による頭突きである。互いの身体が仰け反る。不味い――。棗は背後に倒れ込みそうになる身体を、必死で踏み留まらせようとした。まだ、奴には致命傷を負わせていない。この状況で倒れれば、倒れずとも距離を離してしまえば、それはもう、棗の敗北と同じだ。
ヨルムンガンドは身体を仰け反らせるに留まった。だが棗には、この衝撃に耐えられるだけの力は残っていなかった。身体は言う事を聞かず、意識は遠ざかる。
どさりと、音が響いた。
血が床に落ちる。そこに確かな血溜まりができると、ヨルムンガンドは大きく息を吐いた。踵を返し、部屋から出る。外に落ちていた槍の残骸を拾い、中に戻ると――その切っ先を棗に向けて大きく振り被った。そのまま棗の胸部に突き立てんと振り下ろす。
棗の槍が、彼の心臓を貫こうとした刹那である。
棗は床を転がりながら身体を跳ね起こし、喰らい付くように槍の柄を両手で掴んだ。
「こん……のおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
絶叫と共にヨルムンガンドの手から槍を引き抜く。柄は短くなり、石突きも失った槍だが、彼の相棒がその手元に戻って来た。
ヨルムンガンドは大きく後退し、距離を取る。
「ふ……はは……カカカカカカカカッ! 俺も血迷ったもんだァ……!」
高らかに笑うヨルムンガンドを前に、棗は槍を掲げるように構えた。
「槍使いとの勝負を、
「なら……その身に刻め」
――泣こうが喚こうが、これが最後の一撃だ。何故ならもう、自分がどうして立っていられるのか、俺自身にも分からないからな――!
「扇空寺京太が側近、武藤棗。いざ、参る」
「来やがれ、小僧ォ!!」
小細工は要らない。できない。やれるのはただの一度。今までの人生で最高の、最速の突きで、彼奴の脳天を穿つのみ。
だからこそただ一点、棗の視界には狙いを付けた場所しか映っていなかった。ヨルムンガンドが迎撃のために繰り出した拳は棗には視えていない。視ようともしていない。
ヨルムンガンドの拳は、棗の胸部を砕いた。骨は砕け、棗の動きが止まる。そして、倒れたのもまた――ヨルムンガンドだった。棗の槍はそれよりも速く、ヨルムンガンドの頭部を貫いていたのだ。
棗は口から血を吐き出した。幸いと言うべきか、もはや痛みはない。
京太たちの許へ戻らなければ。棗は足を踏み出そうとして――そのまま倒れ、意識を失った。
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