Chapter 8-4

 目が覚める。そこは静かな部屋だった。ロッジだろうか。木造の質素な部屋で、窓の外にはうっそうと生い茂る森が見える。


 起き上がり、ドアを開ける。


「あら、ようやくお目覚めなのね」


 そこには、艶やかな金髪を持つ、外国人の女性がいた。


「簡単だけれど、食事を用意しておいたわ。さあ、座って」

「……あんた、誰だい?」


 その質問に、女性はきょとんとしてしまった。


 何を言っているんだという視線を向けられるが、ややあって得心したようで、


「これならどうかしら」


 と、彼女の身体を白い靄が包んだ。

 靄が晴れると、そこにいたのは金髪の老婆だった。


 その姿には見覚えがある。


「ばあ、ちゃん」

「分かってもらえたようね。さあ、食事にしましょう」


 幼い頃、突然姿を消してしまった祖母、イリス・ウィザーズその人だった。


 テーブルの上に置かれていたのは、ライ麦パンとオニオンスープに紅茶だった。

 食べるとどこか違和感を感じた。


「食べているという感覚がないんでしょう。ここは精神の世界なの。食事は必ずしも必要ではないけれど、でも何か満たされる感覚はあるでしょう?」


 確かに。食事を摂る、という行為自体には意味があるようだ。心が落ち着いていく。


「あなたの肉体が死んで、精神が切り離された。その精神を構成している霊子が消えてしまう前に、私がこの世界に繋ぎ止めたの」

「成程な……。俺はもう死んだのか」

「ええ。でも、元に戻れる可能性はあるかもしれないわね。ラグナロクはあなたの肉体を憑代にして、復活を果たすつもりでいるようだから。人間の肉体を必要としているのは、地上界での存在を維持する為でしょう。でも、ただの人間ではその力の器として耐えられない。だから、鬼の力と完全に融和している扇空寺の人間の肉体を欲した、という所ね」

「へぇ……。それで、俺はどうすりゃいいんだい?」

「肉体が生きているのなら、簡単よ。ラグナロクから、あなたの身体を取り戻せばいい。でも、その前に」


 イリスが手を振ると、食事を終えた皿が一瞬にして消える。


「あなたに全てを話しておきましょう。この世界ももう、そう長くはありませんから」


 イリスが話し始めたのは、彼女が姿を消した日のことだった。


「あの日、私はあなたの両親が死ぬ事になってしまった原因を作った男と対峙した。男の名はロキ。『黒翼機関』の頂点に立つ男であり、あなたの親友、月島水輝の父親よ」

「そう、か……」

「あまり驚かないのね」

「まあ、そうじゃなけりゃいいなとは思ってたトコだ」

「そう……。ロキは自ら玖珂の家を襲撃した。……あなたに、悲劇を与える為に」

「……は?」

「ロキはそういう男よ。彼は自分の思い描くエンターテインメントを実現させることにしか興味がない。元魔戦争も、彼が起こしたと言っても過言ではないわ。シュラを使って魔神を再誕させたのも、世界を滅ぼす為ではない。悲劇的な運命を背負い、主人公として申し分なくなったあなたと戦わせる為よ」

「……それで、ばあちゃんはどうしたんだい?」

「私はロキと戦ったわ。……そして、死んだの。私が死ねば、それだけで元魔を封印している門が開いてしまうから、精神だけをこの世界に隔離した。今の私は門を封じる為にかろうじて存在を繋ぎ止めているだけだから、門が開いてしまえば私も、この世界も消えてなくなってしまうわ」


 ふと、イリスの手元を見る。彼女の身体が少しずつ消えていっているのが分かった。


「そろそろ時間かしら。ごめんなさい、あなたにはお祖母ちゃんらしいことは何もしてあげられなかったけれど……」

「気にすんなよ、ばあちゃん。それを言うなら、こっちこそ可愛げのねぇ孫で申し訳ねぇ」


 笑ってみせると、イリスも笑みを見せた。


「さようなら、京太。世界をよろしくね」


     ※     ※     ※


「京太君」


 少女の声に目を覚ませば、そこは果てなく続く闇の底だった。


「鈴詠……」


 京太の名を呼んだ少女は鈴詠だった。

 差し延べられた彼女の手を取り、京太は立ち上がる。


「悪ぃ。お前を迎えに行くつもりだったんだけどな。こんなトコまで来てもらっちまうなんてな」

「ううん、そんなことないよ。京太君が、ここまで来てくれたんだよ」

「そうかい? なんつーか、偶然辿り着いちまったって感じだけどな……。まあ、ぐずぐずしてたって仕方ねぇ。まだやらなきゃならねぇことはいっぱいあるんだ、行こうぜ、鈴詠」

「う、うん……」

「どうした?」

「……うん。一緒に行きたいんだけどね、私、死んじゃってるし……」

「このままでいいってことかい?」

「そんなことは、ないんだけど……」


 鈴詠の手が離れる。


「助けてもらっても、私、京太君に何もお返しできないから……」


 京太は再び鈴詠の手を取る。


「いらねぇよ、そんなもん。俺がお前を助けてやりてぇだけさ」


 鈴詠の手を引き、京太は一歩を踏み出した。


「にしてもここはどこなんだか」


 その疑問に答えたのは鈴詠ではなかった。


「ここは魔神の精神世界の片隅さ。そこをちょっと間借りしてね、俺がチカラを展開してるんだ」

「へぇ、じゃあそいつを止めたらどうなるんだい?」

「まあ、精神の方まで完全に取り込まれて終わりだろうね。逆に心があいつより強ければ、ここから出られる、と思うよ」

「成程な。で、俺たちが出て行くっつったら、お前は素直にこっから出してくれるのかい?」


 京太の問いに答えるかのように、周囲の景色が変わっていく。

 現れたのは、砂利を敷き詰めた日本庭園だった。


 それはかつて、初めて『龍伽』を手にした京太と。鈴詠を手に掛けた双刃が相対した場所でもあった。


 現れた双刃の手には二本のナイフが。


「別に、お前らがどこに行こうが俺の知ったことじゃない。ただ、あの時の決着は付けてもらわねぇとな!」

「上等だ!」


 京太の手にも『龍伽』が握られる。だがそれは柄の部分だけだった。それでも京太は『龍伽』の柄を握り締め、四年前のあの日の決着を付けるべく、足を踏み出す。


 同じく双刃も間合いを詰めるべく足を踏み出していた。

 それはさながら、蝶の舞の如く。双刃の姿が京太の目の前から消える。次の瞬間には京太の身体に無数の裂傷が刻まれていた。


 なるほど、双刃の剣閃は以前のものより遥かに疾く、鋭い。

 当然、柄だけの刀で捌き切れるものではなかった。


「そんなもんかい?」

「言ってろ……!」


 最早自身の態度が強がりでしかない事など、京太自身承知の上であった。だがそれでも、彼を斃して行かなければこの先の道などありはしない。


「京太君……!」


 鈴詠の悲痛な声が聞こえる。

 これは彼女の仇討ちでもある。彼女の前で、四年前の決着を付ける。双刃もそれが狙いだろう。


 ならば尚更、ここで退く訳にはいかない。


 双刃は立て続けに攻めてくる。


 刺し穿つ閃光のようなナイフが京太の眼前に迫る。京太はこれを避けようと身体の重心をずらす。

 が、双刃はナイフをおろし、体勢を崩した京太へ蹴りかかる。ハイキックにより上方へ飛ばされた京太へ、双刃は追い打ちの飛び蹴りを放つ。


 蹴り穿たれ、背中から落下した京太を組み伏せ、双刃はナイフを振り翳す。


「終わりだな」


 京太の心臓を穿つべく、双刃は凶刃を振り下ろし――


「京太君!!」


 京太は咄嗟に柄を振り翳した。

 金属の激しくぶつかり合う音がした。

 そこには柄だけではない、刀身までを完全に復元した『龍伽』があった。


「これは……」


 京太も双刃も、この現象に唖然とした。

 どこからか、鈴詠の声が聞こえてくる。


 ――お願い、京太君。負けないで。


 周囲には鈴詠の姿はない。だが京太は、鈴詠の意思がどこにあるのか理解していた。


「ああ……! 俺がこいつに負けるわきゃあねぇだろ!」


 京太は双刃の腹を蹴り飛ばした。立ち上がり、『龍伽』を構える。


「行くぜ、鈴詠。お前が俺の刃になってくれるってんなら、死んでもこいつには勝たねぇとな!」

「結局、殺した所で鈴詠はずっとお前の傍にいるって訳か」


 双刃の姿が増えて行く。彼の分身が京太の周囲を取り囲み、一斉にナイフを構えて駆けて来る。


「なら、見せてみろよ、その絆の力ってのを!」


 ――扇空寺流奥義・龍伽雷桜閃。


 双刃の分身たちが眼前に迫った時、京太は回転しつつ鞘から『龍伽』を抜き放った。


 回転の居合切りにより双刃の分身はその悉くを斬り伏せられ、また双刃自身も倒れ伏した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る